My Sensibility - 最新エントリー
最近のアメリカ映画は面白くないというか、
深みがないというか心に残らないのが多い気がします。
手足が千切れたり内臓がドバッとか出たりする残酷なシーンも多くて、
どこかアメリカの病的なものさえ感じてしまいます。
『地球が静止する日』なんかも、
ガッカリしてしまうような内容で、
1951年のオリジナルの良さがまったく感じられませんでした。
そんななかで『ウォーリー(WALL-E)』はよかったです。
無垢で一途なウォーリーの姿が、どこかタヌキとダブってしまい、
掃除ロボットのウォーリーに、とても感情移入することができました。
ウォーリーの顔もどことなくタヌキっぽくて、
ぼくの精神年齢が幼児に近いからなのかもしれませんが、
なかなかよかったように思います。
そういえば無垢などという言葉は、
随分と忘れていたような気がします。
純真無垢とか白無垢という言葉しか浮かびませんが、
ウォーリーとタヌキを見ていて浮かんできました。
無垢なものと接するということは、
大変に価値のあることではないのかと思います。
無垢なものと接することで、
自分が浄化されてゆくような気がすることがありますし、
心が優しく豊かになってゆくようにも思います。
未来少年コナンのなかでラオ博士がラナに対して
『おまえの心はいつも優しいもので満ちているんだね』
というセリフがありました。
そこにラナの強さの秘密があるように思います。
辛いことや苦しいことがあったときに、
心のなかにある無垢なものとの記憶が、
どれだけ大きな力となることかと思います。
そんなことを思いながら、
今日もタヌキにパンやごはんをあげるのでした。
人はぼくのことをタヌキに化かされているのだといいます。
王子のブログに《大元占め》のことがでてきたので、
フィクサーの大元締めについて書いてみます。
すこし前にyoshikoさんと電話で話す機会があって、
フィクサーの大元締めの夢を見たんですよという話をして、
それ以来、大元締めの夢のことは忘れていました。
ぼくは、意識して考えるとあまり大したことはないのですが、
ときたま無意識や夢のなかで、おもしろいことを閃いたりするようですので、
もしかしたら、すこしは的を得ているところもあるのかもしれません。
>では、出資者であり、シナリオライターでもある《大元占め》の真の目的は、いったい?
>ずばり、
>『日本人の意識の変革』にあるのではないかと、
>陰謀王子は推察する(^o^)
http://tirmun.net/prince+index.p+173.htm
過去に何人ものフィクサーと称される人たちがいましたが、
そういう人たちのことが気になりだし、
明け方近くまでネットで色々と調べ、
脳味噌も目も限界になって寝てしまいました。
そしたら面白い夢を見ました。
日本のフィクサーの大元締めのようなご老人がでてきて、
いろいろと説明してくださいました。
このご老人のイメージというのが、
いかにも大フィクサーというものでなく、
どこにでも普通に溶け込めるような雰囲気とでもいうのか、
深みのある目の光だけが常人ではないという感じがしました。
そのご老人から色んな話を聞いて、な〜んだ、そうだったのか、
日本のフィクサーの大元締めって、
とんでもなく奥深いというか、
お金とか権力とかを超越しちゃっているというか、
数十年どころか、数百年単位で物事を考えているというか、
とてつもなく奥深くて凄いんだな〜と、いたく感心したのでした。
しかし目が覚めて起きてみたら、
何を聞いて何に感心したのか、
殆ど覚えていないところが笑ってしまうのですが、
とても歓心し、感心したという感覚だけが強く残りました。
ここからは妄想も入ってくるのですが、
無理やりに思い出そうと努力してみました。
フィクサーとして表に出てきたり、
またそのような存在として噂されるような組織や人物をも、
コントロールできるだけの何かを有した者たちが、
間違いなく存在するであろうという思いが強くしました。
日本列島の山々と潮流こそが源である。
というようなニュアンスのことを聞いたような気がします。
それは大元締めにとっての源なのか、
日本にとっての源なのかはわかりませんが、
山々と潮流こそが、大元締めのバックボーンという意味なのかもしれません。
確かに日本の山々は宝の山というような気がしますし、
黒潮に影響を受けて育ってきた者として、
どれほどの恩恵を受けてきたことかと思ったりします。
また日本のフィクサーの大元締めは、
中国や朝鮮半島のフィクサーに対しても、
大きな影響力を持っているというようなニュアンスのことを、
聞いたような気がします。
というより、日本という国を超えた視野で、
物事を考えているような気がしました。
忍者というか、隠密というのは、
場合によっては親子何代にも渡り、
商人であったり、または役人であったりと、
その地に根をおろして、
いざというときのために、忍んだという話を聞いたことがあります。
もしかしたら一生、忍者としての役割を果たすことはなくとも、
常にアンテナを研ぎ澄まし、
目立たない市井の人として過ごしたこともあったのかもしれません。
王仁三郎が植芝盛平を伴って入蒙したりしたのも、
もしかしたら大元締めが意図することの下地作りだったのかもしれません。
数十年、数百年をかけて、
人や文化を育て、その中から目に付いた人を選び、
時代の節目になると、それらを上手に組み合わせ、
日本の舵取りを行っていたような気がしてきました。
そんなことを考えてみると、
中国や朝鮮半島にも、そういった存在があっても不思議ではないと思い、
色々と検索してみました。
ネット上の情報ですから、
どこまでが本当なのかわかりませんが、
金正日の夫人とされ、もっとも影響力があるとされる金玉女史の祖父が、
北朝鮮建国の英雄、金策という人物であり、
日本人ではないかとの噂があると書かれたところがありました。
また反日教育で有名な江沢民ですが、
酔っ払うとソーラン節を日本語で歌うというようなことが書かれてあるところもありました。
彼らが日本の工作員だとは思いませんが、
もしかしたら大元締めの意図を汲んだ存在なのかもしれませんし、
彼らがそうでなくとも、そういう存在がいそうな気がしてなりません。
ついでに妄想を炸裂させれば、
欧米の黒幕はなかなか手強い存在だろうなと、
無知ながらに漠然と思ったりします。
しかし、天皇や大元締めの敏腕とでもいうのか、
また日本の国民性でもあるのかもしれませんが、
天才的というのか本能とでもいうのか、
超一級のボケ芸を無意識に発揮することによって、
欧米の意図に飲み込まれたようでいて、
いつのまにやら欧米の黒幕が墓穴を掘ってしまったというような、
そんな思いすらしてきました。
もしかしたら、今回の世界金融危機というのは、
勿論、欧米の黒幕も関係しているでしょうが、
大きな絵を描いたのは日本ではないかとさえ思えてきました。
今回の金融危機により、
随分と日本に巣食う反日組織といっていいのかわかりませんが、
あまり日本にとってよくなさそうな組織が弱体化しているということもあるかと思います。
損して得とれ または 肉を切らせて骨を断つ みたいな
ぼくにはお金はありませんが、
どうも日本はとてもお金持ちのようです。
さて、その富をどう使うかが、
これからの世界を牽引してゆくような気がします。
フィンランドのように、
すべての国民が老後の心配のない国になって欲しいものです。
いや世界の人たちが、でないと駄目なのかもしれません。
日本の対外純資産ってダントツなんですね。
深い意味まではわからないけれど、
とても重要なことだという気がします。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20080523mh03.htm
確か日本とドイツって、
創業200年以上の企業の数でも一位二位でした。
http://r25.jp/magazine/ranking_review/10005000/1112008071006.html
書けば書くほど、自分でも何を書いているのかわからなくなってきましたし、
これ以上アホを露呈するわけにもいきませんので、
このあたりにしておきます。
大元締めはきっといる そうとしか思えないほどきっといる
難しい大局の舵取りのため きっといる
フィクサーの大元締めについて書いてみます。
すこし前にyoshikoさんと電話で話す機会があって、
フィクサーの大元締めの夢を見たんですよという話をして、
それ以来、大元締めの夢のことは忘れていました。
ぼくは、意識して考えるとあまり大したことはないのですが、
ときたま無意識や夢のなかで、おもしろいことを閃いたりするようですので、
もしかしたら、すこしは的を得ているところもあるのかもしれません。
>では、出資者であり、シナリオライターでもある《大元占め》の真の目的は、いったい?
>ずばり、
>『日本人の意識の変革』にあるのではないかと、
>陰謀王子は推察する(^o^)
http://tirmun.net/prince+index.p+173.htm
過去に何人ものフィクサーと称される人たちがいましたが、
そういう人たちのことが気になりだし、
明け方近くまでネットで色々と調べ、
脳味噌も目も限界になって寝てしまいました。
そしたら面白い夢を見ました。
日本のフィクサーの大元締めのようなご老人がでてきて、
いろいろと説明してくださいました。
このご老人のイメージというのが、
いかにも大フィクサーというものでなく、
どこにでも普通に溶け込めるような雰囲気とでもいうのか、
深みのある目の光だけが常人ではないという感じがしました。
そのご老人から色んな話を聞いて、な〜んだ、そうだったのか、
日本のフィクサーの大元締めって、
とんでもなく奥深いというか、
お金とか権力とかを超越しちゃっているというか、
数十年どころか、数百年単位で物事を考えているというか、
とてつもなく奥深くて凄いんだな〜と、いたく感心したのでした。
しかし目が覚めて起きてみたら、
何を聞いて何に感心したのか、
殆ど覚えていないところが笑ってしまうのですが、
とても歓心し、感心したという感覚だけが強く残りました。
ここからは妄想も入ってくるのですが、
無理やりに思い出そうと努力してみました。
フィクサーとして表に出てきたり、
またそのような存在として噂されるような組織や人物をも、
コントロールできるだけの何かを有した者たちが、
間違いなく存在するであろうという思いが強くしました。
日本列島の山々と潮流こそが源である。
というようなニュアンスのことを聞いたような気がします。
それは大元締めにとっての源なのか、
日本にとっての源なのかはわかりませんが、
山々と潮流こそが、大元締めのバックボーンという意味なのかもしれません。
確かに日本の山々は宝の山というような気がしますし、
黒潮に影響を受けて育ってきた者として、
どれほどの恩恵を受けてきたことかと思ったりします。
また日本のフィクサーの大元締めは、
中国や朝鮮半島のフィクサーに対しても、
大きな影響力を持っているというようなニュアンスのことを、
聞いたような気がします。
というより、日本という国を超えた視野で、
物事を考えているような気がしました。
忍者というか、隠密というのは、
場合によっては親子何代にも渡り、
商人であったり、または役人であったりと、
その地に根をおろして、
いざというときのために、忍んだという話を聞いたことがあります。
もしかしたら一生、忍者としての役割を果たすことはなくとも、
常にアンテナを研ぎ澄まし、
目立たない市井の人として過ごしたこともあったのかもしれません。
王仁三郎が植芝盛平を伴って入蒙したりしたのも、
もしかしたら大元締めが意図することの下地作りだったのかもしれません。
数十年、数百年をかけて、
人や文化を育て、その中から目に付いた人を選び、
時代の節目になると、それらを上手に組み合わせ、
日本の舵取りを行っていたような気がしてきました。
そんなことを考えてみると、
中国や朝鮮半島にも、そういった存在があっても不思議ではないと思い、
色々と検索してみました。
ネット上の情報ですから、
どこまでが本当なのかわかりませんが、
金正日の夫人とされ、もっとも影響力があるとされる金玉女史の祖父が、
北朝鮮建国の英雄、金策という人物であり、
日本人ではないかとの噂があると書かれたところがありました。
また反日教育で有名な江沢民ですが、
酔っ払うとソーラン節を日本語で歌うというようなことが書かれてあるところもありました。
彼らが日本の工作員だとは思いませんが、
もしかしたら大元締めの意図を汲んだ存在なのかもしれませんし、
彼らがそうでなくとも、そういう存在がいそうな気がしてなりません。
ついでに妄想を炸裂させれば、
欧米の黒幕はなかなか手強い存在だろうなと、
無知ながらに漠然と思ったりします。
しかし、天皇や大元締めの敏腕とでもいうのか、
また日本の国民性でもあるのかもしれませんが、
天才的というのか本能とでもいうのか、
超一級のボケ芸を無意識に発揮することによって、
欧米の意図に飲み込まれたようでいて、
いつのまにやら欧米の黒幕が墓穴を掘ってしまったというような、
そんな思いすらしてきました。
もしかしたら、今回の世界金融危機というのは、
勿論、欧米の黒幕も関係しているでしょうが、
大きな絵を描いたのは日本ではないかとさえ思えてきました。
今回の金融危機により、
随分と日本に巣食う反日組織といっていいのかわかりませんが、
あまり日本にとってよくなさそうな組織が弱体化しているということもあるかと思います。
損して得とれ または 肉を切らせて骨を断つ みたいな
ぼくにはお金はありませんが、
どうも日本はとてもお金持ちのようです。
さて、その富をどう使うかが、
これからの世界を牽引してゆくような気がします。
フィンランドのように、
すべての国民が老後の心配のない国になって欲しいものです。
いや世界の人たちが、でないと駄目なのかもしれません。
日本の対外純資産ってダントツなんですね。
深い意味まではわからないけれど、
とても重要なことだという気がします。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20080523mh03.htm
確か日本とドイツって、
創業200年以上の企業の数でも一位二位でした。
http://r25.jp/magazine/ranking_review/10005000/1112008071006.html
書けば書くほど、自分でも何を書いているのかわからなくなってきましたし、
これ以上アホを露呈するわけにもいきませんので、
このあたりにしておきます。
大元締めはきっといる そうとしか思えないほどきっといる
難しい大局の舵取りのため きっといる
いつものようにヤマガラのために、
バードフィーダーにヒマワリの種を入れようとしたら、
ヤマガラが飛んできてピトっと手に留まりました。
ヤマガラが手に留まったのは、もう何年もなかったことでした。
あまり人に馴れてしまうと、
ぼくが留守をしている間に、簡単にトリモチで捕獲されてしまうので、
あまり懐かないようにしていました。
地区内の人が籠にヤマガラを一羽だけ入れ、それとトリモチの付いた木の枝を持って、
ヤマガラを捕獲するために堂々と敷地内を歩かれたこともあって、
何度か注意したことがありました。
そのときにはハラワタが煮えくり返るような怒りを覚えましたが、
同じ地区内の人だったので、冷静に紳士的に注意しました。
しかし、見知らぬ人だったら、かなり怒っていたかもしれません。
大の動物好きのA子さんがおっしゃってましたが、
かわいい動物を平気で虐待するような人間には、
平常心で八つ裂きにしてやれるわよという心境がよくわかります。
そんなヤマガラにピトっと留まられ、ハッと気づいたことがありました。
こんなに小さい生き物なのに、
からだの中にあった、諸々の溜まった悪いエネルギーとでもいうのか、
精神世界的な言葉でいうところの邪気とでもいうのか、
そういうものがヤマガラに吸い取られてゆくような感覚がいたしました。
くぅ〜と眩暈にも似た、陶酔感ような心地よさがありました。
ああ、これはアース(Earth)してくれているんだと、
直感的に言葉が浮かんできました。
電気製品を買うと、よく説明書にアースの必要性を謳っていますが、
それは感電や電磁波の影響を防止したりするのに、
余分な電気を地球に逃す為のもので、
使う人や機器を守るためのものという意味合いだったと思います。
ああ、人間も同じことなんだと、
そのときに気づきました。
アース(Earth)とは、そのもの地球という意味であり、
大地という意味でもあると思いますが、
人間も電気製品と同じように、
余分なエネルギーを大地に逃がすということは、
とても大切なことなのだと気づかされました。
人間も電気製品と同じように、
余分なエネルギーが溜まったり、
それこそ邪気と呼ばれるような、
負のエネルギーを受けて溜まることはあると思います。
それらを大地に逃がしたり、何者かに吸い取ってもらわなければ、
いずれ心身に悪い影響が出てくるのは、ものの道理という気がします。
そういえば、むかし言霊のおっさんが、
面白いことを言っていたのを思い出しました。
四国という土地は、インディアンやアポリジニの魂と繋がっているので、
阿波踊りのような踊りが生まれたのだと、
真顔で言っていたことがありました。
あの片足を上げて踊るというのは、
邪気を払うもっとも効率のよい方法のひとつで、
相撲の四股を踏むというのも、
同じような意味から来ているのだそうです。
ひとつのアースのかたちなのかもしれません。
それはさておき、動物にも同じようにアースしてくれる力があるのは、
間違いないように思います。
おそらく、人間同士でもあるでしょうし、
異性の場合は、アースとは違うのかもしれませんが、
細胞レベルで陰陽のやり取りをしているようなことがあって、
心身に好影響があるような気もします。
イルカと触れ合うことで自閉症が改善するという話も、
きっとアースしてくれる力が強く、
自然治癒力のエネルギーのやり取りみたいなものがあるのかもしれません。
また動物には、癒されたい人を察知する能力もあるのかもしれません。
ペットと触れ合うことを望むのも、
本能でアースしてくれていることを知っているからなのかもしれません。
最近、ペットに人間のような病気が増えてきているというのも、
人間の負のエネルギーを吸い取っているからなのかもしれませんし、
そうなると、ペットの負のエネルギーをアースしてあげるために、
散歩や野原を走らせたりすることは大切なことなのかもしれません。
より清浄な土地を裸足で歩いたり、
より自然に近い動物と触れ合ったりできることが、
どれだけ有難いことかと気づかされました。
より野生に近い動物の方が、アースする力が強いような気がしますが、
一度、アフリカへ行って、ローランドゴリラの背中を撫でてみたいものです。
強くアースしてくれるかわりに、
サバ折をきめられ、
アースに帰るかもしれませんが。
http://jp.youtube.com/watch?v=kg_cXybBhLk&NR=1
バードフィーダーにヒマワリの種を入れようとしたら、
ヤマガラが飛んできてピトっと手に留まりました。
ヤマガラが手に留まったのは、もう何年もなかったことでした。
あまり人に馴れてしまうと、
ぼくが留守をしている間に、簡単にトリモチで捕獲されてしまうので、
あまり懐かないようにしていました。
地区内の人が籠にヤマガラを一羽だけ入れ、それとトリモチの付いた木の枝を持って、
ヤマガラを捕獲するために堂々と敷地内を歩かれたこともあって、
何度か注意したことがありました。
そのときにはハラワタが煮えくり返るような怒りを覚えましたが、
同じ地区内の人だったので、冷静に紳士的に注意しました。
しかし、見知らぬ人だったら、かなり怒っていたかもしれません。
大の動物好きのA子さんがおっしゃってましたが、
かわいい動物を平気で虐待するような人間には、
平常心で八つ裂きにしてやれるわよという心境がよくわかります。
そんなヤマガラにピトっと留まられ、ハッと気づいたことがありました。
こんなに小さい生き物なのに、
からだの中にあった、諸々の溜まった悪いエネルギーとでもいうのか、
精神世界的な言葉でいうところの邪気とでもいうのか、
そういうものがヤマガラに吸い取られてゆくような感覚がいたしました。
くぅ〜と眩暈にも似た、陶酔感ような心地よさがありました。
ああ、これはアース(Earth)してくれているんだと、
直感的に言葉が浮かんできました。
電気製品を買うと、よく説明書にアースの必要性を謳っていますが、
それは感電や電磁波の影響を防止したりするのに、
余分な電気を地球に逃す為のもので、
使う人や機器を守るためのものという意味合いだったと思います。
ああ、人間も同じことなんだと、
そのときに気づきました。
アース(Earth)とは、そのもの地球という意味であり、
大地という意味でもあると思いますが、
人間も電気製品と同じように、
余分なエネルギーを大地に逃がすということは、
とても大切なことなのだと気づかされました。
人間も電気製品と同じように、
余分なエネルギーが溜まったり、
それこそ邪気と呼ばれるような、
負のエネルギーを受けて溜まることはあると思います。
それらを大地に逃がしたり、何者かに吸い取ってもらわなければ、
いずれ心身に悪い影響が出てくるのは、ものの道理という気がします。
そういえば、むかし言霊のおっさんが、
面白いことを言っていたのを思い出しました。
四国という土地は、インディアンやアポリジニの魂と繋がっているので、
阿波踊りのような踊りが生まれたのだと、
真顔で言っていたことがありました。
あの片足を上げて踊るというのは、
邪気を払うもっとも効率のよい方法のひとつで、
相撲の四股を踏むというのも、
同じような意味から来ているのだそうです。
ひとつのアースのかたちなのかもしれません。
それはさておき、動物にも同じようにアースしてくれる力があるのは、
間違いないように思います。
おそらく、人間同士でもあるでしょうし、
異性の場合は、アースとは違うのかもしれませんが、
細胞レベルで陰陽のやり取りをしているようなことがあって、
心身に好影響があるような気もします。
イルカと触れ合うことで自閉症が改善するという話も、
きっとアースしてくれる力が強く、
自然治癒力のエネルギーのやり取りみたいなものがあるのかもしれません。
また動物には、癒されたい人を察知する能力もあるのかもしれません。
ペットと触れ合うことを望むのも、
本能でアースしてくれていることを知っているからなのかもしれません。
最近、ペットに人間のような病気が増えてきているというのも、
人間の負のエネルギーを吸い取っているからなのかもしれませんし、
そうなると、ペットの負のエネルギーをアースしてあげるために、
散歩や野原を走らせたりすることは大切なことなのかもしれません。
より清浄な土地を裸足で歩いたり、
より自然に近い動物と触れ合ったりできることが、
どれだけ有難いことかと気づかされました。
より野生に近い動物の方が、アースする力が強いような気がしますが、
一度、アフリカへ行って、ローランドゴリラの背中を撫でてみたいものです。
強くアースしてくれるかわりに、
サバ折をきめられ、
アースに帰るかもしれませんが。
http://jp.youtube.com/watch?v=kg_cXybBhLk&NR=1
辛いことがあると思い出す本があります。
それは、『たった一人の生還「たか号」漂流二十七日間の闘い』という本です。
小さなころから、なぜだかヨットというものが好きで、
本気で太平洋横断なんて考えたこともありました。
この本は、12,3年前に船舶免許と取得しようと思い、
講習に通っているときに読んだ本でした。
本が出る以前からヨット雑誌などで、
たか号の遭難事故についての記事を読んでいましたから、
とても読みたかったこともあり、
一晩寝ずに没頭して読みました。
その後、繰り返して二三度読みました。
冒険やサバイバルというものに、
どこか憧れをもつ性分でしたが、
あまりの生々しさに打ちのめされ、
自分が追体験してしまったような状態になり、
数日間、魂が抜けてしまったようにさえなりました。
グアムまでの外洋ヨットレースに参加していた「たか号」が、
悪天候のなか転覆してしまい一人が死亡、
残った六人が救命筏で二十七日間漂流し、
たった一人生還した人による回想録です。
不運が重なり、救命信号無線が作動せず、
ヨットから救命筏に乗り移るさいに水食料の殆どを失い、
狭い救命筏でのサバイバル、
捜索隊への期待と絶望、険悪なムード、
仲間の死、そして自暴自棄、
生々しい状況が目に映るような内容でした。
三角錐の屋根の付いた救命筏というものは、
思ったよりも狭く圧迫感があり、
そこへ六人で過ごすというのは、
それぞれが足を伸ばせないという状況にあって、
床がゴム一枚で海の状態ですから、
体が不安定な状態で膝を抱えて何日も過ごすことを想像しただけでも、
その辛さから息苦しくなりました。
そのうちに足を伸ばすことになるのですが、
必ず足が誰かの足の下になるわけですから、
順番に入れ替えたりしたそうです。
そこでポジションを巡って険悪なムードが生まれてきたそうです。
そいういう状況が、六人で十日ほど続いたのですから、
想像しただけでも胃が痛くなりそうでした。
足が伸ばせて寝れるだけでも、
安定した床で寝れるだけでも、
有難いと思えます。
殆どの水と食料を失っていたことから、
一度の食事がペットボトルのキャップ一杯の水に、
ビスケットが親指の爪くらいの大きさみたいな、
そんな状況が続いたようです。
人によっては、自分のおしっこを一緒に飲んだりもしたようです。
質素な食事でも、
水が好きなだけ飲めるだけで、
どれだけ有難いことかと思います。
救命筏の床は常に海水が溜まり、
お尻がふやけて床ずれのような状態になり、
そのうちにおしっこも座ったままするので、
不衛生極まりない状態であったと思います。
お日様に干した服と布団で寝れるのが、
どれだけ有難いことかと思います。
そんな状況のなか、一人死に二人死にとしてゆきますが、
最後に若い二人がサバイバルすることになります。
偶然、救命筏の屋根に留まった海鳥を捕まえ、
クチバシを上手に使って解体し、
二人で食べたそうです。
腸をチュルチュルとすすって食べたそうですが、
二人で食べたときには、とても美味しかったそうです。
しかし、その若い一人も死に、
再び海鳥を捕まえて食べたときには、
生きるという執念だけで、
鬼気迫るものがあったそうです。
そのことを思ったら、
素麺だけでもチュルチュルとすすれるだけでも、
有難いと思います。
有難いと思って生きなければ、
これからは厳しい世の中なのかもしれません。
それは、『たった一人の生還「たか号」漂流二十七日間の闘い』という本です。
小さなころから、なぜだかヨットというものが好きで、
本気で太平洋横断なんて考えたこともありました。
この本は、12,3年前に船舶免許と取得しようと思い、
講習に通っているときに読んだ本でした。
本が出る以前からヨット雑誌などで、
たか号の遭難事故についての記事を読んでいましたから、
とても読みたかったこともあり、
一晩寝ずに没頭して読みました。
その後、繰り返して二三度読みました。
冒険やサバイバルというものに、
どこか憧れをもつ性分でしたが、
あまりの生々しさに打ちのめされ、
自分が追体験してしまったような状態になり、
数日間、魂が抜けてしまったようにさえなりました。
グアムまでの外洋ヨットレースに参加していた「たか号」が、
悪天候のなか転覆してしまい一人が死亡、
残った六人が救命筏で二十七日間漂流し、
たった一人生還した人による回想録です。
不運が重なり、救命信号無線が作動せず、
ヨットから救命筏に乗り移るさいに水食料の殆どを失い、
狭い救命筏でのサバイバル、
捜索隊への期待と絶望、険悪なムード、
仲間の死、そして自暴自棄、
生々しい状況が目に映るような内容でした。
三角錐の屋根の付いた救命筏というものは、
思ったよりも狭く圧迫感があり、
そこへ六人で過ごすというのは、
それぞれが足を伸ばせないという状況にあって、
床がゴム一枚で海の状態ですから、
体が不安定な状態で膝を抱えて何日も過ごすことを想像しただけでも、
その辛さから息苦しくなりました。
そのうちに足を伸ばすことになるのですが、
必ず足が誰かの足の下になるわけですから、
順番に入れ替えたりしたそうです。
そこでポジションを巡って険悪なムードが生まれてきたそうです。
そいういう状況が、六人で十日ほど続いたのですから、
想像しただけでも胃が痛くなりそうでした。
足が伸ばせて寝れるだけでも、
安定した床で寝れるだけでも、
有難いと思えます。
殆どの水と食料を失っていたことから、
一度の食事がペットボトルのキャップ一杯の水に、
ビスケットが親指の爪くらいの大きさみたいな、
そんな状況が続いたようです。
人によっては、自分のおしっこを一緒に飲んだりもしたようです。
質素な食事でも、
水が好きなだけ飲めるだけで、
どれだけ有難いことかと思います。
救命筏の床は常に海水が溜まり、
お尻がふやけて床ずれのような状態になり、
そのうちにおしっこも座ったままするので、
不衛生極まりない状態であったと思います。
お日様に干した服と布団で寝れるのが、
どれだけ有難いことかと思います。
そんな状況のなか、一人死に二人死にとしてゆきますが、
最後に若い二人がサバイバルすることになります。
偶然、救命筏の屋根に留まった海鳥を捕まえ、
クチバシを上手に使って解体し、
二人で食べたそうです。
腸をチュルチュルとすすって食べたそうですが、
二人で食べたときには、とても美味しかったそうです。
しかし、その若い一人も死に、
再び海鳥を捕まえて食べたときには、
生きるという執念だけで、
鬼気迫るものがあったそうです。
そのことを思ったら、
素麺だけでもチュルチュルとすすれるだけでも、
有難いと思います。
有難いと思って生きなければ、
これからは厳しい世の中なのかもしれません。
あまり考えて文章を書くと、
ついついセーブしがちになってしまいますので、
前回は思い浮かんだまま書いてみたのですが、
少しは熟慮すべきだったかもと若干の後悔はしています。
でも身を削るようにして書くほか、
いまのぼくにはできませんので、
殆ど人に話すことのなかった体験を、
引き続きありのまま書いてゆこうと思います。
いまさら、こういう話を書いたところで、
意味があるのかどうかわかりませんが、
そういうこともあるのだろうという程度にお読みください。
まず強く印象に残っている夢とUFO目撃談を書いてみます。
UFOの不思議な夢です。
なにもない広場のようなところでひとり空を見上げていました。
天空からは超巨大な龍のようなものが地上に近づいてきていました。
近づくにつれ、それは無数のUFOの母船が連なった大編隊だということがわかりました。
恐怖はなく、むしろ荘厳さに圧倒され神聖ささえ感じていました。
UFO(宇宙船といったほうが近い感じかもしれません)の大編隊の下降が止まり、
ひとつの母船のなかから小型のUFOがぼくの真上に降りてきました。
そのUFOからスポットライトのようなものが浴びせられ、
ぼくの体は宙へと引き上げられてゆきました。
目が覚めたときに、言葉には言い尽くしがたい不思議な感覚が残ったのを、
今でも覚えています。
な〜んか不思議な夢を見ちゃったなぁという気もしたのですが、
これはけっして自分の頭の中から沸いて出てきたものではないのだという、
揺るぎのない直感のようなものがありました。
印象的なUFOを目撃したときの話です。
深夜遅く寝る前にトイレに行っておこうと部屋を出たのですが、
トイレには向かわず、ふと外にでたときのことでした。
とても低く雲がたちこめていて、
すぐ頭上に雲があるかのような暗い夜でした。
突然、何色もの光が雲を染めたかと思ったら、
まるで龍が雲を縫うようにして、
カラフルな光を発光させたUFOが、
雲からでたり隠れたりするのを見ました。
なんというか、一言でいうと綺麗でした。
興奮することもなく、
淡々とした気持ちで、
綺麗なUFO見たなぁという感じだったように思います。
それから何度となく不思議な夢やUFOを見ることがありました。
あれはUFOかなぁ〜なんだろう、というものではなく、
かなりリアルにUFOを見るということがありましたが、
今思えば興奮するとか驚くとか一切なく、
とても静かな気持ちで見ていた気がします。
不思議な夢のなかに、
浩宮さまがでてくることも何度かありました。
パターンは違うのですが、
力を合わせて困難を乗り切るというような夢でした。
そして1981年の正月が明けたくらいのときに、
昭和天皇皇后両陛下の夢を見ました。
まさに日本晴れというような清清しさのなか
堂々と凛とした、
クッキリスッキリ爽やかな富士山を見ていました。
場面はギリシャ神話にでてくるような宮殿のようなところに移り、
昭和天皇皇后両陛下と差し向かいになって、
祝い事をしているようでした。
ニコニコと微笑む昭和天皇がとても神々しくて、
そしてなんとも晴れ晴れしくて、
有難くて今思い出しても目頭があつくなってくるような夢でした。
この夢のことを書いていると、
現状の自分のアホさ加減と不甲斐なさが、
恥ずかしくて仕方がありませんし、
また宮内庁や勘違いした右翼から、お前みたいな大馬鹿ものが、
なにを畏れ多いことを書くのだとお叱りを受けるかもしれません。
しかし、見てしまったのだから書かないわけにはいきませんでした。
それらのことは19歳ころから21歳ころに集中しておこり、
その後、不思議な夢もUFOを見ることも殆どなくなりました。
今となれば、実際に見たと信じているUFOですが、
脳内で見たのか、実際に目で見たものなのかはわかりません。
上京し、銀座でウエイターをしていたときでした。
上司に頼まれ、注文の本を本屋に取りにいったときに、
一冊の本が目にとまり買い求めました。
その本のなかには、
ぼくが見た夢の内容と同じようなことが書かれてありました。
同じような体験をした人が大勢いるということも知り、
そういう人たちの集まりに何度か顔をだしました。
静かな集まりというか、
ごく普通の人たちが多かったように思います。
神社の神主さんなんかも来ていたようです。
いまでもそういう集まりがあるのかどうか知りませんが、
ネットで『オイカイワタチ』と検索してみると、
情報はあるようです。
ぼくの良いところなのか、悪いところなのか知りませんが、
自分では思いもしなかったことに、
あなたはとても冷静な人なのですよ、
と人から言われることがあります。
精神世界にどっぷりと興味を持っていた若いころに、
新興宗教、主にカルト系のものが殆どでしたが、
よく勧誘をうけ、アパートまで来られて深夜まで粘られたことが幾度となくありました。
あなたは選ばれた人なんですよ、なんて言わたりすると、
どこか白けちゃって、内心では、あなたは駄目なんですよと聞こえてくるようでしたから、
どこか冷静なところがあったのかもしれません。
当時、古本屋で見つけた竜王文庫、三浦関造著『聖者あらたに生る』という本に深く感銘をうけ、
出版元の竜王会というところまで、
いきなり押しかけたことがありました。
三浦関造先生の娘さんで、初老のおばさんが代表として、
会って話をしてくださいました。
当時は田無市にあった小さなプレハブの家でした。
しばらく話をしてから、
あなたは・・・少し沈黙があって・とても真剣に求めていることがわかります、
これからの時代、けっして修行などというものは、
してはいけませんよというようなニュアンスのことをアドバイスしてくださいました。
そういえば上京してまもないころ、
なにを思ったか、
四谷のイグナチオ教会へ洗礼してもらおうと出向いたことがありました。
当時、違法に改造したチョッパーのバイクに乗り、
服は米軍払い下げのジャケットに、
頭はカーリーヘアーが伸びて、
アウトローとヒッピーを悪い意味で足して割ったような、
なんともガラの悪い変な格好だったと思います。
そのときに対応してくれた神父の感じの悪いこと悪いこと、
人を見た目で判断しているというか、
見下しているというか、
慇懃無礼な態度というか、
あと少しのところで、おまえになど洗礼してもろたら、
逆に穢れるわいと暴言を吐きそうになったほどでした。
それ以来、洗礼を受けたいなどとは、
二度とは思わなくなりました。
ある意味、それがぼくにとって正しい洗礼だったのかもしれません。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありとでもいうのか、
初老のシスターがとても親切にしてくださり、
何度か通ってシスターと話をしたことがありました。
何度目かのときに、これが最後だと思い、
記念として少し無理をして金のマリア様のメダイを買い求めました。
シスターから、こんな高いものを買っても大丈夫ですかと、
何度も心配してくださったことが、
いまでもとても良い思い出としてメダイと共に残っています。
そのメダイはその後15年間ほど、
ずっとペンダントとして片時も外すことなく、
鎖が切れるまで、お守りとして身に付けていました。
そういうことがあったので、
あなたは・・・と少し沈黙があったときに、
見た目は変な暴走族のような格好ですがと言われるのかと、
少しハラハラしました。
その後、このお方は信頼できると思い、
竜王会の集まりに何度か顔をだしました。
地味な感じのごく普通のおばさんや若い人もいました。
前に座っているおばちゃんの靴下にポッカリ穴が開いていたのを、
なぜか鮮明な記憶として残っています。
青年会というのにも参加してみたところ、
神智学のブラヴァツキーをロシア語の原文で勉強するような感じで、
ぼくにはチンプンカンプンだったので、
何度か顔をだしただけで行かなくなりました。
しかし、いまでもオイカイワタチに集まっていた人たちや、
竜王会に集まっていた人たちは、
至ってまっとうな人たちだったように思っています。
声高に神秘思想を語るでもなく、
淡々と静かにひっそりと、
真摯に探求していたのように思います。
そんなこんなで、
スピリチュアルなことは、
ぼくを構成する要素として大きくあるにはあるのですが、
かといって、いうほどもUFOとかに興味があるわけでなく、
チャネリングとかスピリチュアルブームなどといわれても、
あっそうというような感じだったりします。
いかにも自分は霊能者だというような人をみると、
なんか胡散臭いというか、あまり次元が高いようには思えません。
精神世界というか、スピリチュアルなことに関心のある人の落とし穴として、
自分に対しての特別感というのか選民感というのか、
宗教なんかだと、自分のほうが教祖に近い、理解度が高いみたいな、
自惚れのような自己愛のような、
もうアホかという気がして、白けちゃったりします。
むかしは新興宗教のなかにも、面白い人や精神性の高い人がいたんだと思います。
金光教や大本教の明治時代の話なんか聞くと、
ある教会に乞食が訪ねてきて、そこの教会主が話をしてみたら、
えらく乞食の話に感銘を受けて、あんたは面白い人やねとばかりに、
教会からなにから一切合財その乞食にあげて、
自分が裸一貫になって出て行ったなんていう話もあったそうです。
昨今ブームなのかはしりませんが、
アセッションという言葉も、
共感できる部分も多いのですが、
どこかしっくりとこない違和感を感じることもあります。
ぼくが堕落していると言われれば、
返す言葉もなく、そうなのかもしれませんが、
なにかもっと、静かで地味でコツコツというか、
そんなイメージが浮かぶようなことが、
ほんとうではないかという気がしています。
でも、地球外の宇宙人なんて、
いてあたりまえだとも思っていますし、
いまの科学では再現性のない、
摩訶不思議なことが起こることも自然に思っています。
また逆に、いくら自分が不思議な夢を見て、
UFOを目の当たりに見たとしても、
ある種の人間に、そのような夢を見せたり、
UFOを幻視させたりするテクノロジーなり秘儀を
有している組織もあるかもしれませんから、
決して自分が体験してきたことが正しいとか、
妄信もしていませんし、人に自慢もしたこともありません。
未来は刻々と変化してゆくものですから、
夢を見た当時の流れからは、
そういう状況というか未来のビジョンがあったかもしれません。
またある日突然、天空にUFOの大編隊がやってきたとしても、
驚くこともないと思います。
それらが偽物なのか本物なのか、正しいものなのか悪いものなのか、
見極める努力は怠りたくないという思いはしています。
どういう努力なのか、自分でもわかりませんが。
年月を重ねてゆくことで、
自分のなかのものを膨らませたり、
逆にそぎ落としたりしてゆくことがありますが、
こうやって随分むかしに体験したことを書いていると、
いまでも揺るがない思いはなんなのかと考えたときに、
天皇や皇太子に対しての思いというのは、
ずっと残り続けているような気がします。
声高に天皇万歳、皇太子殿下万歳という気はまったくありませんが、
密かに、また、いざ鎌倉ではないですが、
こんなぼくでもお役に立てることがあるのなら、
身命を尽くしてでもという思いは、
不思議なことにずっと残っています。
そういう思いは、なにゆえに生まれるものなのか、
納得できるよう、ぼくに説明してくれる人があれば、
お教え願いたく思います。
これまでの話は、ほんの僅かの人にしかしてきませんでした。
過去に天皇を肯定するようなことを言って、
なんどもボロクソに言われ、
まえに運営していたサイトでは反天皇の人が暴れたり、
特に左寄りの人は理論武装していますから、
無知だのアホだの散々に言われてきましたが、
これがぼくの正直な心情です。
おまえは右翼かと罵られたりもしましたが、
君が代も日の丸も大好きなところがありますから、
右翼といわれても、そうなのかもしれません。
時代は右翼だの左翼だのではなく、
正しいか正しくないかであり、
前進しているか後退しているかだという気もするのですが、
この際、開き直ってしまえば、
ああそうさ、ぼくは右翼といわれても結構だよ。
野村秋介さんと銀座で目がチラッとあったことがあったけど、
それ以来、妙に親しみを感じるというか、
とても好きな人だったよ。
そのことを、知り合った純粋右翼の人に言ったら、
どこか共通した匂いみたいものを感じると言われて、
なんか嬉しかったよ。
この際、もっと書いてやるんだ!
ああ左巻きの人の思想も嫌いだよ。
なんで日本の悪口ばかり言うんだよ。
天皇が差別の元凶だという人もいるけど、
じゃ韓国や中国はどうなんだと言いたいよ。
ぼくは開けっぴろげな性格だから、
部落の血が流れていることも、
どうもサンカの血が先祖帰りしたようなところがあるみたいだとか、
平気で人に話したりするけれど、
それで差別されたことなんてないよ。
影でコソコソと差別するような人はいたかもしれないけれど、
そんな人は弱く無知で逆にコンプレックスを持った人だと思っているから、
いたくもかゆくもなかったよ。
逆に差別されていると、卑屈になっている人もみっともないよ。
在日コリアンだって、帰化して代議士になれる国だよ。
被差別部落に生まれて、一代でこの国を代表する企業を育てた人だっているんだよ。
サンカなんて、影に隠れてわかりにくいけど、
もっと凄いかもしれないんだよ。
質の高い立派な人ほど、差別はしないものだと感じてきたよ。
これはぼくだけの意見でなく、
帰化したA子さんも言ってたけれど、
おそらく世界でも指折りの差別のない国は日本だと思うよ。
ついでにいえば宗教やっている人も嫌いだよ。
押し付けがましくて鬱陶しいよ。
とくに創価学会なんて嫌いだよ。
弱者に優しいというのはよいところだと思うけど、
どうして神社にお参りしたら駄目なんだよ。
ここは日本だし、産土ということを知らないのかい。
公明党の市会議員に近い人に言ってあげたことがあるよ。
何年か前、確か戦後60年くらいのときに、
無性に靖国神社へお参りしたくなって、
参拝したことがあったよ。
不思議なことに、知人にもそういう人が何人かいて、
帰化したA子さんも同じころ靖国神社へ参拝にいったみたいです。
共通した感覚というか思ったことは、
良くも悪くも英霊がとても強い力を持って動き出したように思うでした。
だから、売国奴的な行いや、日本を貶めたりする人には、
なにか怖いことが起こるんじゃないかなぁ〜と囁いたら、
とても嫌な顔してました。
ぼくは戦争も暴力も反対です。
でも、自衛隊は好きです。
ある意味、世界で一番まっとうな軍隊になる可能性を感じることがあります。
奇麗事では大切なものは守れません。
少し話が脱線してしまいました。
不思議な夢を見なくても、
過去に接してきた半数くらいの人たちは、
天皇に対し例えていうならば西行の歌にあるような、
『なにごとの おはしますかはしらねども かたじけなさに涙こぼるる』
のような感性を持っていたように思いますから、
この日本という国において天皇という存在は、
やはり重要な意味があるように思います。
この国の歴史を考えると、
外圧によってでしか変わることのできない国でもあるように思います。
いつのまにやら世界を席捲してしまったアニメなんかのことを考えると、
日本というのは東洋でも西洋でもないのだということに気づかされることがあります。
だからこそ潜在した、世界に与える影響力を有しているようにも思えます。
アインシュタインのメッセージなのかどうかはともかく、
それは武力や金力ではない、
別のもの、それは価値観なのか精神性なのかテクノロジーなのかはわかりませんが、
あたらしいなにかを世界に向けて、
発信できる可能性を秘めているように思えます。
アインシュタインが残した日本へのメッセージ
http://www.kumanolife.com/History/ain.html
書いていて思ったのですが、
いまの日本にとって外圧となるものは、
他の惑星からのものという可能性もあるような気がしてきました。
大切なことは、惑わされないということ・・・
山の中での独り暮らしが長くなると、
自分史を振り返るということが何度となくあって、
また、浄化ということにおいて、
自分史を振り返るということはとても重要なことなのですが、
視点を変えてあらためて振り返ることで、
忘れていたことに気づかされたり、
大切なことを思い出させてくれたような気がします。
ついついセーブしがちになってしまいますので、
前回は思い浮かんだまま書いてみたのですが、
少しは熟慮すべきだったかもと若干の後悔はしています。
でも身を削るようにして書くほか、
いまのぼくにはできませんので、
殆ど人に話すことのなかった体験を、
引き続きありのまま書いてゆこうと思います。
いまさら、こういう話を書いたところで、
意味があるのかどうかわかりませんが、
そういうこともあるのだろうという程度にお読みください。
まず強く印象に残っている夢とUFO目撃談を書いてみます。
UFOの不思議な夢です。
なにもない広場のようなところでひとり空を見上げていました。
天空からは超巨大な龍のようなものが地上に近づいてきていました。
近づくにつれ、それは無数のUFOの母船が連なった大編隊だということがわかりました。
恐怖はなく、むしろ荘厳さに圧倒され神聖ささえ感じていました。
UFO(宇宙船といったほうが近い感じかもしれません)の大編隊の下降が止まり、
ひとつの母船のなかから小型のUFOがぼくの真上に降りてきました。
そのUFOからスポットライトのようなものが浴びせられ、
ぼくの体は宙へと引き上げられてゆきました。
目が覚めたときに、言葉には言い尽くしがたい不思議な感覚が残ったのを、
今でも覚えています。
な〜んか不思議な夢を見ちゃったなぁという気もしたのですが、
これはけっして自分の頭の中から沸いて出てきたものではないのだという、
揺るぎのない直感のようなものがありました。
印象的なUFOを目撃したときの話です。
深夜遅く寝る前にトイレに行っておこうと部屋を出たのですが、
トイレには向かわず、ふと外にでたときのことでした。
とても低く雲がたちこめていて、
すぐ頭上に雲があるかのような暗い夜でした。
突然、何色もの光が雲を染めたかと思ったら、
まるで龍が雲を縫うようにして、
カラフルな光を発光させたUFOが、
雲からでたり隠れたりするのを見ました。
なんというか、一言でいうと綺麗でした。
興奮することもなく、
淡々とした気持ちで、
綺麗なUFO見たなぁという感じだったように思います。
それから何度となく不思議な夢やUFOを見ることがありました。
あれはUFOかなぁ〜なんだろう、というものではなく、
かなりリアルにUFOを見るということがありましたが、
今思えば興奮するとか驚くとか一切なく、
とても静かな気持ちで見ていた気がします。
不思議な夢のなかに、
浩宮さまがでてくることも何度かありました。
パターンは違うのですが、
力を合わせて困難を乗り切るというような夢でした。
そして1981年の正月が明けたくらいのときに、
昭和天皇皇后両陛下の夢を見ました。
まさに日本晴れというような清清しさのなか
堂々と凛とした、
クッキリスッキリ爽やかな富士山を見ていました。
場面はギリシャ神話にでてくるような宮殿のようなところに移り、
昭和天皇皇后両陛下と差し向かいになって、
祝い事をしているようでした。
ニコニコと微笑む昭和天皇がとても神々しくて、
そしてなんとも晴れ晴れしくて、
有難くて今思い出しても目頭があつくなってくるような夢でした。
この夢のことを書いていると、
現状の自分のアホさ加減と不甲斐なさが、
恥ずかしくて仕方がありませんし、
また宮内庁や勘違いした右翼から、お前みたいな大馬鹿ものが、
なにを畏れ多いことを書くのだとお叱りを受けるかもしれません。
しかし、見てしまったのだから書かないわけにはいきませんでした。
それらのことは19歳ころから21歳ころに集中しておこり、
その後、不思議な夢もUFOを見ることも殆どなくなりました。
今となれば、実際に見たと信じているUFOですが、
脳内で見たのか、実際に目で見たものなのかはわかりません。
上京し、銀座でウエイターをしていたときでした。
上司に頼まれ、注文の本を本屋に取りにいったときに、
一冊の本が目にとまり買い求めました。
その本のなかには、
ぼくが見た夢の内容と同じようなことが書かれてありました。
同じような体験をした人が大勢いるということも知り、
そういう人たちの集まりに何度か顔をだしました。
静かな集まりというか、
ごく普通の人たちが多かったように思います。
神社の神主さんなんかも来ていたようです。
いまでもそういう集まりがあるのかどうか知りませんが、
ネットで『オイカイワタチ』と検索してみると、
情報はあるようです。
ぼくの良いところなのか、悪いところなのか知りませんが、
自分では思いもしなかったことに、
あなたはとても冷静な人なのですよ、
と人から言われることがあります。
精神世界にどっぷりと興味を持っていた若いころに、
新興宗教、主にカルト系のものが殆どでしたが、
よく勧誘をうけ、アパートまで来られて深夜まで粘られたことが幾度となくありました。
あなたは選ばれた人なんですよ、なんて言わたりすると、
どこか白けちゃって、内心では、あなたは駄目なんですよと聞こえてくるようでしたから、
どこか冷静なところがあったのかもしれません。
当時、古本屋で見つけた竜王文庫、三浦関造著『聖者あらたに生る』という本に深く感銘をうけ、
出版元の竜王会というところまで、
いきなり押しかけたことがありました。
三浦関造先生の娘さんで、初老のおばさんが代表として、
会って話をしてくださいました。
当時は田無市にあった小さなプレハブの家でした。
しばらく話をしてから、
あなたは・・・少し沈黙があって・とても真剣に求めていることがわかります、
これからの時代、けっして修行などというものは、
してはいけませんよというようなニュアンスのことをアドバイスしてくださいました。
そういえば上京してまもないころ、
なにを思ったか、
四谷のイグナチオ教会へ洗礼してもらおうと出向いたことがありました。
当時、違法に改造したチョッパーのバイクに乗り、
服は米軍払い下げのジャケットに、
頭はカーリーヘアーが伸びて、
アウトローとヒッピーを悪い意味で足して割ったような、
なんともガラの悪い変な格好だったと思います。
そのときに対応してくれた神父の感じの悪いこと悪いこと、
人を見た目で判断しているというか、
見下しているというか、
慇懃無礼な態度というか、
あと少しのところで、おまえになど洗礼してもろたら、
逆に穢れるわいと暴言を吐きそうになったほどでした。
それ以来、洗礼を受けたいなどとは、
二度とは思わなくなりました。
ある意味、それがぼくにとって正しい洗礼だったのかもしれません。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありとでもいうのか、
初老のシスターがとても親切にしてくださり、
何度か通ってシスターと話をしたことがありました。
何度目かのときに、これが最後だと思い、
記念として少し無理をして金のマリア様のメダイを買い求めました。
シスターから、こんな高いものを買っても大丈夫ですかと、
何度も心配してくださったことが、
いまでもとても良い思い出としてメダイと共に残っています。
そのメダイはその後15年間ほど、
ずっとペンダントとして片時も外すことなく、
鎖が切れるまで、お守りとして身に付けていました。
そういうことがあったので、
あなたは・・・と少し沈黙があったときに、
見た目は変な暴走族のような格好ですがと言われるのかと、
少しハラハラしました。
その後、このお方は信頼できると思い、
竜王会の集まりに何度か顔をだしました。
地味な感じのごく普通のおばさんや若い人もいました。
前に座っているおばちゃんの靴下にポッカリ穴が開いていたのを、
なぜか鮮明な記憶として残っています。
青年会というのにも参加してみたところ、
神智学のブラヴァツキーをロシア語の原文で勉強するような感じで、
ぼくにはチンプンカンプンだったので、
何度か顔をだしただけで行かなくなりました。
しかし、いまでもオイカイワタチに集まっていた人たちや、
竜王会に集まっていた人たちは、
至ってまっとうな人たちだったように思っています。
声高に神秘思想を語るでもなく、
淡々と静かにひっそりと、
真摯に探求していたのように思います。
そんなこんなで、
スピリチュアルなことは、
ぼくを構成する要素として大きくあるにはあるのですが、
かといって、いうほどもUFOとかに興味があるわけでなく、
チャネリングとかスピリチュアルブームなどといわれても、
あっそうというような感じだったりします。
いかにも自分は霊能者だというような人をみると、
なんか胡散臭いというか、あまり次元が高いようには思えません。
精神世界というか、スピリチュアルなことに関心のある人の落とし穴として、
自分に対しての特別感というのか選民感というのか、
宗教なんかだと、自分のほうが教祖に近い、理解度が高いみたいな、
自惚れのような自己愛のような、
もうアホかという気がして、白けちゃったりします。
むかしは新興宗教のなかにも、面白い人や精神性の高い人がいたんだと思います。
金光教や大本教の明治時代の話なんか聞くと、
ある教会に乞食が訪ねてきて、そこの教会主が話をしてみたら、
えらく乞食の話に感銘を受けて、あんたは面白い人やねとばかりに、
教会からなにから一切合財その乞食にあげて、
自分が裸一貫になって出て行ったなんていう話もあったそうです。
昨今ブームなのかはしりませんが、
アセッションという言葉も、
共感できる部分も多いのですが、
どこかしっくりとこない違和感を感じることもあります。
ぼくが堕落していると言われれば、
返す言葉もなく、そうなのかもしれませんが、
なにかもっと、静かで地味でコツコツというか、
そんなイメージが浮かぶようなことが、
ほんとうではないかという気がしています。
でも、地球外の宇宙人なんて、
いてあたりまえだとも思っていますし、
いまの科学では再現性のない、
摩訶不思議なことが起こることも自然に思っています。
また逆に、いくら自分が不思議な夢を見て、
UFOを目の当たりに見たとしても、
ある種の人間に、そのような夢を見せたり、
UFOを幻視させたりするテクノロジーなり秘儀を
有している組織もあるかもしれませんから、
決して自分が体験してきたことが正しいとか、
妄信もしていませんし、人に自慢もしたこともありません。
未来は刻々と変化してゆくものですから、
夢を見た当時の流れからは、
そういう状況というか未来のビジョンがあったかもしれません。
またある日突然、天空にUFOの大編隊がやってきたとしても、
驚くこともないと思います。
それらが偽物なのか本物なのか、正しいものなのか悪いものなのか、
見極める努力は怠りたくないという思いはしています。
どういう努力なのか、自分でもわかりませんが。
年月を重ねてゆくことで、
自分のなかのものを膨らませたり、
逆にそぎ落としたりしてゆくことがありますが、
こうやって随分むかしに体験したことを書いていると、
いまでも揺るがない思いはなんなのかと考えたときに、
天皇や皇太子に対しての思いというのは、
ずっと残り続けているような気がします。
声高に天皇万歳、皇太子殿下万歳という気はまったくありませんが、
密かに、また、いざ鎌倉ではないですが、
こんなぼくでもお役に立てることがあるのなら、
身命を尽くしてでもという思いは、
不思議なことにずっと残っています。
そういう思いは、なにゆえに生まれるものなのか、
納得できるよう、ぼくに説明してくれる人があれば、
お教え願いたく思います。
これまでの話は、ほんの僅かの人にしかしてきませんでした。
過去に天皇を肯定するようなことを言って、
なんどもボロクソに言われ、
まえに運営していたサイトでは反天皇の人が暴れたり、
特に左寄りの人は理論武装していますから、
無知だのアホだの散々に言われてきましたが、
これがぼくの正直な心情です。
おまえは右翼かと罵られたりもしましたが、
君が代も日の丸も大好きなところがありますから、
右翼といわれても、そうなのかもしれません。
時代は右翼だの左翼だのではなく、
正しいか正しくないかであり、
前進しているか後退しているかだという気もするのですが、
この際、開き直ってしまえば、
ああそうさ、ぼくは右翼といわれても結構だよ。
野村秋介さんと銀座で目がチラッとあったことがあったけど、
それ以来、妙に親しみを感じるというか、
とても好きな人だったよ。
そのことを、知り合った純粋右翼の人に言ったら、
どこか共通した匂いみたいものを感じると言われて、
なんか嬉しかったよ。
この際、もっと書いてやるんだ!
ああ左巻きの人の思想も嫌いだよ。
なんで日本の悪口ばかり言うんだよ。
天皇が差別の元凶だという人もいるけど、
じゃ韓国や中国はどうなんだと言いたいよ。
ぼくは開けっぴろげな性格だから、
部落の血が流れていることも、
どうもサンカの血が先祖帰りしたようなところがあるみたいだとか、
平気で人に話したりするけれど、
それで差別されたことなんてないよ。
影でコソコソと差別するような人はいたかもしれないけれど、
そんな人は弱く無知で逆にコンプレックスを持った人だと思っているから、
いたくもかゆくもなかったよ。
逆に差別されていると、卑屈になっている人もみっともないよ。
在日コリアンだって、帰化して代議士になれる国だよ。
被差別部落に生まれて、一代でこの国を代表する企業を育てた人だっているんだよ。
サンカなんて、影に隠れてわかりにくいけど、
もっと凄いかもしれないんだよ。
質の高い立派な人ほど、差別はしないものだと感じてきたよ。
これはぼくだけの意見でなく、
帰化したA子さんも言ってたけれど、
おそらく世界でも指折りの差別のない国は日本だと思うよ。
ついでにいえば宗教やっている人も嫌いだよ。
押し付けがましくて鬱陶しいよ。
とくに創価学会なんて嫌いだよ。
弱者に優しいというのはよいところだと思うけど、
どうして神社にお参りしたら駄目なんだよ。
ここは日本だし、産土ということを知らないのかい。
公明党の市会議員に近い人に言ってあげたことがあるよ。
何年か前、確か戦後60年くらいのときに、
無性に靖国神社へお参りしたくなって、
参拝したことがあったよ。
不思議なことに、知人にもそういう人が何人かいて、
帰化したA子さんも同じころ靖国神社へ参拝にいったみたいです。
共通した感覚というか思ったことは、
良くも悪くも英霊がとても強い力を持って動き出したように思うでした。
だから、売国奴的な行いや、日本を貶めたりする人には、
なにか怖いことが起こるんじゃないかなぁ〜と囁いたら、
とても嫌な顔してました。
ぼくは戦争も暴力も反対です。
でも、自衛隊は好きです。
ある意味、世界で一番まっとうな軍隊になる可能性を感じることがあります。
奇麗事では大切なものは守れません。
少し話が脱線してしまいました。
不思議な夢を見なくても、
過去に接してきた半数くらいの人たちは、
天皇に対し例えていうならば西行の歌にあるような、
『なにごとの おはしますかはしらねども かたじけなさに涙こぼるる』
のような感性を持っていたように思いますから、
この日本という国において天皇という存在は、
やはり重要な意味があるように思います。
この国の歴史を考えると、
外圧によってでしか変わることのできない国でもあるように思います。
いつのまにやら世界を席捲してしまったアニメなんかのことを考えると、
日本というのは東洋でも西洋でもないのだということに気づかされることがあります。
だからこそ潜在した、世界に与える影響力を有しているようにも思えます。
アインシュタインのメッセージなのかどうかはともかく、
それは武力や金力ではない、
別のもの、それは価値観なのか精神性なのかテクノロジーなのかはわかりませんが、
あたらしいなにかを世界に向けて、
発信できる可能性を秘めているように思えます。
アインシュタインが残した日本へのメッセージ
http://www.kumanolife.com/History/ain.html
書いていて思ったのですが、
いまの日本にとって外圧となるものは、
他の惑星からのものという可能性もあるような気がしてきました。
大切なことは、惑わされないということ・・・
山の中での独り暮らしが長くなると、
自分史を振り返るということが何度となくあって、
また、浄化ということにおいて、
自分史を振り返るということはとても重要なことなのですが、
視点を変えてあらためて振り返ることで、
忘れていたことに気づかされたり、
大切なことを思い出させてくれたような気がします。
黄金のおっちゃんのブログに、
YouTubeで矢追純一のUFOスペシャルが見れますとリンクが貼ってありました。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/
エージェントさんから言わせると、この回だけは秀逸だということなので、
数十年ぶりくらいにUFO番組を真剣に見てしまいました。
http://jp.youtube.com/watch?v=PD2S3J401lI
思い起こせば小中学生のころ、
矢追純一のUFOスペシャル番組を夢中になって見たものです。
久しぶりにUFOのことを思い出したら、
過去の出来事が走馬灯のように思い浮かんできましたので、
文章化できたものから書いてゆきたいと思います。
こう暑い日が続きますと、
頭がいつもにも増してボケてしまい、
あまりたいした文章も書けませんので、
この際、己を晒してナンボの世界を展開してみようと思います。
立派でもないのに、背伸びしたりしたことを書くと、
どうしてもうそ臭くなりますので、
ありのまま書いてゆこうと思います。
かなりタブーに触れたことも書くと思いますし、
トンデモ的なことも書くと思いますが、
嘘偽りのない、自分が見聞きし、体験してきたことを書いてゆきます。
若干の誇張やボヤカシはご了承ください。
思いつきであちこち飛んだり、
長文になるかもしれませんので、
何度かに分けて書くかもしれません。
まず、ぼくが育った環境からお話させていただきます。
生まれたのは母親が縁のある神戸市灘区なのですが、
育ったのは紀伊半島の海岸線沿いにある企業城下町のような小さな町です。
思い起こせば、育ったところというのは、
ずっと嫌ってきましたが、
ある意味とても面白いところだったのかもしれません。
平安時代に建立され、当時は七堂伽藍の立派なお寺だったのが、
江戸時代以前に本堂だけになり、その本堂も朽ち果て、
地元のお年寄りたちが管理し観音講に使っていたのを、
崩壊しそうで危険だからと調査したら、本尊が重要文化財に指定されるような、
古いお寺ばかりが多い、とても貧しい村だと古文書に書いてあるようなところです。
昭和10年ころまでは、海岸には遠浅の綺麗な砂浜が隣町の境界まで続き、
松林も綺麗で、宮本武蔵の映画のロケ地にもなったことがありました。
その砂浜の一部を埋め立て、昭和10年代には石油精製工場が造られます。
戦時中には何度もの空襲にあい、
一族すべてのものが防空壕で亡くなるということもあったようです。
戦後、その工場は外資系の石油精製工場となり、
ぼくが子供のころには、日本でも有数の利益率を誇る会社だと聞かされたことがあります。
町にはかなりの税収あったからでしょうか、
遠方から泳ぎにくるような立派な市民プールが古くからありました。
ぼくが小学生の低学年のころ、まだ綺麗な砂浜が一部残っていたのを記憶していますが、
その砂浜までも埋め立て、石油備蓄コンビナートができたころに、
その立派な市民プールができたような気がします。
12.3歳ころ、建設関係の仕事をしていた親父の手伝いで、
その工場内にあるアメリカ人役員用の住宅に行ったことがありました。
ホワイトハウスと呼ばれていたように思います。
そこだけが、まるで別世界のような住宅でした。
育った町の山手には古くから暮らす百姓の村と、
中心部から海岸にかけて被差別部落が数箇所と朝鮮部落もあり、
学校では、百姓の子も部落の子も朝鮮の子も、
また石油精製会社に勤めるエリートの子もいました。
その会社の社員は、優秀な高卒か、
東大京大出身者しか採用しないようなところで、
小学生のときに仲良しだった女の子もエリートの子供で、
お爺さんもお父さんも東大出のようでした。
エリート社員の殆どは、近代的な立派な社宅に暮らしていましたが、
工場の近くの劣悪な環境のところには、
トタン屋根のバラックに豚と一緒に暮らす朝鮮の人たちや、
砂浜の近くの松林には、掘っ立て小屋が並んだ被差別部落もありました。
ですから学校には百姓の子もエリートの子も部落や朝鮮の子もいました。
中学くらいのときに、朝鮮部落から成り上がり、
バラックの近くに豪邸を建てた人がいて、
その家に親父の仕事の手伝いで一緒に行ったことがありました。
その豪邸のベランダからは朝鮮部落のバラック屋根が見渡せ、
なんという格差かと思った記憶がりあます。
その豪邸を建てた人ですが、
なかなかの人格者にして情に厚い方で、
クリスマスに貧しい子供たちに自転車をプレゼントしたり、
また会社を幾つか持っていたのですが、
在日コリアン日本人分け隔てなく、
とても面倒見のよい方だと耳にしていました。
後年、ぼくが熊野に暮らすようになり、
その社長が不治の病に侵され、
熊野の湯治場に通ってくることがあり、
何度か宿泊先に招待され話をしたことがありましたが、
数年前にお亡くなりになったようです。
とても惜しい人を亡くしたと心から悔やみました。
部落在日コリアンの中には洒落にならないくらい悪い人間がいることは、
身を持って知ってはいますが、
それと同時にずば抜けた人格者もいるということを、
やはり身を持って知ることができたたということは、
ぼくにとって大きな財産のような気がします。
しかし世の中、そんな奇麗事ばかりで成り立つべくもなく、
旧勢力に対し、同和勢力や在日コリアン勢力が成り上がる過程を見ていると、
表に出ることのない壮絶な抗争というものがあったことも事実です。
人格や能力だけでなく、身内にヤクザや政治に長けた人がいて、
脅しや紳士的交渉を使いこなし、成り上がるのを見聞きしてきました。
旧勢力者のドラ息子を誘拐してきて拳銃を突きつけ、
ロシアンルーレットをして脅したなどという噂もありました。
もの凄く金回りのよい企業城下町というのは、
裸一貫から、ヤーを言って成り上がりやすいところだったのかもしれません。
狭い道路をタンクローリーが頻繁に行き来するメインストリートがあり
ぼくも小さなころタンクローリーに轢かれそうになったことがありますが、
その道に寝転がってタンクローリーを通さないと暴れた人が、
元手がいらず近所のおばちゃんを数人雇ってできる道の清掃作業の請負から始まり、
二十年程でプラント工事用の大型クレーン車を何台も所有する会社まで成り上がるというのも見てきました。
外資系の一流会社というのは、
もしかしたら同和や在日コリアンに対し、
寛大なものがあったのかもしれません。
部落の親族や同級生の親で、
その会社に勤め、
よいポジションまでいった人も結構いたような気がします。
小さなころ、みんなでよく草野球をした記憶がありますが、
部落や在日コリアンの多いチームは運動神経では勝っているのですが、
エリートの子供の多いチームにルールを知らないので負けるという面白いこともありました。
それでも子供たちには、エリートも部落も在日コリアンもありませんでした。
親たちには差別はあったかもしれませんが、
子供同士では、気の合うものたち、
それぞれ仲良くやっていたと思います。
只、今思い起こしてみると、
朝鮮部落から朝鮮学校へ行った子供たちとは、
殆ど交流がなかったように思います。
そのころ、小学生高学年くらいから、
矢追純一のUFOスペシャルを見るようになり、
小学校の校庭での小石拾いの時間に、
葉巻型のUFOを集団で目撃するということがありました。
伸びたり縮んだりして、しばらく浮かんでました。
小学生くらいまでは、みんな仲良しだったのが、
中学くらいになると、エリートの子供たちは、
親がこちらに残っても、本人は東京へ行くというか、
戻るようなかたちが多かったかもしれません。
地元出身の同級生の中にも、親が教育熱心だったり、
経済的に余裕のある家庭では、
子供を寮のある他府県の学校へいかせたりすることもありました。
環境が悪かったからでしょうか。
県内でも悪い中学校ということで有名だったので、
同級生のなかに不良グループや番長グループというのが構成されてゆきました。
強烈に悪いやつというのは、、
部落在日コリアンの子が多かったかもしれません。
ぼくはというと、音楽とボクシングに夢中で、
番長グループとかにまったく興味もなく、
どちらかというと、浮いていたというか、
遠巻きにしてちょっかいをだされて、
苛められていた感があります。
中学くらいから、大の学校嫌いでしたので、
学年では一番欠席日数が多かったと思います。
なにかにつけ休んだり、学校へ行くふりをして、
海や山で過ごすこともありました。
苛めっ子というのは、小山の大将クラスの、
スケールの小さいものたちですから、
こちらが羽目を外して新聞だたになるような事件を起こしてからは、
もうちょっかいをだしてくることもなくなりました。
そんな状態でしたので、
まったく勉強もせず、地元の高校へ進むのに、
恥ずかしながら、石油精製工場に勤める親戚の顔で、
東大出と京大出の家庭教師を付けてもらい勉強をされられたことがありました。
そんなお金があるのなら、
良いギターでも買ってくれればとも思いましたが、
どちらの先生も面白い人だったので、
退屈はしませんでした。
そういえば、中学のときに、
二年間くらい自分の欲しいものを買うために、
新聞配達のアルバイトをしていました。
家計を助けるのでしたら立派かもしれませんが、
楽器やボクシングのグローブを買うためでした。
怠け者のようで、勤勉なところもある、
わけのわからないところがありました。
朝早く、小さな駅に新聞を取りにゆくのですが、
朝鮮学校へ通う女の子が、
民族衣装を着て始発の電車を待っているのをよく見かけました。
子供には偏見なんてありません。
フィーリングが合うか合わないかです。
密かに胸をトキめかせるような娘もいました。
そんな環境でしたので、
まわりの思想的な影響からいえば、
どちらかというと左側に寄ったもので、
反天皇的なものだったのかもしれません。
また爺さんも親父も、昭和天皇に対しては、
決してよくは言ってませんでした。
またぼくが上京してからも、友人知人になる人の多くは、
左寄りの人が多く、天皇に対してよく言う人はあまりいませんでした。
なんかいろんな集会に連れていかれたような気がします。
爺さんは、所謂被差別部落出身ということになりますが、
この被差別部落という定義は、
その経緯により複雑にして難しい場合もあります。
爺さんの生まれたところは、幕末明治ころに四国の方から流れてきたらしいといわれていますが、
同じ町にやはり四国の方から流れてきた人たちの部落があり、
戦前戦後には同じように貧しく差別をされていたみたいです。
しかし、その部落は非常に結束力が強く、
また教育熱心なところでもあり、
いち早く脱賎民化したといいますか、
昭和四十年代ころには、地元の政治経済を牛耳るようにまでなり、
それからは差別というものがなくなっています。
爺さんが生まれた部落ですが、やはり同じように戦後になり、
他所の一般の村と比較しても経済的に見劣りすることもなくなり、
差別をバネに努力したといえばそうなのでしょうが、
会社を興したり医者になった人がけっこうでたりしました。
表立った差別というものは殆どないように感じていますが、
目に見えないところでは今でもあるような気がします。
二つの似たような地区の決定的な違いは、
爺さんの生まれた地区の有力者が、
部落解放同盟と関係を持ち支部長に納まったことにあります。
というより、
解放同盟をひっぱってきた人物が有力者になったというほうが正しいのかもしれません。
同和対策事業特別措置法により、
裏山は削られ、地区の様子が一変してしまいます。
元から暮らしていた人たちは、
経済力のある人が多かったことから、
地区内に立派な家を建て、改良住宅には、
親類縁者を住まわすということが起こりました。
※以前運営していたサイトを通じて知り合った大学教授などと、
勉強会のようなことに何度となく参加しましたが、
被差別部落の指定を断り、
いまだに劣悪な環境での生活を余儀なくされている地区も残っているみたいですから、
一概に同和対策事業特別措置法の指定すべてが悪ともいえないということもあります。
それにより著しく生活が改善された地区もあることはあると思います。
しかし、裏の部分まで見聞きしてしまったものとして、
あまりにも一部の人たちを超え太らせ過ぎました。
家庭教師がよかったのか、
なんとか地元の県立高校へ進むことができたのですが、
本心では高校へは行きたくありませんでした。
高校を中退するときに聞いた話では、
県内どこの高校へでも合格できる点数を取ってたみたいですが、
例え進学校へ入学していたとしても、
もっと早く中退していたに違いありません。
中学から高校にかけて、
なんか場違いなところにいるなという思いが強くありました。
そんな学生でしたので、
学校へは通わない、
タバコとパチンコで何度も停学になるという状態でした。
その停学になるということで、
決定的に頭にくることがありました。
あからさまな差別を受けたのです。
それは部落差別とかではなく、
通っていた高校はスポーツが強く、
甲子園常連校で、春夏連続優勝もしていて、
他のスポーツも全国レベルのものがいくつかありました。
遊び仲間には、そういう部員が何人かいました。
特に親友として仲が良かったのは、
無理やりやらされながらも、
相撲で全国三位という実力のあるやつでした。
一緒にタバコやパチンコを見つかっても、
野球部や相撲部はお咎めなし、
すべてぼくだけが悪いということになっていました。
それに、そういう部員の不祥事をもみ消すということも、
何度も見てきました。
いずれにせよ、学校は辞める気でいましたが、
このままおめおめと辞めるのも納得がいきませんでしたから、
校長の首を飛ばしてから辞めてやろうと、
いろいろと算段し、刺し違えて、校長の首を飛ばしてから、
ぼくは退学になりました。
というか、学校側があまりの自分たちの非が怖くて、
自主退学ということでと頭を下げられました。
それともうひとつ、そんなことを表に出したら、
この町で家族は生きていけないとも脅されました。
ですから、特に甲子園に出場するような強豪高というのは、
例外はあるかとは思いますが、
次元の低い学校ですよと、言っているようなものだと思っています。
山形の甲子園出場校の部員の半数以上が、
大阪出身だとかで、
なにか履き違えた状態だということに気づかないのかと、
あきれてものも言えません。
選手が悪いのではなく、大人たち、
指導者がまったくなっていないのでしょう。
その高校からは、プロ野球選手や大リーグ選手などもでましたが、
それはそれでよいことだと思いますし、
誇らしいものもあると思います。
そういう選手には、大いに拍手を送りたい思いがします。
しかし、ぼくは地元でこの話をするたびに、
いつ刺されるかとも思ったりするのですが、
結局、甲子園春夏連覇し、
驕った時期の一番の有名人は誰かというと、
あの毒入りカレー事件により全国で有名になった犯人ではないかと思うのです。
よく彼女のことをネット上では在日コリアンや部落といういわれかたをしていますが、
ぼくが知りうる限りでは違います。
あの地域のごく普通の家庭だったように思います。
彼女の人間性をみていると、見栄っ張りで驕ったような、
当時の校風の申し子ではないかと思ったりしています。
うちの親父も同じ高校の出身者でしたから、
甲子園で何度も優勝したことを、
他府県の人に自慢していましたが、
そんなもの他府県の人はなにも思いません。
ふ〜んで終わりです。
中国がいくら金メダルを取ったからといって、
他国の人が立派な国だと思わないのと同じことです。
後年、ぼくが高校を退学するに至った経緯で、
一番の悪者は校長ではなく、
教頭をしていた人間だとわかり、
校長には悪いことをしたと悔やんだことがあります。
その教頭は、今はわかりませんが、
すこし前まで市の教育委員長についていたようです。
そういう人間が教育委員長なのですから、
大分での教育委員会による教員採用試験の不正問題など、
おそらく全国あちらこちで行われてきたものだと思います。
解放同盟の支部長で、いまは地元市会議員である人と、
うちの親父は従兄弟の関係にあり、
一時うちの親父も自民党系の同和団体の支部長をしていたことがあり、
地元の政治や役所に対し、影響力を持っていたことがありました。
そのときに、その教育委員長に、
うちの息子が高校のときに世話になったなと言葉を発したら、
青い顔してブルブルと震えていたと聞かされました。
うちの親父もろくなものではありません。
うちの親父はいまは大人しくしていますが、
解放同盟の支部長にして議員は、
いまでも実力者のようです。
そして同和地区の人たちだけでなく、
一般の地区の人たちからも頼りにされているみたいです。
そのあたりに解放同盟の底力を感じたりします。
そのおっさんとはあまり仲がよくないのですが、
世話好きなところと、親分肌のところは少し尊敬しています。
いろんな相談にものっているようですが、
それぞれの両親が百姓で、結婚を反対されているカップルが相談にきて、
親たちを呼んで説得をしたことがあったそうです。
最初はうちは娘だけだから養子をどうのこうのという話だったそうですが、
そのうちに家の格が違うだのどうのと親たちが言い出したときに、
そのおっさんが、おまえらどっちこちいうても鈍百姓やないかと一喝したそうです。
そして子の幸せ考えんかいといわれ、黙ってしまったそうです。
その親たちは、そのおっさんのことを被差別部落の人間で、
解放同盟の支部長ということまで知らなかったみたいです。
まあ百姓というのは、家の格が違うだのなんだのと、
だいぶうといなと、うちの親父に言ったそうです。
あのおっさんらしい言葉かもしれません。
UFOと天皇ということで書いてきたのですが、
どうも履歴書のようなことになってしまい、
いまさらどう書き直したらよいものやらとも思いますので、
このまま履歴書のような文章を続けさせていただきます。
祖母の話になりますが、
祖母は宮崎の山奥から女工で出てきたところを、
爺さんに見初められ結婚するに至ったようです。
当時、親からエタと結婚は許さないと反対されたようですが、
祖母は殆ど学校へは行ってなく、
戸籍上の年齢と実年齢にはかなり開きがあるようです。
今も健在で本人は90歳だと言っていますが、
実の妹がいうのに、93歳はいっているらしいです。
祖母の父親、ぼくからしたら曽祖父ですが、
ぼくが幼少のころに一緒に写した写真も残っているのですが、
樽の竹の部分を造っていたとのことですから、
どうもサンカ系ではないかと思っています。
とても人として綺麗な爺さんだったようです。
祖母ですが、いまでも頭のボケはいっさいなく、
というより天然ボケのままだからかもしれませんが、
記憶力は恐ろしく良いです。
母親は鳥取生まれで、ルーツは島根のようです。
幼少のころ、家に蔵がたくさんあり、
蔵の鍵を玩具にして遊んだ記憶があるとはいうものの、
戦前には没落してしまったようですから、
誰も信じていませんでした。
親父とは神戸で知り合ったようです。
本人の話では、
600年以上続いた旧家だと言い張っていましたが、
誰も信じるものはいませんでした。
これといって証拠となるものがあるわけでもなく、
先祖がどうしたところで母親は母親なのです。
またアメリカにたくさんの親戚がいて、
移民としてではなく、戦前に駆け落ちとして、
親族が渡ったのが始まりという話も聞いていました。
戦後は、GHQとしてやってきた親戚が、
とても面倒を見てくれて、
生活に困ることはなかったという話もしていました。
しかし、誰も信じることもなく、
リアリティのない話だと思っていました。
しかし、ぼくが上京したころに、
母親を訪ねてアメリカの親戚が来て、
ルーツのわかる資料や、
アメリカでの一族の話や写真を置いていったそうです。
日系人でペンタゴンに始めて勤めた人や、
丁度そのころ、フラッシュダンスという映画がありましたが、
そのなかで歌っている歌手のひとりが母親の従兄弟だということを知りました。
その従兄弟の結婚相手は、フィル・ラモーンという有名な音楽プロジューサーで、
ビリー・ジョエルを育てたり、ジュリアン・レノンや、
カレン・カーペンターとも関係した人のようです。
ニューヨークにある自宅の住所と電話番号を貰っているのですが、
いまだにぼくの中ではリアリティがありません。
親戚に有名人がいるから、
ぼくが偉いということもないし、
先祖が大名だから偉いということもないし、
ましては先祖が賎民だからといって恥じることも、
差別されるゆわれもないのです。
それぞれの先祖を、密かに誇り、
感謝すればよいだけのことなのです。
問題は、その人自身であり、
生き方であり、人間性なのです。
そういうあたりまえのものの道理がわからない愚か者が、
いまだに多いのは悲しい限りであります。
さて、高校を中退してから上京するまで、
数年間は実家の家業を手伝ったりしながら、
元々バイクやクルマが好きで仕方がないたちでしたから、
気の合う仲間たちと走り回ったりしました。
一番燃えたのは、自動車での信号グランプリでした。
それでも、所謂暴走族とは違い、
走り屋という感じだったと思います。
そのうちに地元の札付きの不良で、
高域暴力団のイケイケの組の準構成員になっていた男に誘われ、
一緒に旗を持って走るようになったりしました。
自分では普通だと思っていましたが、
今から思うと、荒んだ生活だったかもしれません。
不良の溜まり場での光景は今でもはっきりと覚えています。
安物のシャブ打って、朝までチンチロリンをしているやつらや、
花札やカブに乗じている連中、
被害妄想になって喧嘩しているやつら、
ものすごい程度の低い妄想や幻覚を見ているものたち、
そして、兄貴ぶんがアジトにしているところに連れていかれると、
今度は指のない組員たちがシャブのパケをプラスチックの物差しを使い、
ライターで炙って作っていました。
にいちゃんシャブやろうかと何度も言われたりしたものです。
いろんな悪いことはしてきたかもしれませんが、
シャブと女遊びだけは、
絶対に受け付けないものがありました。
しかし、そういった連中と接点があったのですから、
かなりマトモでない状態だったのかもしれません。
ヤクザの兄貴分がぼくの姓を聞いて、
解放同盟の支部長と親戚になるのかと聞くので、
そうだと答えたら、
もう二度とここへくるなと言われました。
そのおっさんから怒られるとでも思ったのかもしれません。
さて、自分でも何を書いているのかわからなくなってきましたが、
そういう愚かな自分が大きく変わるきっかけになったことがありました。
夜中まで遊びまわり、昼過ぎまで寝て、
ふてくされて足の指でテレビのスイッチを入れたときです。
画面には皇太子の成人式のような儀式が映し出されていました。
なにか烏帽子のようなものを被っていて、
あごひもをはさみで切った瞬間、
皇太子の顔がキリリと引き締まり、
それと同時にぼくのからだに電気が走ったようになり、
臣下の礼のごとく身をただし、
このお方に身命をかけてでもお使えしなければという思いが沸きあがってきました。
我に返り、いまのはなんだったのだろうかと、
どこかイカれてしまったのだろうかとも思ったりしました。
しかし、それをきっかけにしたかのように変化が訪れます。
まず、パチンコやギャンブルにはいっさい興味がなくなり、
からだが受け付けなくなってきました。
悪い連中とも疎遠になり、
本をいろいろと読み出すようになってきます。
もともと自然が大好きで、
ブラザーサン・シスタームーンに大きな影響を受け、
聖書を読むようなところがありましたし、
未来少年コナンを見て、
胸を熱く振るわせるようなところがありましたから、
本来の自分に戻ろうとしていたのかもしれません。
そして、上京することを考え始めました。
もし、そのときにニューヨークに親戚がいることを知っていれば、
当時、アメリカに憧れていましたから、
ニューヨークへ旅立っていたかもしれません。
UFOと天皇ということで書き始めたのですが、
そこへいくまでに疲れてしまいましたので、
続きはまた今度書くことにいたします。
つづきでは、UFOとの遭遇、夢のなかで受けたメッセージ、
昭和天皇皇后両陛下との祝い事の夢の話などを書きたいと思います。
YouTubeで矢追純一のUFOスペシャルが見れますとリンクが貼ってありました。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/
エージェントさんから言わせると、この回だけは秀逸だということなので、
数十年ぶりくらいにUFO番組を真剣に見てしまいました。
http://jp.youtube.com/watch?v=PD2S3J401lI
思い起こせば小中学生のころ、
矢追純一のUFOスペシャル番組を夢中になって見たものです。
久しぶりにUFOのことを思い出したら、
過去の出来事が走馬灯のように思い浮かんできましたので、
文章化できたものから書いてゆきたいと思います。
こう暑い日が続きますと、
頭がいつもにも増してボケてしまい、
あまりたいした文章も書けませんので、
この際、己を晒してナンボの世界を展開してみようと思います。
立派でもないのに、背伸びしたりしたことを書くと、
どうしてもうそ臭くなりますので、
ありのまま書いてゆこうと思います。
かなりタブーに触れたことも書くと思いますし、
トンデモ的なことも書くと思いますが、
嘘偽りのない、自分が見聞きし、体験してきたことを書いてゆきます。
若干の誇張やボヤカシはご了承ください。
思いつきであちこち飛んだり、
長文になるかもしれませんので、
何度かに分けて書くかもしれません。
まず、ぼくが育った環境からお話させていただきます。
生まれたのは母親が縁のある神戸市灘区なのですが、
育ったのは紀伊半島の海岸線沿いにある企業城下町のような小さな町です。
思い起こせば、育ったところというのは、
ずっと嫌ってきましたが、
ある意味とても面白いところだったのかもしれません。
平安時代に建立され、当時は七堂伽藍の立派なお寺だったのが、
江戸時代以前に本堂だけになり、その本堂も朽ち果て、
地元のお年寄りたちが管理し観音講に使っていたのを、
崩壊しそうで危険だからと調査したら、本尊が重要文化財に指定されるような、
古いお寺ばかりが多い、とても貧しい村だと古文書に書いてあるようなところです。
昭和10年ころまでは、海岸には遠浅の綺麗な砂浜が隣町の境界まで続き、
松林も綺麗で、宮本武蔵の映画のロケ地にもなったことがありました。
その砂浜の一部を埋め立て、昭和10年代には石油精製工場が造られます。
戦時中には何度もの空襲にあい、
一族すべてのものが防空壕で亡くなるということもあったようです。
戦後、その工場は外資系の石油精製工場となり、
ぼくが子供のころには、日本でも有数の利益率を誇る会社だと聞かされたことがあります。
町にはかなりの税収あったからでしょうか、
遠方から泳ぎにくるような立派な市民プールが古くからありました。
ぼくが小学生の低学年のころ、まだ綺麗な砂浜が一部残っていたのを記憶していますが、
その砂浜までも埋め立て、石油備蓄コンビナートができたころに、
その立派な市民プールができたような気がします。
12.3歳ころ、建設関係の仕事をしていた親父の手伝いで、
その工場内にあるアメリカ人役員用の住宅に行ったことがありました。
ホワイトハウスと呼ばれていたように思います。
そこだけが、まるで別世界のような住宅でした。
育った町の山手には古くから暮らす百姓の村と、
中心部から海岸にかけて被差別部落が数箇所と朝鮮部落もあり、
学校では、百姓の子も部落の子も朝鮮の子も、
また石油精製会社に勤めるエリートの子もいました。
その会社の社員は、優秀な高卒か、
東大京大出身者しか採用しないようなところで、
小学生のときに仲良しだった女の子もエリートの子供で、
お爺さんもお父さんも東大出のようでした。
エリート社員の殆どは、近代的な立派な社宅に暮らしていましたが、
工場の近くの劣悪な環境のところには、
トタン屋根のバラックに豚と一緒に暮らす朝鮮の人たちや、
砂浜の近くの松林には、掘っ立て小屋が並んだ被差別部落もありました。
ですから学校には百姓の子もエリートの子も部落や朝鮮の子もいました。
中学くらいのときに、朝鮮部落から成り上がり、
バラックの近くに豪邸を建てた人がいて、
その家に親父の仕事の手伝いで一緒に行ったことがありました。
その豪邸のベランダからは朝鮮部落のバラック屋根が見渡せ、
なんという格差かと思った記憶がりあます。
その豪邸を建てた人ですが、
なかなかの人格者にして情に厚い方で、
クリスマスに貧しい子供たちに自転車をプレゼントしたり、
また会社を幾つか持っていたのですが、
在日コリアン日本人分け隔てなく、
とても面倒見のよい方だと耳にしていました。
後年、ぼくが熊野に暮らすようになり、
その社長が不治の病に侵され、
熊野の湯治場に通ってくることがあり、
何度か宿泊先に招待され話をしたことがありましたが、
数年前にお亡くなりになったようです。
とても惜しい人を亡くしたと心から悔やみました。
部落在日コリアンの中には洒落にならないくらい悪い人間がいることは、
身を持って知ってはいますが、
それと同時にずば抜けた人格者もいるということを、
やはり身を持って知ることができたたということは、
ぼくにとって大きな財産のような気がします。
しかし世の中、そんな奇麗事ばかりで成り立つべくもなく、
旧勢力に対し、同和勢力や在日コリアン勢力が成り上がる過程を見ていると、
表に出ることのない壮絶な抗争というものがあったことも事実です。
人格や能力だけでなく、身内にヤクザや政治に長けた人がいて、
脅しや紳士的交渉を使いこなし、成り上がるのを見聞きしてきました。
旧勢力者のドラ息子を誘拐してきて拳銃を突きつけ、
ロシアンルーレットをして脅したなどという噂もありました。
もの凄く金回りのよい企業城下町というのは、
裸一貫から、ヤーを言って成り上がりやすいところだったのかもしれません。
狭い道路をタンクローリーが頻繁に行き来するメインストリートがあり
ぼくも小さなころタンクローリーに轢かれそうになったことがありますが、
その道に寝転がってタンクローリーを通さないと暴れた人が、
元手がいらず近所のおばちゃんを数人雇ってできる道の清掃作業の請負から始まり、
二十年程でプラント工事用の大型クレーン車を何台も所有する会社まで成り上がるというのも見てきました。
外資系の一流会社というのは、
もしかしたら同和や在日コリアンに対し、
寛大なものがあったのかもしれません。
部落の親族や同級生の親で、
その会社に勤め、
よいポジションまでいった人も結構いたような気がします。
小さなころ、みんなでよく草野球をした記憶がありますが、
部落や在日コリアンの多いチームは運動神経では勝っているのですが、
エリートの子供の多いチームにルールを知らないので負けるという面白いこともありました。
それでも子供たちには、エリートも部落も在日コリアンもありませんでした。
親たちには差別はあったかもしれませんが、
子供同士では、気の合うものたち、
それぞれ仲良くやっていたと思います。
只、今思い起こしてみると、
朝鮮部落から朝鮮学校へ行った子供たちとは、
殆ど交流がなかったように思います。
そのころ、小学生高学年くらいから、
矢追純一のUFOスペシャルを見るようになり、
小学校の校庭での小石拾いの時間に、
葉巻型のUFOを集団で目撃するということがありました。
伸びたり縮んだりして、しばらく浮かんでました。
小学生くらいまでは、みんな仲良しだったのが、
中学くらいになると、エリートの子供たちは、
親がこちらに残っても、本人は東京へ行くというか、
戻るようなかたちが多かったかもしれません。
地元出身の同級生の中にも、親が教育熱心だったり、
経済的に余裕のある家庭では、
子供を寮のある他府県の学校へいかせたりすることもありました。
環境が悪かったからでしょうか。
県内でも悪い中学校ということで有名だったので、
同級生のなかに不良グループや番長グループというのが構成されてゆきました。
強烈に悪いやつというのは、、
部落在日コリアンの子が多かったかもしれません。
ぼくはというと、音楽とボクシングに夢中で、
番長グループとかにまったく興味もなく、
どちらかというと、浮いていたというか、
遠巻きにしてちょっかいをだされて、
苛められていた感があります。
中学くらいから、大の学校嫌いでしたので、
学年では一番欠席日数が多かったと思います。
なにかにつけ休んだり、学校へ行くふりをして、
海や山で過ごすこともありました。
苛めっ子というのは、小山の大将クラスの、
スケールの小さいものたちですから、
こちらが羽目を外して新聞だたになるような事件を起こしてからは、
もうちょっかいをだしてくることもなくなりました。
そんな状態でしたので、
まったく勉強もせず、地元の高校へ進むのに、
恥ずかしながら、石油精製工場に勤める親戚の顔で、
東大出と京大出の家庭教師を付けてもらい勉強をされられたことがありました。
そんなお金があるのなら、
良いギターでも買ってくれればとも思いましたが、
どちらの先生も面白い人だったので、
退屈はしませんでした。
そういえば、中学のときに、
二年間くらい自分の欲しいものを買うために、
新聞配達のアルバイトをしていました。
家計を助けるのでしたら立派かもしれませんが、
楽器やボクシングのグローブを買うためでした。
怠け者のようで、勤勉なところもある、
わけのわからないところがありました。
朝早く、小さな駅に新聞を取りにゆくのですが、
朝鮮学校へ通う女の子が、
民族衣装を着て始発の電車を待っているのをよく見かけました。
子供には偏見なんてありません。
フィーリングが合うか合わないかです。
密かに胸をトキめかせるような娘もいました。
そんな環境でしたので、
まわりの思想的な影響からいえば、
どちらかというと左側に寄ったもので、
反天皇的なものだったのかもしれません。
また爺さんも親父も、昭和天皇に対しては、
決してよくは言ってませんでした。
またぼくが上京してからも、友人知人になる人の多くは、
左寄りの人が多く、天皇に対してよく言う人はあまりいませんでした。
なんかいろんな集会に連れていかれたような気がします。
爺さんは、所謂被差別部落出身ということになりますが、
この被差別部落という定義は、
その経緯により複雑にして難しい場合もあります。
爺さんの生まれたところは、幕末明治ころに四国の方から流れてきたらしいといわれていますが、
同じ町にやはり四国の方から流れてきた人たちの部落があり、
戦前戦後には同じように貧しく差別をされていたみたいです。
しかし、その部落は非常に結束力が強く、
また教育熱心なところでもあり、
いち早く脱賎民化したといいますか、
昭和四十年代ころには、地元の政治経済を牛耳るようにまでなり、
それからは差別というものがなくなっています。
爺さんが生まれた部落ですが、やはり同じように戦後になり、
他所の一般の村と比較しても経済的に見劣りすることもなくなり、
差別をバネに努力したといえばそうなのでしょうが、
会社を興したり医者になった人がけっこうでたりしました。
表立った差別というものは殆どないように感じていますが、
目に見えないところでは今でもあるような気がします。
二つの似たような地区の決定的な違いは、
爺さんの生まれた地区の有力者が、
部落解放同盟と関係を持ち支部長に納まったことにあります。
というより、
解放同盟をひっぱってきた人物が有力者になったというほうが正しいのかもしれません。
同和対策事業特別措置法により、
裏山は削られ、地区の様子が一変してしまいます。
元から暮らしていた人たちは、
経済力のある人が多かったことから、
地区内に立派な家を建て、改良住宅には、
親類縁者を住まわすということが起こりました。
※以前運営していたサイトを通じて知り合った大学教授などと、
勉強会のようなことに何度となく参加しましたが、
被差別部落の指定を断り、
いまだに劣悪な環境での生活を余儀なくされている地区も残っているみたいですから、
一概に同和対策事業特別措置法の指定すべてが悪ともいえないということもあります。
それにより著しく生活が改善された地区もあることはあると思います。
しかし、裏の部分まで見聞きしてしまったものとして、
あまりにも一部の人たちを超え太らせ過ぎました。
家庭教師がよかったのか、
なんとか地元の県立高校へ進むことができたのですが、
本心では高校へは行きたくありませんでした。
高校を中退するときに聞いた話では、
県内どこの高校へでも合格できる点数を取ってたみたいですが、
例え進学校へ入学していたとしても、
もっと早く中退していたに違いありません。
中学から高校にかけて、
なんか場違いなところにいるなという思いが強くありました。
そんな学生でしたので、
学校へは通わない、
タバコとパチンコで何度も停学になるという状態でした。
その停学になるということで、
決定的に頭にくることがありました。
あからさまな差別を受けたのです。
それは部落差別とかではなく、
通っていた高校はスポーツが強く、
甲子園常連校で、春夏連続優勝もしていて、
他のスポーツも全国レベルのものがいくつかありました。
遊び仲間には、そういう部員が何人かいました。
特に親友として仲が良かったのは、
無理やりやらされながらも、
相撲で全国三位という実力のあるやつでした。
一緒にタバコやパチンコを見つかっても、
野球部や相撲部はお咎めなし、
すべてぼくだけが悪いということになっていました。
それに、そういう部員の不祥事をもみ消すということも、
何度も見てきました。
いずれにせよ、学校は辞める気でいましたが、
このままおめおめと辞めるのも納得がいきませんでしたから、
校長の首を飛ばしてから辞めてやろうと、
いろいろと算段し、刺し違えて、校長の首を飛ばしてから、
ぼくは退学になりました。
というか、学校側があまりの自分たちの非が怖くて、
自主退学ということでと頭を下げられました。
それともうひとつ、そんなことを表に出したら、
この町で家族は生きていけないとも脅されました。
ですから、特に甲子園に出場するような強豪高というのは、
例外はあるかとは思いますが、
次元の低い学校ですよと、言っているようなものだと思っています。
山形の甲子園出場校の部員の半数以上が、
大阪出身だとかで、
なにか履き違えた状態だということに気づかないのかと、
あきれてものも言えません。
選手が悪いのではなく、大人たち、
指導者がまったくなっていないのでしょう。
その高校からは、プロ野球選手や大リーグ選手などもでましたが、
それはそれでよいことだと思いますし、
誇らしいものもあると思います。
そういう選手には、大いに拍手を送りたい思いがします。
しかし、ぼくは地元でこの話をするたびに、
いつ刺されるかとも思ったりするのですが、
結局、甲子園春夏連覇し、
驕った時期の一番の有名人は誰かというと、
あの毒入りカレー事件により全国で有名になった犯人ではないかと思うのです。
よく彼女のことをネット上では在日コリアンや部落といういわれかたをしていますが、
ぼくが知りうる限りでは違います。
あの地域のごく普通の家庭だったように思います。
彼女の人間性をみていると、見栄っ張りで驕ったような、
当時の校風の申し子ではないかと思ったりしています。
うちの親父も同じ高校の出身者でしたから、
甲子園で何度も優勝したことを、
他府県の人に自慢していましたが、
そんなもの他府県の人はなにも思いません。
ふ〜んで終わりです。
中国がいくら金メダルを取ったからといって、
他国の人が立派な国だと思わないのと同じことです。
後年、ぼくが高校を退学するに至った経緯で、
一番の悪者は校長ではなく、
教頭をしていた人間だとわかり、
校長には悪いことをしたと悔やんだことがあります。
その教頭は、今はわかりませんが、
すこし前まで市の教育委員長についていたようです。
そういう人間が教育委員長なのですから、
大分での教育委員会による教員採用試験の不正問題など、
おそらく全国あちらこちで行われてきたものだと思います。
解放同盟の支部長で、いまは地元市会議員である人と、
うちの親父は従兄弟の関係にあり、
一時うちの親父も自民党系の同和団体の支部長をしていたことがあり、
地元の政治や役所に対し、影響力を持っていたことがありました。
そのときに、その教育委員長に、
うちの息子が高校のときに世話になったなと言葉を発したら、
青い顔してブルブルと震えていたと聞かされました。
うちの親父もろくなものではありません。
うちの親父はいまは大人しくしていますが、
解放同盟の支部長にして議員は、
いまでも実力者のようです。
そして同和地区の人たちだけでなく、
一般の地区の人たちからも頼りにされているみたいです。
そのあたりに解放同盟の底力を感じたりします。
そのおっさんとはあまり仲がよくないのですが、
世話好きなところと、親分肌のところは少し尊敬しています。
いろんな相談にものっているようですが、
それぞれの両親が百姓で、結婚を反対されているカップルが相談にきて、
親たちを呼んで説得をしたことがあったそうです。
最初はうちは娘だけだから養子をどうのこうのという話だったそうですが、
そのうちに家の格が違うだのどうのと親たちが言い出したときに、
そのおっさんが、おまえらどっちこちいうても鈍百姓やないかと一喝したそうです。
そして子の幸せ考えんかいといわれ、黙ってしまったそうです。
その親たちは、そのおっさんのことを被差別部落の人間で、
解放同盟の支部長ということまで知らなかったみたいです。
まあ百姓というのは、家の格が違うだのなんだのと、
だいぶうといなと、うちの親父に言ったそうです。
あのおっさんらしい言葉かもしれません。
UFOと天皇ということで書いてきたのですが、
どうも履歴書のようなことになってしまい、
いまさらどう書き直したらよいものやらとも思いますので、
このまま履歴書のような文章を続けさせていただきます。
祖母の話になりますが、
祖母は宮崎の山奥から女工で出てきたところを、
爺さんに見初められ結婚するに至ったようです。
当時、親からエタと結婚は許さないと反対されたようですが、
祖母は殆ど学校へは行ってなく、
戸籍上の年齢と実年齢にはかなり開きがあるようです。
今も健在で本人は90歳だと言っていますが、
実の妹がいうのに、93歳はいっているらしいです。
祖母の父親、ぼくからしたら曽祖父ですが、
ぼくが幼少のころに一緒に写した写真も残っているのですが、
樽の竹の部分を造っていたとのことですから、
どうもサンカ系ではないかと思っています。
とても人として綺麗な爺さんだったようです。
祖母ですが、いまでも頭のボケはいっさいなく、
というより天然ボケのままだからかもしれませんが、
記憶力は恐ろしく良いです。
母親は鳥取生まれで、ルーツは島根のようです。
幼少のころ、家に蔵がたくさんあり、
蔵の鍵を玩具にして遊んだ記憶があるとはいうものの、
戦前には没落してしまったようですから、
誰も信じていませんでした。
親父とは神戸で知り合ったようです。
本人の話では、
600年以上続いた旧家だと言い張っていましたが、
誰も信じるものはいませんでした。
これといって証拠となるものがあるわけでもなく、
先祖がどうしたところで母親は母親なのです。
またアメリカにたくさんの親戚がいて、
移民としてではなく、戦前に駆け落ちとして、
親族が渡ったのが始まりという話も聞いていました。
戦後は、GHQとしてやってきた親戚が、
とても面倒を見てくれて、
生活に困ることはなかったという話もしていました。
しかし、誰も信じることもなく、
リアリティのない話だと思っていました。
しかし、ぼくが上京したころに、
母親を訪ねてアメリカの親戚が来て、
ルーツのわかる資料や、
アメリカでの一族の話や写真を置いていったそうです。
日系人でペンタゴンに始めて勤めた人や、
丁度そのころ、フラッシュダンスという映画がありましたが、
そのなかで歌っている歌手のひとりが母親の従兄弟だということを知りました。
その従兄弟の結婚相手は、フィル・ラモーンという有名な音楽プロジューサーで、
ビリー・ジョエルを育てたり、ジュリアン・レノンや、
カレン・カーペンターとも関係した人のようです。
ニューヨークにある自宅の住所と電話番号を貰っているのですが、
いまだにぼくの中ではリアリティがありません。
親戚に有名人がいるから、
ぼくが偉いということもないし、
先祖が大名だから偉いということもないし、
ましては先祖が賎民だからといって恥じることも、
差別されるゆわれもないのです。
それぞれの先祖を、密かに誇り、
感謝すればよいだけのことなのです。
問題は、その人自身であり、
生き方であり、人間性なのです。
そういうあたりまえのものの道理がわからない愚か者が、
いまだに多いのは悲しい限りであります。
さて、高校を中退してから上京するまで、
数年間は実家の家業を手伝ったりしながら、
元々バイクやクルマが好きで仕方がないたちでしたから、
気の合う仲間たちと走り回ったりしました。
一番燃えたのは、自動車での信号グランプリでした。
それでも、所謂暴走族とは違い、
走り屋という感じだったと思います。
そのうちに地元の札付きの不良で、
高域暴力団のイケイケの組の準構成員になっていた男に誘われ、
一緒に旗を持って走るようになったりしました。
自分では普通だと思っていましたが、
今から思うと、荒んだ生活だったかもしれません。
不良の溜まり場での光景は今でもはっきりと覚えています。
安物のシャブ打って、朝までチンチロリンをしているやつらや、
花札やカブに乗じている連中、
被害妄想になって喧嘩しているやつら、
ものすごい程度の低い妄想や幻覚を見ているものたち、
そして、兄貴ぶんがアジトにしているところに連れていかれると、
今度は指のない組員たちがシャブのパケをプラスチックの物差しを使い、
ライターで炙って作っていました。
にいちゃんシャブやろうかと何度も言われたりしたものです。
いろんな悪いことはしてきたかもしれませんが、
シャブと女遊びだけは、
絶対に受け付けないものがありました。
しかし、そういった連中と接点があったのですから、
かなりマトモでない状態だったのかもしれません。
ヤクザの兄貴分がぼくの姓を聞いて、
解放同盟の支部長と親戚になるのかと聞くので、
そうだと答えたら、
もう二度とここへくるなと言われました。
そのおっさんから怒られるとでも思ったのかもしれません。
さて、自分でも何を書いているのかわからなくなってきましたが、
そういう愚かな自分が大きく変わるきっかけになったことがありました。
夜中まで遊びまわり、昼過ぎまで寝て、
ふてくされて足の指でテレビのスイッチを入れたときです。
画面には皇太子の成人式のような儀式が映し出されていました。
なにか烏帽子のようなものを被っていて、
あごひもをはさみで切った瞬間、
皇太子の顔がキリリと引き締まり、
それと同時にぼくのからだに電気が走ったようになり、
臣下の礼のごとく身をただし、
このお方に身命をかけてでもお使えしなければという思いが沸きあがってきました。
我に返り、いまのはなんだったのだろうかと、
どこかイカれてしまったのだろうかとも思ったりしました。
しかし、それをきっかけにしたかのように変化が訪れます。
まず、パチンコやギャンブルにはいっさい興味がなくなり、
からだが受け付けなくなってきました。
悪い連中とも疎遠になり、
本をいろいろと読み出すようになってきます。
もともと自然が大好きで、
ブラザーサン・シスタームーンに大きな影響を受け、
聖書を読むようなところがありましたし、
未来少年コナンを見て、
胸を熱く振るわせるようなところがありましたから、
本来の自分に戻ろうとしていたのかもしれません。
そして、上京することを考え始めました。
もし、そのときにニューヨークに親戚がいることを知っていれば、
当時、アメリカに憧れていましたから、
ニューヨークへ旅立っていたかもしれません。
UFOと天皇ということで書き始めたのですが、
そこへいくまでに疲れてしまいましたので、
続きはまた今度書くことにいたします。
つづきでは、UFOとの遭遇、夢のなかで受けたメッセージ、
昭和天皇皇后両陛下との祝い事の夢の話などを書きたいと思います。
ネガティブなことを書いて王子に叱られてしまいました。
ここのところの燃料の高騰は、漁業関係者だけでなく、
田舎生活者にとっても、なかなかきびしい状況になってきています。
まわりの人たちからも、やれ景気が悪いだの、
将来への展望が見えないだのというような声をよく耳にします。
まあそれでも、殆どの家にはクルマがあって、
家では多くの家電製品に囲まれているのですから、
贅沢といえば贅沢なのかもしれません。
でも、なんか豊かな気分になれないあたりが、
なにかに毒されてしまっているのか、
それとも真の豊かさというものを勘違いしてきたのやもしれません。
そこで真の豊かさや幸せというものを、
自分の経験を通したことなどから考えたときに、
それは物質的なことよりも、人との関係性であったり、
動物や植物をも含めた自然との関係性だったりするのではないかと思うのです。
心が通じるという言葉があります。
それはお互いにどれだけシンクロしているかということであり、
しいては信頼性につながってくるのかもしれません。
信頼のある関係というのは、
癒され豊かな気分にしてくれます。
それは人と人との関係だけでなく、
動物や植物との関係にもいえることだと思います。
そのシンクロを起こさせているものは、
自我の心ではなく、もっと大きな心の源のようなものがあり、
その源から流れてくるものを内に流すというか、
身をゆだねるというか、外に流すというか、
うまく表現できませんが、
そんな感じのことではないかと漠然と思ったりしています。
田舎で暮らしはじめたころ、
ものすごいヒマジンな時期がありました。
家には家電製品はラジオしかなく、
日がな一日、小鳥やタヌキと遊んだり、
知人から貰ってきたハーブを植えたりして過ごしていました。
そのハーブを植えたときに、強く感じたことがありました。
山を削ったばかりの地面の土では、
なかなかハーブは根付きませんでした。
しかし、一度目は枯らしてしまっても、
二度目に植えると根付くということが何度かありました。
かといって、毎度二度目に根付くこともなく、
枯れることもありました。
そのときに、閃くというか、
うん、これはそうに違いないと思うことがありました。
それは、一度目に植えたハーブが、
たぶん土だと思うのですが、
なにかの情報のようなものを残すのではないかと感じたのでした。
二度目に植えたハーブが、その情報のようなものを受け取り、
その土に順応しようと、早めに変化しているから、
なんとか根付くのではないかと感じたのでした。
その後押しというか、
手助けとなるものは、
植えて世話をする人の思い、
つまり精神性が重要なのではないかと、
そのときに強く感じたのでした。
偉い植物学者が、そんなこたぁないと断言されたとしても、
自分が素直に思い、感じとったことというものは、
なかなか揺らがなかったりするのです。
無茶苦茶バカなことを書いているのかもしれませんが、
いまでもきっとそうに違いないと思ってます。
自然と密接な関係で生きている人ほど、
迷信など非科学的といわれるものを信じている気持ちがわかるような気がします。
くだらない迷信は捨て去ってもかまいませんが、
なかには真実もあったかもしれません。
捨て去ったよいものを取り戻し、
それらとハイテクを融合させたら、
豊かな時代になるのかもしれません。
いまは間違いなく文明の転換期です。
三界は唯心の所現なりです。
ここのところの燃料の高騰は、漁業関係者だけでなく、
田舎生活者にとっても、なかなかきびしい状況になってきています。
まわりの人たちからも、やれ景気が悪いだの、
将来への展望が見えないだのというような声をよく耳にします。
まあそれでも、殆どの家にはクルマがあって、
家では多くの家電製品に囲まれているのですから、
贅沢といえば贅沢なのかもしれません。
でも、なんか豊かな気分になれないあたりが、
なにかに毒されてしまっているのか、
それとも真の豊かさというものを勘違いしてきたのやもしれません。
そこで真の豊かさや幸せというものを、
自分の経験を通したことなどから考えたときに、
それは物質的なことよりも、人との関係性であったり、
動物や植物をも含めた自然との関係性だったりするのではないかと思うのです。
心が通じるという言葉があります。
それはお互いにどれだけシンクロしているかということであり、
しいては信頼性につながってくるのかもしれません。
信頼のある関係というのは、
癒され豊かな気分にしてくれます。
それは人と人との関係だけでなく、
動物や植物との関係にもいえることだと思います。
そのシンクロを起こさせているものは、
自我の心ではなく、もっと大きな心の源のようなものがあり、
その源から流れてくるものを内に流すというか、
身をゆだねるというか、外に流すというか、
うまく表現できませんが、
そんな感じのことではないかと漠然と思ったりしています。
田舎で暮らしはじめたころ、
ものすごいヒマジンな時期がありました。
家には家電製品はラジオしかなく、
日がな一日、小鳥やタヌキと遊んだり、
知人から貰ってきたハーブを植えたりして過ごしていました。
そのハーブを植えたときに、強く感じたことがありました。
山を削ったばかりの地面の土では、
なかなかハーブは根付きませんでした。
しかし、一度目は枯らしてしまっても、
二度目に植えると根付くということが何度かありました。
かといって、毎度二度目に根付くこともなく、
枯れることもありました。
そのときに、閃くというか、
うん、これはそうに違いないと思うことがありました。
それは、一度目に植えたハーブが、
たぶん土だと思うのですが、
なにかの情報のようなものを残すのではないかと感じたのでした。
二度目に植えたハーブが、その情報のようなものを受け取り、
その土に順応しようと、早めに変化しているから、
なんとか根付くのではないかと感じたのでした。
その後押しというか、
手助けとなるものは、
植えて世話をする人の思い、
つまり精神性が重要なのではないかと、
そのときに強く感じたのでした。
偉い植物学者が、そんなこたぁないと断言されたとしても、
自分が素直に思い、感じとったことというものは、
なかなか揺らがなかったりするのです。
無茶苦茶バカなことを書いているのかもしれませんが、
いまでもきっとそうに違いないと思ってます。
自然と密接な関係で生きている人ほど、
迷信など非科学的といわれるものを信じている気持ちがわかるような気がします。
くだらない迷信は捨て去ってもかまいませんが、
なかには真実もあったかもしれません。
捨て去ったよいものを取り戻し、
それらとハイテクを融合させたら、
豊かな時代になるのかもしれません。
いまは間違いなく文明の転換期です。
三界は唯心の所現なりです。
つい最近、A子さんから電話があり、家の庭に生まれて一月くらいの子猫を連れた野良猫がきたので、
子猫を抱いて見てみたら、とても弱っていて、しかも両目が潰れているのよ、といわれた。
ものの道理からして、大の動物好きのA子さんのことを親猫がさっして、
両目が潰れた子猫をA子さんに託したに違いないと思い、
その子猫を大切に育ててあげたら、
きっと良いことがありますよと、漠然とした素敵な物語を空想して、
わりと無責任に答えておいた。
あくる日にまた電話があり、動物病院に連れていったら、
両目は回復することはないだろといわれたとのことで、
それでも、A子さんは覚悟を決めて世話をすることにしたそうだ。
病院で貰ったミルクをあまり飲まないので、親猫が来そうなところに置いて、
カラスにつつかれないように、日がな一日見守ったりもして、
時折、親猫が様子を見にくるようにもなったそうです。
親猫を感じて安心したのか、A子さんの手からミルクも飲むようになり、
ペースト状の餌を掌でもっとペースト状にして、
直接掌からペロペロと餌を食べるようになり、日に日に元気になってきて、
片目が少し開いてきて、黒目も見えるようになったと、
日に何度も報告の電話があったりしました。
そして昨日、子猫を表に出したら、親猫だけでなく、
野良猫が三匹あらわれて、その子猫をずっと見守っていたそうです。
その様子を、通りがかりの老紳士が見てて、
その子猫はもしかしたらオスの三毛猫ではないですかといわれ、
確かめたらオスだったそうで、オスの三毛猫は大変珍しいものだといわれたと、
また電話がありました。
そういえば、漁師の網元なんかが、
オスの三毛猫は縁起がよいからと、
大切にしたと聞いたことがありますといいながら、
ネットで調べてみたら、
『福を招く三毛猫を船に乗せると船が遭難しないという言い伝えがあり、
特にオスの三毛猫はその希少性のためからか福を呼び船が沈まないと言われ、
江戸時代には実際に高値で取引されていたとされる』と書いてあったことを伝えました。
それを聞いて、A子さんは、
ヤゾーさんが最初いってた通りねぇ〜、
ほんとうに福をもたらす猫ちゃんだったのねぇ〜と喜んでいました。
そこでぼくは、そろそろ地震も起こるかもしれませんからというと、
A子さんは地震にも敏感なので、できうる限りの備えをし、
地震が起こった際のシュミレーションまで頭の中で何度もしているのですが、
この猫ちゃんのことで、無事に乗り切れるという思いがするとおっしゃっていた。
地震の怖いところは、なんといっても人的損害であり、
これからの日本、しいては世界のためになる人を失うことがあってはなりません。
それは精神性や神を信じているとかいう話ではなく、
例えば、最近、阪大名誉教授が常温核融合の公開実験に成功という、
あまりマスコミに取り上げられなかったニュースがありました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~sugi_m/page284.htm
難しいことはさっぱりコンコンわかりませんが、
もし実用化されたとしたら、
エネルギー問題はなくなるといわれているみたいですし、
また、電気自動車へ移行するためのネックとなっているひとつに、
燃料電池はレアメタルであるプラチナを大量に必要とするという問題も、
プラチナを作り出すにはタングステンがあればよいと書いてあったページもありましたから、
そういう問題すらも解決できるのかもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/9f8b5893ee63e252dcaa0de25f1e8266
どちらも、トンデモ話なのかもしれませんが、
必要とされているものは、
いずれ作りだされる。
これは間違いありません。
しかし、そういう方向へ向かわせる、
人を失うことがあれば大きな痛手となります。
特別な存在ではなくても、
ひとり一人、大切な役割を持っているに違いありません。
以前、王子とのメールのやりとりのなかで、
王子がA子さんのことを、これからの在日コリアンの人たちのあり方、
またモデルとして、重要な存在になるかもしれませんと、
おっしゃっていたことがあったと記憶していますが、
そうなのかもしれません。
また、王子とのメールのやりとりのなかで、
ぼく自身は、どちらかというとマイノリティ側の人間だとは思うのですが、
心情的には純粋右翼的なところが強くあって、
反日的なマイノリティに対し、強硬的な意見を述べたときに、
そういう考えは、この国に内乱を起こしかねませんし、
敵と味方でしか考えられないのなら、
われわれ日本人は共倒れにさせられてしまうことでしょうと、
お叱りを受けたことがあったと記憶しています。
それくらい、この国の舵取りというのは、
これからの災害にしろ、人災にしろ、
難しいものがあるのかもしれません。
少しまえに、なにかのテレビ番組で、
国会議員や官僚の顔を見る機会があったときに、
何割かの人たちのあまりの人相の悪さを見た瞬間、
ああ、この国の中心である東京に、
どうしても地震を起こすのだろうなと直感したことがありました。
それは、大自然=神が起こすのか、
神の代理人と思い込んでいる人たちが人為的に起こすのかは知りませんが、
そう遠くない将来ではないかと感じています。
災害にしろ人災にしろ、事前にできうる限りの備えをして、
何度も頭の中でシュミレーションしておくことで、
被害を最小におさえることができると思います。
ピラミッド型社会とネットワーク型社会
http://tirmun.net/prince+index.p+127.htm
>水面に投じた一石が、波紋を広げるように、
>さまざまな情報が、円を描いてネット上に広がっていく。
>それらが、やがて実社会にまで波及していく。
>ここに、今後の人類の可能性を見いだすこともできるだろう。
あれれ、A子さんから、
まったく同じようなビジョンを見たという、
話を聞いたような気がします。
それも知り合った当初ですから、
5年以上前で、ネットがなんなのか、
ご本人がまったく知らないころだったと思います。
>サンカと呼ばれた人々は、
>『どこにも属さない存在』である。
どこにも毒されない、いや属さないというのは、
なによりもの強みだったりするのかもしれませんね。
王子とA子さんは天才かもしれないと思うことがあります。
ほんとうは王子へのメールに書こうと思っていたのですが、
A子さんの近況を書いちゃったりします。
A子さんは、某宗教団体から、特別な存在として、
幹部直々に説得にきたりして、
一時は傾倒しかかっていたのは王子もご存知だと思います。
王子からは、組織団体に対して、決して敵視することなく、
どんな組織団体にも、役割やら必然性があるのだからとのアドバイスを受け、
とくに批判することもなく話を聞いてきました。
そのA子さんが少しまえに、某宗教団体の人たちに対して、
私に会いにきたかったら、脱会してからにしなさい、
また、まわりに集っていた在日コリアンの人たちに対して、
ちゃんと日本に帰化してから家に遊びにきなさいと言い放ったそうです。
あなたたちの行っていることは、不自然ですと。
ものの道理からすると、
不自然はいずれ淘汰されるのかもしれません。
子猫を抱いて見てみたら、とても弱っていて、しかも両目が潰れているのよ、といわれた。
ものの道理からして、大の動物好きのA子さんのことを親猫がさっして、
両目が潰れた子猫をA子さんに託したに違いないと思い、
その子猫を大切に育ててあげたら、
きっと良いことがありますよと、漠然とした素敵な物語を空想して、
わりと無責任に答えておいた。
あくる日にまた電話があり、動物病院に連れていったら、
両目は回復することはないだろといわれたとのことで、
それでも、A子さんは覚悟を決めて世話をすることにしたそうだ。
病院で貰ったミルクをあまり飲まないので、親猫が来そうなところに置いて、
カラスにつつかれないように、日がな一日見守ったりもして、
時折、親猫が様子を見にくるようにもなったそうです。
親猫を感じて安心したのか、A子さんの手からミルクも飲むようになり、
ペースト状の餌を掌でもっとペースト状にして、
直接掌からペロペロと餌を食べるようになり、日に日に元気になってきて、
片目が少し開いてきて、黒目も見えるようになったと、
日に何度も報告の電話があったりしました。
そして昨日、子猫を表に出したら、親猫だけでなく、
野良猫が三匹あらわれて、その子猫をずっと見守っていたそうです。
その様子を、通りがかりの老紳士が見てて、
その子猫はもしかしたらオスの三毛猫ではないですかといわれ、
確かめたらオスだったそうで、オスの三毛猫は大変珍しいものだといわれたと、
また電話がありました。
そういえば、漁師の網元なんかが、
オスの三毛猫は縁起がよいからと、
大切にしたと聞いたことがありますといいながら、
ネットで調べてみたら、
『福を招く三毛猫を船に乗せると船が遭難しないという言い伝えがあり、
特にオスの三毛猫はその希少性のためからか福を呼び船が沈まないと言われ、
江戸時代には実際に高値で取引されていたとされる』と書いてあったことを伝えました。
それを聞いて、A子さんは、
ヤゾーさんが最初いってた通りねぇ〜、
ほんとうに福をもたらす猫ちゃんだったのねぇ〜と喜んでいました。
そこでぼくは、そろそろ地震も起こるかもしれませんからというと、
A子さんは地震にも敏感なので、できうる限りの備えをし、
地震が起こった際のシュミレーションまで頭の中で何度もしているのですが、
この猫ちゃんのことで、無事に乗り切れるという思いがするとおっしゃっていた。
地震の怖いところは、なんといっても人的損害であり、
これからの日本、しいては世界のためになる人を失うことがあってはなりません。
それは精神性や神を信じているとかいう話ではなく、
例えば、最近、阪大名誉教授が常温核融合の公開実験に成功という、
あまりマスコミに取り上げられなかったニュースがありました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~sugi_m/page284.htm
難しいことはさっぱりコンコンわかりませんが、
もし実用化されたとしたら、
エネルギー問題はなくなるといわれているみたいですし、
また、電気自動車へ移行するためのネックとなっているひとつに、
燃料電池はレアメタルであるプラチナを大量に必要とするという問題も、
プラチナを作り出すにはタングステンがあればよいと書いてあったページもありましたから、
そういう問題すらも解決できるのかもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/9f8b5893ee63e252dcaa0de25f1e8266
どちらも、トンデモ話なのかもしれませんが、
必要とされているものは、
いずれ作りだされる。
これは間違いありません。
しかし、そういう方向へ向かわせる、
人を失うことがあれば大きな痛手となります。
特別な存在ではなくても、
ひとり一人、大切な役割を持っているに違いありません。
以前、王子とのメールのやりとりのなかで、
王子がA子さんのことを、これからの在日コリアンの人たちのあり方、
またモデルとして、重要な存在になるかもしれませんと、
おっしゃっていたことがあったと記憶していますが、
そうなのかもしれません。
また、王子とのメールのやりとりのなかで、
ぼく自身は、どちらかというとマイノリティ側の人間だとは思うのですが、
心情的には純粋右翼的なところが強くあって、
反日的なマイノリティに対し、強硬的な意見を述べたときに、
そういう考えは、この国に内乱を起こしかねませんし、
敵と味方でしか考えられないのなら、
われわれ日本人は共倒れにさせられてしまうことでしょうと、
お叱りを受けたことがあったと記憶しています。
それくらい、この国の舵取りというのは、
これからの災害にしろ、人災にしろ、
難しいものがあるのかもしれません。
少しまえに、なにかのテレビ番組で、
国会議員や官僚の顔を見る機会があったときに、
何割かの人たちのあまりの人相の悪さを見た瞬間、
ああ、この国の中心である東京に、
どうしても地震を起こすのだろうなと直感したことがありました。
それは、大自然=神が起こすのか、
神の代理人と思い込んでいる人たちが人為的に起こすのかは知りませんが、
そう遠くない将来ではないかと感じています。
災害にしろ人災にしろ、事前にできうる限りの備えをして、
何度も頭の中でシュミレーションしておくことで、
被害を最小におさえることができると思います。
ピラミッド型社会とネットワーク型社会
http://tirmun.net/prince+index.p+127.htm
>水面に投じた一石が、波紋を広げるように、
>さまざまな情報が、円を描いてネット上に広がっていく。
>それらが、やがて実社会にまで波及していく。
>ここに、今後の人類の可能性を見いだすこともできるだろう。
あれれ、A子さんから、
まったく同じようなビジョンを見たという、
話を聞いたような気がします。
それも知り合った当初ですから、
5年以上前で、ネットがなんなのか、
ご本人がまったく知らないころだったと思います。
>サンカと呼ばれた人々は、
>『どこにも属さない存在』である。
どこにも毒されない、いや属さないというのは、
なによりもの強みだったりするのかもしれませんね。
王子とA子さんは天才かもしれないと思うことがあります。
ほんとうは王子へのメールに書こうと思っていたのですが、
A子さんの近況を書いちゃったりします。
A子さんは、某宗教団体から、特別な存在として、
幹部直々に説得にきたりして、
一時は傾倒しかかっていたのは王子もご存知だと思います。
王子からは、組織団体に対して、決して敵視することなく、
どんな組織団体にも、役割やら必然性があるのだからとのアドバイスを受け、
とくに批判することもなく話を聞いてきました。
そのA子さんが少しまえに、某宗教団体の人たちに対して、
私に会いにきたかったら、脱会してからにしなさい、
また、まわりに集っていた在日コリアンの人たちに対して、
ちゃんと日本に帰化してから家に遊びにきなさいと言い放ったそうです。
あなたたちの行っていることは、不自然ですと。
ものの道理からすると、
不自然はいずれ淘汰されるのかもしれません。
ここのところ、お互いに忙しくて連絡を取ってなかったA子さんから電話があった。
いろいろと近況を話しあったところで、
いまは『遠くを見ることが一番の近道』という言葉が浮かぶのよ、とおっしゃっていた。
目のまえの孫や動物の世話を一生懸命にして、
同時にずっと遠くを見ているような感覚かしら、
それが自分が求めているものへの、
一番の近道だと感じるのだともおっしゃっていた。
未来の、あるべく人の世を見て、
目の前の現実を一歩一歩確実に歩むということなのかもしれません。
そんなA子さんが、言霊のおっさんから直接話を聞きたいというので、
昨夜、言霊勉強会ということで、言霊のおっさんにぼくの家に来てもらい、
スカイプを使って二時間ほどお互いの顔を見ながら話をしてもらった。
ぼくは少し離れたテレビで女子バレーを観戦していたが、
どんな話をしているのか気にはしていた。
言霊のおっさんは、相変わらず上目線の話し方だけど、
少し緊張気味で、敬語を使って話をしていたので、
いつものぼくに対するような、偉そうだけど、
言い切る迫力のようなものが少しなかったかもしれない。
そんな言霊のおっさんの話を、
A子さんは、はいはいと聞いているようだった。
言霊のおっさんが、私たちは、
これからの指導者を育てる役割を持っていると言っていたけど、
はてさて、私たちって誰なんだろう?
言霊の師匠とか、その教えを受けた人たちのことなのだろうか?
指導者を育てるって?
こりゃまたご大層なものの言い方だなぁとか思いながら耳を欹てていた。
A子さんの、指導者というのは、どういう人たちのことですかとの問いに、
これまでの指導者は、ピラミッドでいうところの上の階層になりますが、
これからの指導者というのは、円の中心ということになります。
また、無色透明がなんたらかんたらと言ってましたが、
女子バレーを見るのに集中してしまい、
聞き逃してしまった。
なんとなく、大したようで、実は大したことのない人は多いけど、
なんでもないようで、実はなんでもないことがない人みたいな、
そんなようなことだったような気もしますが、
ぼくの勘違いかもしれません。
まあ、言っていることは、少しは納得できるけれど、
本人を見ていると、あまりにも突っ込みどころが多すぎて、
あまりリアリティがなかったりします。
遠くを見るための指標を教える役割を持った人もいるだろうし、
躓かずに一歩一歩あゆむための手助けとなる役割もあるのだと考えたら、
言霊のおっさんみたいな存在もありかなとも思えるし、
どちらが偉いとかいうものではないのかもしれません。
勉強会が終わり、スカイプを切り、
言霊のおっさんに対してのぼくの一声、
まあ、問題はお金を儲けることやねぇ、と言うと、
本人、いたく神妙になって、そうやなぁと珍しく相槌を返してきました。
そんな言霊のおっさんは、ぼくに対して借金があるのでした。
A子さんに対して一方的に言霊を講義しているようで、
はいはいと聞いているA子さんから、
地に足のついた何かを感じ取ったのかもしれません。
遠くの目標は常に忘れることなく、
目のまえの現実を一歩一歩乗り越えてゆくしかないのかもしれません。
お金儲けの時代ではないとは思いつつ、
問題はお金を儲けること、
これは多くの人たちが抱えた問題なのかもしれません。
いろいろと近況を話しあったところで、
いまは『遠くを見ることが一番の近道』という言葉が浮かぶのよ、とおっしゃっていた。
目のまえの孫や動物の世話を一生懸命にして、
同時にずっと遠くを見ているような感覚かしら、
それが自分が求めているものへの、
一番の近道だと感じるのだともおっしゃっていた。
未来の、あるべく人の世を見て、
目の前の現実を一歩一歩確実に歩むということなのかもしれません。
そんなA子さんが、言霊のおっさんから直接話を聞きたいというので、
昨夜、言霊勉強会ということで、言霊のおっさんにぼくの家に来てもらい、
スカイプを使って二時間ほどお互いの顔を見ながら話をしてもらった。
ぼくは少し離れたテレビで女子バレーを観戦していたが、
どんな話をしているのか気にはしていた。
言霊のおっさんは、相変わらず上目線の話し方だけど、
少し緊張気味で、敬語を使って話をしていたので、
いつものぼくに対するような、偉そうだけど、
言い切る迫力のようなものが少しなかったかもしれない。
そんな言霊のおっさんの話を、
A子さんは、はいはいと聞いているようだった。
言霊のおっさんが、私たちは、
これからの指導者を育てる役割を持っていると言っていたけど、
はてさて、私たちって誰なんだろう?
言霊の師匠とか、その教えを受けた人たちのことなのだろうか?
指導者を育てるって?
こりゃまたご大層なものの言い方だなぁとか思いながら耳を欹てていた。
A子さんの、指導者というのは、どういう人たちのことですかとの問いに、
これまでの指導者は、ピラミッドでいうところの上の階層になりますが、
これからの指導者というのは、円の中心ということになります。
また、無色透明がなんたらかんたらと言ってましたが、
女子バレーを見るのに集中してしまい、
聞き逃してしまった。
なんとなく、大したようで、実は大したことのない人は多いけど、
なんでもないようで、実はなんでもないことがない人みたいな、
そんなようなことだったような気もしますが、
ぼくの勘違いかもしれません。
まあ、言っていることは、少しは納得できるけれど、
本人を見ていると、あまりにも突っ込みどころが多すぎて、
あまりリアリティがなかったりします。
遠くを見るための指標を教える役割を持った人もいるだろうし、
躓かずに一歩一歩あゆむための手助けとなる役割もあるのだと考えたら、
言霊のおっさんみたいな存在もありかなとも思えるし、
どちらが偉いとかいうものではないのかもしれません。
勉強会が終わり、スカイプを切り、
言霊のおっさんに対してのぼくの一声、
まあ、問題はお金を儲けることやねぇ、と言うと、
本人、いたく神妙になって、そうやなぁと珍しく相槌を返してきました。
そんな言霊のおっさんは、ぼくに対して借金があるのでした。
A子さんに対して一方的に言霊を講義しているようで、
はいはいと聞いているA子さんから、
地に足のついた何かを感じ取ったのかもしれません。
遠くの目標は常に忘れることなく、
目のまえの現実を一歩一歩乗り越えてゆくしかないのかもしれません。
お金儲けの時代ではないとは思いつつ、
問題はお金を儲けること、
これは多くの人たちが抱えた問題なのかもしれません。
>『気づき』とは、
>『現実に何ができるか?』を知ることです。
>山に籠もっていては、多くの人を助けられないでしょ?
おっしゃるとおりです。
名無しさんとしての投稿だったとしても、
黄金のおっちゃんに対して、
首相はちょっと軽薄な投稿だったと思い反省しております。
>街があるから、自然の大切さもわかるし、
>お金があるから、お金で買えないものの価値がわかるのです。
そうなんですよね。
ほんとうのお金持ちの中には、
お金で買えないものの価値をよく知っていたり、
また、極貧に対しても平然と耐えられたりする人っているんですよね。
>地震も四季と同じく、わが国の風土なのだから。
>自然の厳しさを知る、またとない機会なのだから。
天災によって育まれてきた国民性というものも大きいのでしょうね。
自然は美しく有難いだけでなく、
情け容赦のない手厳しさをも、持ち合わせていますからね。
人間も他の動物と同じく、自然に支配(自然の一部)された存在なのだと、
謙虚さを知る機会でもあるのかもしれませんね。
>日本での地震は、被害は最小限にくい止められます。
そのあたりが、日本たるゆえんなのかもしれませんね。
>悲観せず、けれど油断せず、やっていきましょう。
すこしマンガチックなお話ですが、
宮崎アニメで、コナンとかナウシカが、
胸騒ぎみたいにして、危機を予感するシーンがありましたね。
それに近いような、そうでもないような、
どちらかというと南海地震の際、山間部に暮らしているので、
地震への恐怖から過敏になっているだけかもしれませんが、
東北での地震を知ったときに、本州を南下するようにして、
大きな地震が続いておこるような予感がして仕方がありませんでした。
どうしても気になったので、人というものは、
一人が思うことは、他にも誰かが同じことを思うものですから、
ネットで検索して調べてみました。
そしたら、2ちゃんねるの、
【いきもの】「五十年間漁師をしてきたが初めてだ」
リュウグウノツカイがイカ釣り漁船に釣り上げられる(画像有り)
というスレッドの中に、
21 名前: 本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2008/06/04(水) 20:10:50 ID:99g/gUCk0
東北はみちのくから
兵庫近辺
最後の最後に関東・・・
という過去の投稿の紹介があって、、
別にそんなの予言しても、偉いこともなんにもありませんが、
一応、すこしはマトを得たことを言うことのある言霊のおっさんにそのことを話したら、
ワシもそんなイメージを持っていると言います。
まあ、どちらもあまりあてになりませんから、
悲観することもありませんが、
決して油断はしてはならないのかもしれません。
それより、釣ってびっくり浜坂沖でリュウグウノツカイ
ってニュースを読んで、
http://www.nnn.co.jp/news/080610/20080610009.html
リュウグウノツカイについて調べたら、
こんなに大きなのがいるんだとビックリしました。
こんなの泳いでいるところを目の当たりに見たら、
なんか自然観が変わりそうです。
リュウグウノツカイの写真
http://green.web6.jp/wp-content/uploads/2008/03/fish-regalecus-russelii.jpg
リュウグウノツカイの映像
http://jp.youtube.com/watch?v=gUaL6hHluZ8&feature=related
>『現実に何ができるか?』を知ることです。
>山に籠もっていては、多くの人を助けられないでしょ?
おっしゃるとおりです。
名無しさんとしての投稿だったとしても、
黄金のおっちゃんに対して、
首相はちょっと軽薄な投稿だったと思い反省しております。
>街があるから、自然の大切さもわかるし、
>お金があるから、お金で買えないものの価値がわかるのです。
そうなんですよね。
ほんとうのお金持ちの中には、
お金で買えないものの価値をよく知っていたり、
また、極貧に対しても平然と耐えられたりする人っているんですよね。
>地震も四季と同じく、わが国の風土なのだから。
>自然の厳しさを知る、またとない機会なのだから。
天災によって育まれてきた国民性というものも大きいのでしょうね。
自然は美しく有難いだけでなく、
情け容赦のない手厳しさをも、持ち合わせていますからね。
人間も他の動物と同じく、自然に支配(自然の一部)された存在なのだと、
謙虚さを知る機会でもあるのかもしれませんね。
>日本での地震は、被害は最小限にくい止められます。
そのあたりが、日本たるゆえんなのかもしれませんね。
>悲観せず、けれど油断せず、やっていきましょう。
すこしマンガチックなお話ですが、
宮崎アニメで、コナンとかナウシカが、
胸騒ぎみたいにして、危機を予感するシーンがありましたね。
それに近いような、そうでもないような、
どちらかというと南海地震の際、山間部に暮らしているので、
地震への恐怖から過敏になっているだけかもしれませんが、
東北での地震を知ったときに、本州を南下するようにして、
大きな地震が続いておこるような予感がして仕方がありませんでした。
どうしても気になったので、人というものは、
一人が思うことは、他にも誰かが同じことを思うものですから、
ネットで検索して調べてみました。
そしたら、2ちゃんねるの、
【いきもの】「五十年間漁師をしてきたが初めてだ」
リュウグウノツカイがイカ釣り漁船に釣り上げられる(画像有り)
というスレッドの中に、
21 名前: 本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2008/06/04(水) 20:10:50 ID:99g/gUCk0
東北はみちのくから
兵庫近辺
最後の最後に関東・・・
という過去の投稿の紹介があって、、
別にそんなの予言しても、偉いこともなんにもありませんが、
一応、すこしはマトを得たことを言うことのある言霊のおっさんにそのことを話したら、
ワシもそんなイメージを持っていると言います。
まあ、どちらもあまりあてになりませんから、
悲観することもありませんが、
決して油断はしてはならないのかもしれません。
それより、釣ってびっくり浜坂沖でリュウグウノツカイ
ってニュースを読んで、
http://www.nnn.co.jp/news/080610/20080610009.html
リュウグウノツカイについて調べたら、
こんなに大きなのがいるんだとビックリしました。
こんなの泳いでいるところを目の当たりに見たら、
なんか自然観が変わりそうです。
リュウグウノツカイの写真
http://green.web6.jp/wp-content/uploads/2008/03/fish-regalecus-russelii.jpg
リュウグウノツカイの映像
http://jp.youtube.com/watch?v=gUaL6hHluZ8&feature=related
