My Sensibility - 差別と区別 格付けする女たち
区別はしてもよいけど、差別はしてはいけません。
差別するものには、区別する資格はないのです。
差別するものは、自ら器の小ささを表明しているようなものだし、
あらゆる面で、ふるいにかけられ淘汰される側にあると思われます。
また、被差別者側のもので、
差別を利用し、非道なおこないをするものに対しては、
一般社会のみならず、被差別者側からも、
強く糾弾され淘汰してゆかなければならないときにきていると思われます。
http://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10019962392.html
↑解放同盟の光と闇を知ったうえで、(闇の部分が大きいことは知りながらも)
いろんな場面で解同を擁護するような発言をしてきたけれど、
流石にこういうニュースが流れてからは擁護できません。
ちなみに、ヤクザついては、
健全なヤクザがあってこその、安全で楽しい日本という気がしています。
少々悪さをしても、むかしのヤクザは、随分と治安に貢献していたように思います。
同和団体もヤクザも、戦前戦後まもないころまでは、まだ理念や美学があったように思います。
水平社は崇高な理念を持っていたし、ヤクザにも任侠という美学がありました。
兄弟で、兄が解放運動の闘士、弟はヤクザの親分ということも多かったと聞いています。
理念と美学はどこへいってしまったんでしょうね。
2ちゃんねるなどによる、
差別心を煽るエタだのチョンだのという投稿に、
少なからず影響を受けている人たちも多いようです。
かくいうぼくも、2ちゃんねるの影響を受けて、
一時、嫌韓になってしまったことがありました。
日本人として、反日の中国や韓国のあり方は嫌悪を感じますが、
物事を掘り下げ、冷静に考えたら、
嫌いというより、“お粗末な”という思いがしてきましたし、
十把一絡にして差別したり嫌うことは、
もっとお粗末だといえるのかもしれません。
それにしても、80年代に韓国映画を中心に、
アジアの映画を集中して観ていた時期があり、
いまでも好きな映画のベストテンのひとつに、
アン・ソンギ主演の『神様こんにちわ』というのがあって、
半島系の人たちの情の深さという部分を知っているのにも関わらず、
嫌韓にしてしまう2ちゃんねるの影響力はすごいものがあります。
また、差別心を煽る投稿により、
傷つき、心を痛めている人も多いと聞いています。
どんなに成功者であっても、
差別発言を見聞きしたりすると、
気分が悪いを通り越して、
悲しくなるみたいです。
社会的弱者なら、なおさら辛いことだと思います。
たとえ言動には出さなくても、
心の奥に差別心が潜んでいたら、
そのことは、相手に伝わります。
マイノリティ出身者はそういうことに敏感です。
引きこもってネットばかりの生活では、
問題はないかもしれませんが、
社会に出て、いろんな人と関わりを持ってくると、
差別心は必ず自分自身に悪影響が出てくるように思います。
以前、運営していたサイトで交流を持った人たちと、
野史研究という勉強会のような会合に、
何度となく参加したことがありました。
その参加者のなかには、都内の高級住宅地に暮らし、
医師で収入も見た目もセレブという人や、
大阪の二代目オーナー社長の紳士がいましたが、
自分のルーツを、意地でも賤民にしたがるという、
面白い現象をまのあたりにしたことがありました。
普通は、マイノリティから成り上がって、
その出自を隠したがるというのはよくある話でしたが、
成り上がった何代目かに、その出自にロマンなり愛着を持つという現象が、
起こっているのだということを知り、
よい勉強になったと感じたことがありました。
根がおバカなので、どうも文章を書いていると、
違う方向へいってしまいがちになるのですが、
どうせなら、もっと違うことを書きます。
こんな山奥にも、ケーブルテレビというものが四月から開通し、
我が家で民放放送が見られるようになってしまいました。
もともと、大のテレビ好きだったので、
これはヤバイかもと思いながらも、
民放各社の番組を見回したところ、
ロンドンハーツの格付けする女たちという番組をみて、
こんな面白い番組があったのか〜と魅了されてしまいました。
それで、彼女たちは、なにゆえにああまで面白くて魅力的なのかと、
まじめに考え、分析してみたくなりました。
凝り性にして、探究心もあるほうなので、
過去の番組を可能なかぎり集めて、
二日間、ぶっ通しで過去三年間の番組を観てみました。
お笑い芸人が只者ではないことは、
なんとなくは知っていました。
芸能界やスポーツ界は、
実力の世界だといわれてきましたが、
実際には、環境に恵まれないと、
這い上がるのが難しくなってきたように思います。
そういう意味で芸人は、実力で這い上がれる、
数少なくなった分野なのかもしれません。
並みのヤクザじゃ歯が立たないだろうなと思うくらい、
根性も度胸もありそうなのがいますし、
普通だったら犯罪者になるか自殺しているだろうな、
というような境遇の人も多いような気がします。
人生、喜怒哀楽の振幅だとすると、
深い哀しみを内に秘めてるがゆえに、
ああまで笑いに転化することができるのかもしれません。
しかし、格付けで面白いと思ったのは、
男の芸人のでもなく、女芸人のでもなく、女子アナのでもなく、
タレント、女優、女芸人が集まる格付けなのでした。
男芸人のは、なんだか鼻につくものを感じさせるし、
女芸人のは、見ていて痛々しさを感じるし、
女子アナのは、中途半端という感じがして、
あまり笑えませんでした。
それほどまでに、タレント、女優、女芸人が集まった格付けは、
ぼくにとって、大笑いするほど面白く、とても魅力的で、
それぞれの女性に愛おしささえ感じさせるのです。
金子みすずではありませんが、
「みんなちがってみんないい」という思いがします。
どうしてなのだろう?
ヤンキー、天然、秀才、美女、ブサイクと、
それぞれがキャラも育ちも、てんでバラバラだけど、
各々がそれぞれのキャラを際立たせ、
うまく調和しているから面白いのかとも思いましたが、
それだけでなく、彼女たちには共通しているものがあるように思えてきました。
それがわかれば、
人生を、いや世の中を変えられるのではと、
おバカなぼくは思うのですが、
なんとなく、おバカ→白痴→真空 ではないかと直感しています。
白痴の【痴】って、なかなか意味深な漢字です。
差別するものには、区別する資格はないのです。
差別するものは、自ら器の小ささを表明しているようなものだし、
あらゆる面で、ふるいにかけられ淘汰される側にあると思われます。
また、被差別者側のもので、
差別を利用し、非道なおこないをするものに対しては、
一般社会のみならず、被差別者側からも、
強く糾弾され淘汰してゆかなければならないときにきていると思われます。
http://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10019962392.html
↑解放同盟の光と闇を知ったうえで、(闇の部分が大きいことは知りながらも)
いろんな場面で解同を擁護するような発言をしてきたけれど、
流石にこういうニュースが流れてからは擁護できません。
ちなみに、ヤクザついては、
健全なヤクザがあってこその、安全で楽しい日本という気がしています。
少々悪さをしても、むかしのヤクザは、随分と治安に貢献していたように思います。
同和団体もヤクザも、戦前戦後まもないころまでは、まだ理念や美学があったように思います。
水平社は崇高な理念を持っていたし、ヤクザにも任侠という美学がありました。
兄弟で、兄が解放運動の闘士、弟はヤクザの親分ということも多かったと聞いています。
理念と美学はどこへいってしまったんでしょうね。
2ちゃんねるなどによる、
差別心を煽るエタだのチョンだのという投稿に、
少なからず影響を受けている人たちも多いようです。
かくいうぼくも、2ちゃんねるの影響を受けて、
一時、嫌韓になってしまったことがありました。
日本人として、反日の中国や韓国のあり方は嫌悪を感じますが、
物事を掘り下げ、冷静に考えたら、
嫌いというより、“お粗末な”という思いがしてきましたし、
十把一絡にして差別したり嫌うことは、
もっとお粗末だといえるのかもしれません。
それにしても、80年代に韓国映画を中心に、
アジアの映画を集中して観ていた時期があり、
いまでも好きな映画のベストテンのひとつに、
アン・ソンギ主演の『神様こんにちわ』というのがあって、
半島系の人たちの情の深さという部分を知っているのにも関わらず、
嫌韓にしてしまう2ちゃんねるの影響力はすごいものがあります。
また、差別心を煽る投稿により、
傷つき、心を痛めている人も多いと聞いています。
どんなに成功者であっても、
差別発言を見聞きしたりすると、
気分が悪いを通り越して、
悲しくなるみたいです。
社会的弱者なら、なおさら辛いことだと思います。
たとえ言動には出さなくても、
心の奥に差別心が潜んでいたら、
そのことは、相手に伝わります。
マイノリティ出身者はそういうことに敏感です。
引きこもってネットばかりの生活では、
問題はないかもしれませんが、
社会に出て、いろんな人と関わりを持ってくると、
差別心は必ず自分自身に悪影響が出てくるように思います。
以前、運営していたサイトで交流を持った人たちと、
野史研究という勉強会のような会合に、
何度となく参加したことがありました。
その参加者のなかには、都内の高級住宅地に暮らし、
医師で収入も見た目もセレブという人や、
大阪の二代目オーナー社長の紳士がいましたが、
自分のルーツを、意地でも賤民にしたがるという、
面白い現象をまのあたりにしたことがありました。
普通は、マイノリティから成り上がって、
その出自を隠したがるというのはよくある話でしたが、
成り上がった何代目かに、その出自にロマンなり愛着を持つという現象が、
起こっているのだということを知り、
よい勉強になったと感じたことがありました。
根がおバカなので、どうも文章を書いていると、
違う方向へいってしまいがちになるのですが、
どうせなら、もっと違うことを書きます。
こんな山奥にも、ケーブルテレビというものが四月から開通し、
我が家で民放放送が見られるようになってしまいました。
もともと、大のテレビ好きだったので、
これはヤバイかもと思いながらも、
民放各社の番組を見回したところ、
ロンドンハーツの格付けする女たちという番組をみて、
こんな面白い番組があったのか〜と魅了されてしまいました。
それで、彼女たちは、なにゆえにああまで面白くて魅力的なのかと、
まじめに考え、分析してみたくなりました。
凝り性にして、探究心もあるほうなので、
過去の番組を可能なかぎり集めて、
二日間、ぶっ通しで過去三年間の番組を観てみました。
お笑い芸人が只者ではないことは、
なんとなくは知っていました。
芸能界やスポーツ界は、
実力の世界だといわれてきましたが、
実際には、環境に恵まれないと、
這い上がるのが難しくなってきたように思います。
そういう意味で芸人は、実力で這い上がれる、
数少なくなった分野なのかもしれません。
並みのヤクザじゃ歯が立たないだろうなと思うくらい、
根性も度胸もありそうなのがいますし、
普通だったら犯罪者になるか自殺しているだろうな、
というような境遇の人も多いような気がします。
人生、喜怒哀楽の振幅だとすると、
深い哀しみを内に秘めてるがゆえに、
ああまで笑いに転化することができるのかもしれません。
しかし、格付けで面白いと思ったのは、
男の芸人のでもなく、女芸人のでもなく、女子アナのでもなく、
タレント、女優、女芸人が集まる格付けなのでした。
男芸人のは、なんだか鼻につくものを感じさせるし、
女芸人のは、見ていて痛々しさを感じるし、
女子アナのは、中途半端という感じがして、
あまり笑えませんでした。
それほどまでに、タレント、女優、女芸人が集まった格付けは、
ぼくにとって、大笑いするほど面白く、とても魅力的で、
それぞれの女性に愛おしささえ感じさせるのです。
金子みすずではありませんが、
「みんなちがってみんないい」という思いがします。
どうしてなのだろう?
ヤンキー、天然、秀才、美女、ブサイクと、
それぞれがキャラも育ちも、てんでバラバラだけど、
各々がそれぞれのキャラを際立たせ、
うまく調和しているから面白いのかとも思いましたが、
それだけでなく、彼女たちには共通しているものがあるように思えてきました。
それがわかれば、
人生を、いや世の中を変えられるのではと、
おバカなぼくは思うのですが、
なんとなく、おバカ→白痴→真空 ではないかと直感しています。
白痴の【痴】って、なかなか意味深な漢字です。
