My Sensibility - 納得するために必死に真剣に生きる
いまさらあたりまえの話だと思うのですが、
人間なんのために生きているかと問われたら、
やはり納得するという一言になるのだろうと思います。
お金や権力を求めるのも、
自分の欲に対しての納得なのだろうし、
究極的には、生きるということの意味を、
知ることになるのかもしれません。
自分の人生を振り返ってみても、
なにに一番時間と労力を費やしてきたかと考えたときに、
やはり自分のなかの問いに対する納得だったように思います。
例えば8年程前に、田舎生活に窮し、
これからはネットビジネスを利用しない手はないと考え、
ホームページを作るということを覚えた。
しかし、ビジネスよりも、
ずっと興味のあったことを真剣にやってしまった。
その半分でも、お金儲けに費やしていればと、
少しは後悔したこともあったけど、
今は、ほんとうにそれでよかったと思っている。
それは、自分に対しての納得を得られたからだ。
しかし、まだまだ自分に対して納得させなければならないことはある。
これからも、それになによりも時間と労力をそそぐことになるのだろうと思う。
まだ書いちゃ駄目と王子に言われているのだけど、
自分の生き方であったり、思考を大きく変えたキッカケになったもの、
その存在に対する納得というものがある。
ありのまま書いたら、ドン引きされるかもしれないけれど、
いずれ書くと思います。
話は変わりますが、
少しまえに、超感性の持ち主であるA子さんからよい話を聞いた。
A子さんというのはとても世話好きで、
人に対してだけでなく、
動植物に対する愛情というのには関心させられるものがある。
知り合ったころ、従兄弟の方と熊野に遊びにいらしたとき、
玉置神社までクルマでお連れしたことがあった。
そのときに、林道脇から捨てられた老犬がヨロヨロとでてきて、
A子さんがクルマを止めてというので、
どうするのかと思ったら、老犬のもとに走りより、
地べたに座り老犬を抱きしめて、かわいそうだから連れて帰ると泣かれました。
確かに、連れて帰りたくなるほど、惨めでヨレヨレの老犬ではありました。
従兄弟の方が、そんな無理なことを言っても、
ヤゾーさんも困るだろうし、飛行機には乗せられないからと説得して、
持っていた食べ物を与え、老犬をそのままにしたことがありました。
後で話を聞いたら、随分と迷いネコやイヌを世話したり、
病院に連れていったりしているみたいでした。
動物病院の先生から、そんなことをしていたら、
きりがないよとまで、言われたそうです。
また、隣の家の木が切られることを知り、
いままで目の保養やらお陰をいただいていたのだからと、
お金を出して、木を移転させたこともあったようです。
そういうA子さんに、話を聞いてもらいたいということで、
紹介された老婦人から電話があったそうです。
その老婦人は、50年まえに子供をみごもったそうなのですが、
持病をかかえていたこともあり、
生めば命の保障はないと医者にいわれ、
家族の説得もあり、泣く泣く堕胎してしまい、
それ以来、子宝に恵まれることはなかったそうです。
そのことを、50年間、
真剣に悩み後悔し続けた人生であったようです。
そして、50年経ったいま、
はっきりと確信でき、自分に対して納得のようなものができたそうです。
あのときに、命がけで真剣に必死になって生んでおけば、
ご本人も赤ちゃんも無事であったであろうと。
人生、その場その場を、どれだけ必死に真剣に生きるか、
その積み重ねこそが、よりよい未来を築くのだと、
そのことを悟るための50年間であったということでした。
その話を聞いて、自分は恥じ入るばかりです。
人間なんのために生きているかと問われたら、
やはり納得するという一言になるのだろうと思います。
お金や権力を求めるのも、
自分の欲に対しての納得なのだろうし、
究極的には、生きるということの意味を、
知ることになるのかもしれません。
自分の人生を振り返ってみても、
なにに一番時間と労力を費やしてきたかと考えたときに、
やはり自分のなかの問いに対する納得だったように思います。
例えば8年程前に、田舎生活に窮し、
これからはネットビジネスを利用しない手はないと考え、
ホームページを作るということを覚えた。
しかし、ビジネスよりも、
ずっと興味のあったことを真剣にやってしまった。
その半分でも、お金儲けに費やしていればと、
少しは後悔したこともあったけど、
今は、ほんとうにそれでよかったと思っている。
それは、自分に対しての納得を得られたからだ。
しかし、まだまだ自分に対して納得させなければならないことはある。
これからも、それになによりも時間と労力をそそぐことになるのだろうと思う。
まだ書いちゃ駄目と王子に言われているのだけど、
自分の生き方であったり、思考を大きく変えたキッカケになったもの、
その存在に対する納得というものがある。
ありのまま書いたら、ドン引きされるかもしれないけれど、
いずれ書くと思います。
話は変わりますが、
少しまえに、超感性の持ち主であるA子さんからよい話を聞いた。
A子さんというのはとても世話好きで、
人に対してだけでなく、
動植物に対する愛情というのには関心させられるものがある。
知り合ったころ、従兄弟の方と熊野に遊びにいらしたとき、
玉置神社までクルマでお連れしたことがあった。
そのときに、林道脇から捨てられた老犬がヨロヨロとでてきて、
A子さんがクルマを止めてというので、
どうするのかと思ったら、老犬のもとに走りより、
地べたに座り老犬を抱きしめて、かわいそうだから連れて帰ると泣かれました。
確かに、連れて帰りたくなるほど、惨めでヨレヨレの老犬ではありました。
従兄弟の方が、そんな無理なことを言っても、
ヤゾーさんも困るだろうし、飛行機には乗せられないからと説得して、
持っていた食べ物を与え、老犬をそのままにしたことがありました。
後で話を聞いたら、随分と迷いネコやイヌを世話したり、
病院に連れていったりしているみたいでした。
動物病院の先生から、そんなことをしていたら、
きりがないよとまで、言われたそうです。
また、隣の家の木が切られることを知り、
いままで目の保養やらお陰をいただいていたのだからと、
お金を出して、木を移転させたこともあったようです。
そういうA子さんに、話を聞いてもらいたいということで、
紹介された老婦人から電話があったそうです。
その老婦人は、50年まえに子供をみごもったそうなのですが、
持病をかかえていたこともあり、
生めば命の保障はないと医者にいわれ、
家族の説得もあり、泣く泣く堕胎してしまい、
それ以来、子宝に恵まれることはなかったそうです。
そのことを、50年間、
真剣に悩み後悔し続けた人生であったようです。
そして、50年経ったいま、
はっきりと確信でき、自分に対して納得のようなものができたそうです。
あのときに、命がけで真剣に必死になって生んでおけば、
ご本人も赤ちゃんも無事であったであろうと。
人生、その場その場を、どれだけ必死に真剣に生きるか、
その積み重ねこそが、よりよい未来を築くのだと、
そのことを悟るための50年間であったということでした。
その話を聞いて、自分は恥じ入るばかりです。
