My Sensibility - 文明の転換期
ネガティブなことを書いて王子に叱られてしまいました。
ここのところの燃料の高騰は、漁業関係者だけでなく、
田舎生活者にとっても、なかなかきびしい状況になってきています。
まわりの人たちからも、やれ景気が悪いだの、
将来への展望が見えないだのというような声をよく耳にします。
まあそれでも、殆どの家にはクルマがあって、
家では多くの家電製品に囲まれているのですから、
贅沢といえば贅沢なのかもしれません。
でも、なんか豊かな気分になれないあたりが、
なにかに毒されてしまっているのか、
それとも真の豊かさというものを勘違いしてきたのやもしれません。
そこで真の豊かさや幸せというものを、
自分の経験を通したことなどから考えたときに、
それは物質的なことよりも、人との関係性であったり、
動物や植物をも含めた自然との関係性だったりするのではないかと思うのです。
心が通じるという言葉があります。
それはお互いにどれだけシンクロしているかということであり、
しいては信頼性につながってくるのかもしれません。
信頼のある関係というのは、
癒され豊かな気分にしてくれます。
それは人と人との関係だけでなく、
動物や植物との関係にもいえることだと思います。
そのシンクロを起こさせているものは、
自我の心ではなく、もっと大きな心の源のようなものがあり、
その源から流れてくるものを内に流すというか、
身をゆだねるというか、外に流すというか、
うまく表現できませんが、
そんな感じのことではないかと漠然と思ったりしています。
田舎で暮らしはじめたころ、
ものすごいヒマジンな時期がありました。
家には家電製品はラジオしかなく、
日がな一日、小鳥やタヌキと遊んだり、
知人から貰ってきたハーブを植えたりして過ごしていました。
そのハーブを植えたときに、強く感じたことがありました。
山を削ったばかりの地面の土では、
なかなかハーブは根付きませんでした。
しかし、一度目は枯らしてしまっても、
二度目に植えると根付くということが何度かありました。
かといって、毎度二度目に根付くこともなく、
枯れることもありました。
そのときに、閃くというか、
うん、これはそうに違いないと思うことがありました。
それは、一度目に植えたハーブが、
たぶん土だと思うのですが、
なにかの情報のようなものを残すのではないかと感じたのでした。
二度目に植えたハーブが、その情報のようなものを受け取り、
その土に順応しようと、早めに変化しているから、
なんとか根付くのではないかと感じたのでした。
その後押しというか、
手助けとなるものは、
植えて世話をする人の思い、
つまり精神性が重要なのではないかと、
そのときに強く感じたのでした。
偉い植物学者が、そんなこたぁないと断言されたとしても、
自分が素直に思い、感じとったことというものは、
なかなか揺らがなかったりするのです。
無茶苦茶バカなことを書いているのかもしれませんが、
いまでもきっとそうに違いないと思ってます。
自然と密接な関係で生きている人ほど、
迷信など非科学的といわれるものを信じている気持ちがわかるような気がします。
くだらない迷信は捨て去ってもかまいませんが、
なかには真実もあったかもしれません。
捨て去ったよいものを取り戻し、
それらとハイテクを融合させたら、
豊かな時代になるのかもしれません。
いまは間違いなく文明の転換期です。
三界は唯心の所現なりです。
ここのところの燃料の高騰は、漁業関係者だけでなく、
田舎生活者にとっても、なかなかきびしい状況になってきています。
まわりの人たちからも、やれ景気が悪いだの、
将来への展望が見えないだのというような声をよく耳にします。
まあそれでも、殆どの家にはクルマがあって、
家では多くの家電製品に囲まれているのですから、
贅沢といえば贅沢なのかもしれません。
でも、なんか豊かな気分になれないあたりが、
なにかに毒されてしまっているのか、
それとも真の豊かさというものを勘違いしてきたのやもしれません。
そこで真の豊かさや幸せというものを、
自分の経験を通したことなどから考えたときに、
それは物質的なことよりも、人との関係性であったり、
動物や植物をも含めた自然との関係性だったりするのではないかと思うのです。
心が通じるという言葉があります。
それはお互いにどれだけシンクロしているかということであり、
しいては信頼性につながってくるのかもしれません。
信頼のある関係というのは、
癒され豊かな気分にしてくれます。
それは人と人との関係だけでなく、
動物や植物との関係にもいえることだと思います。
そのシンクロを起こさせているものは、
自我の心ではなく、もっと大きな心の源のようなものがあり、
その源から流れてくるものを内に流すというか、
身をゆだねるというか、外に流すというか、
うまく表現できませんが、
そんな感じのことではないかと漠然と思ったりしています。
田舎で暮らしはじめたころ、
ものすごいヒマジンな時期がありました。
家には家電製品はラジオしかなく、
日がな一日、小鳥やタヌキと遊んだり、
知人から貰ってきたハーブを植えたりして過ごしていました。
そのハーブを植えたときに、強く感じたことがありました。
山を削ったばかりの地面の土では、
なかなかハーブは根付きませんでした。
しかし、一度目は枯らしてしまっても、
二度目に植えると根付くということが何度かありました。
かといって、毎度二度目に根付くこともなく、
枯れることもありました。
そのときに、閃くというか、
うん、これはそうに違いないと思うことがありました。
それは、一度目に植えたハーブが、
たぶん土だと思うのですが、
なにかの情報のようなものを残すのではないかと感じたのでした。
二度目に植えたハーブが、その情報のようなものを受け取り、
その土に順応しようと、早めに変化しているから、
なんとか根付くのではないかと感じたのでした。
その後押しというか、
手助けとなるものは、
植えて世話をする人の思い、
つまり精神性が重要なのではないかと、
そのときに強く感じたのでした。
偉い植物学者が、そんなこたぁないと断言されたとしても、
自分が素直に思い、感じとったことというものは、
なかなか揺らがなかったりするのです。
無茶苦茶バカなことを書いているのかもしれませんが、
いまでもきっとそうに違いないと思ってます。
自然と密接な関係で生きている人ほど、
迷信など非科学的といわれるものを信じている気持ちがわかるような気がします。
くだらない迷信は捨て去ってもかまいませんが、
なかには真実もあったかもしれません。
捨て去ったよいものを取り戻し、
それらとハイテクを融合させたら、
豊かな時代になるのかもしれません。
いまは間違いなく文明の転換期です。
三界は唯心の所現なりです。
