My Sensibility - 最新エントリー
黄金のおっちゃんのブログに、
YouTubeで矢追純一のUFOスペシャルが見れますとリンクが貼ってありました。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/
エージェントさんから言わせると、この回だけは秀逸だということなので、
数十年ぶりくらいにUFO番組を真剣に見てしまいました。
http://jp.youtube.com/watch?v=PD2S3J401lI
思い起こせば小中学生のころ、
矢追純一のUFOスペシャル番組を夢中になって見たものです。
久しぶりにUFOのことを思い出したら、
過去の出来事が走馬灯のように思い浮かんできましたので、
文章化できたものから書いてゆきたいと思います。
こう暑い日が続きますと、
頭がいつもにも増してボケてしまい、
あまりたいした文章も書けませんので、
この際、己を晒してナンボの世界を展開してみようと思います。
立派でもないのに、背伸びしたりしたことを書くと、
どうしてもうそ臭くなりますので、
ありのまま書いてゆこうと思います。
かなりタブーに触れたことも書くと思いますし、
トンデモ的なことも書くと思いますが、
嘘偽りのない、自分が見聞きし、体験してきたことを書いてゆきます。
若干の誇張やボヤカシはご了承ください。
思いつきであちこち飛んだり、
長文になるかもしれませんので、
何度かに分けて書くかもしれません。
まず、ぼくが育った環境からお話させていただきます。
生まれたのは母親が縁のある神戸市灘区なのですが、
育ったのは紀伊半島の海岸線沿いにある企業城下町のような小さな町です。
思い起こせば、育ったところというのは、
ずっと嫌ってきましたが、
ある意味とても面白いところだったのかもしれません。
平安時代に建立され、当時は七堂伽藍の立派なお寺だったのが、
江戸時代以前に本堂だけになり、その本堂も朽ち果て、
地元のお年寄りたちが管理し観音講に使っていたのを、
崩壊しそうで危険だからと調査したら、本尊が重要文化財に指定されるような、
古いお寺ばかりが多い、とても貧しい村だと古文書に書いてあるようなところです。
昭和10年ころまでは、海岸には遠浅の綺麗な砂浜が隣町の境界まで続き、
松林も綺麗で、宮本武蔵の映画のロケ地にもなったことがありました。
その砂浜の一部を埋め立て、昭和10年代には石油精製工場が造られます。
戦時中には何度もの空襲にあい、
一族すべてのものが防空壕で亡くなるということもあったようです。
戦後、その工場は外資系の石油精製工場となり、
ぼくが子供のころには、日本でも有数の利益率を誇る会社だと聞かされたことがあります。
町にはかなりの税収あったからでしょうか、
遠方から泳ぎにくるような立派な市民プールが古くからありました。
ぼくが小学生の低学年のころ、まだ綺麗な砂浜が一部残っていたのを記憶していますが、
その砂浜までも埋め立て、石油備蓄コンビナートができたころに、
その立派な市民プールができたような気がします。
12.3歳ころ、建設関係の仕事をしていた親父の手伝いで、
その工場内にあるアメリカ人役員用の住宅に行ったことがありました。
ホワイトハウスと呼ばれていたように思います。
そこだけが、まるで別世界のような住宅でした。
育った町の山手には古くから暮らす百姓の村と、
中心部から海岸にかけて被差別部落が数箇所と朝鮮部落もあり、
学校では、百姓の子も部落の子も朝鮮の子も、
また石油精製会社に勤めるエリートの子もいました。
その会社の社員は、優秀な高卒か、
東大京大出身者しか採用しないようなところで、
小学生のときに仲良しだった女の子もエリートの子供で、
お爺さんもお父さんも東大出のようでした。
エリート社員の殆どは、近代的な立派な社宅に暮らしていましたが、
工場の近くの劣悪な環境のところには、
トタン屋根のバラックに豚と一緒に暮らす朝鮮の人たちや、
砂浜の近くの松林には、掘っ立て小屋が並んだ被差別部落もありました。
ですから学校には百姓の子もエリートの子も部落や朝鮮の子もいました。
中学くらいのときに、朝鮮部落から成り上がり、
バラックの近くに豪邸を建てた人がいて、
その家に親父の仕事の手伝いで一緒に行ったことがありました。
その豪邸のベランダからは朝鮮部落のバラック屋根が見渡せ、
なんという格差かと思った記憶がりあます。
その豪邸を建てた人ですが、
なかなかの人格者にして情に厚い方で、
クリスマスに貧しい子供たちに自転車をプレゼントしたり、
また会社を幾つか持っていたのですが、
在日コリアン日本人分け隔てなく、
とても面倒見のよい方だと耳にしていました。
後年、ぼくが熊野に暮らすようになり、
その社長が不治の病に侵され、
熊野の湯治場に通ってくることがあり、
何度か宿泊先に招待され話をしたことがありましたが、
数年前にお亡くなりになったようです。
とても惜しい人を亡くしたと心から悔やみました。
部落在日コリアンの中には洒落にならないくらい悪い人間がいることは、
身を持って知ってはいますが、
それと同時にずば抜けた人格者もいるということを、
やはり身を持って知ることができたたということは、
ぼくにとって大きな財産のような気がします。
しかし世の中、そんな奇麗事ばかりで成り立つべくもなく、
旧勢力に対し、同和勢力や在日コリアン勢力が成り上がる過程を見ていると、
表に出ることのない壮絶な抗争というものがあったことも事実です。
人格や能力だけでなく、身内にヤクザや政治に長けた人がいて、
脅しや紳士的交渉を使いこなし、成り上がるのを見聞きしてきました。
旧勢力者のドラ息子を誘拐してきて拳銃を突きつけ、
ロシアンルーレットをして脅したなどという噂もありました。
もの凄く金回りのよい企業城下町というのは、
裸一貫から、ヤーを言って成り上がりやすいところだったのかもしれません。
狭い道路をタンクローリーが頻繁に行き来するメインストリートがあり
ぼくも小さなころタンクローリーに轢かれそうになったことがありますが、
その道に寝転がってタンクローリーを通さないと暴れた人が、
元手がいらず近所のおばちゃんを数人雇ってできる道の清掃作業の請負から始まり、
二十年程でプラント工事用の大型クレーン車を何台も所有する会社まで成り上がるというのも見てきました。
外資系の一流会社というのは、
もしかしたら同和や在日コリアンに対し、
寛大なものがあったのかもしれません。
部落の親族や同級生の親で、
その会社に勤め、
よいポジションまでいった人も結構いたような気がします。
小さなころ、みんなでよく草野球をした記憶がありますが、
部落や在日コリアンの多いチームは運動神経では勝っているのですが、
エリートの子供の多いチームにルールを知らないので負けるという面白いこともありました。
それでも子供たちには、エリートも部落も在日コリアンもありませんでした。
親たちには差別はあったかもしれませんが、
子供同士では、気の合うものたち、
それぞれ仲良くやっていたと思います。
只、今思い起こしてみると、
朝鮮部落から朝鮮学校へ行った子供たちとは、
殆ど交流がなかったように思います。
そのころ、小学生高学年くらいから、
矢追純一のUFOスペシャルを見るようになり、
小学校の校庭での小石拾いの時間に、
葉巻型のUFOを集団で目撃するということがありました。
伸びたり縮んだりして、しばらく浮かんでました。
小学生くらいまでは、みんな仲良しだったのが、
中学くらいになると、エリートの子供たちは、
親がこちらに残っても、本人は東京へ行くというか、
戻るようなかたちが多かったかもしれません。
地元出身の同級生の中にも、親が教育熱心だったり、
経済的に余裕のある家庭では、
子供を寮のある他府県の学校へいかせたりすることもありました。
環境が悪かったからでしょうか。
県内でも悪い中学校ということで有名だったので、
同級生のなかに不良グループや番長グループというのが構成されてゆきました。
強烈に悪いやつというのは、、
部落在日コリアンの子が多かったかもしれません。
ぼくはというと、音楽とボクシングに夢中で、
番長グループとかにまったく興味もなく、
どちらかというと、浮いていたというか、
遠巻きにしてちょっかいをだされて、
苛められていた感があります。
中学くらいから、大の学校嫌いでしたので、
学年では一番欠席日数が多かったと思います。
なにかにつけ休んだり、学校へ行くふりをして、
海や山で過ごすこともありました。
苛めっ子というのは、小山の大将クラスの、
スケールの小さいものたちですから、
こちらが羽目を外して新聞だたになるような事件を起こしてからは、
もうちょっかいをだしてくることもなくなりました。
そんな状態でしたので、
まったく勉強もせず、地元の高校へ進むのに、
恥ずかしながら、石油精製工場に勤める親戚の顔で、
東大出と京大出の家庭教師を付けてもらい勉強をされられたことがありました。
そんなお金があるのなら、
良いギターでも買ってくれればとも思いましたが、
どちらの先生も面白い人だったので、
退屈はしませんでした。
そういえば、中学のときに、
二年間くらい自分の欲しいものを買うために、
新聞配達のアルバイトをしていました。
家計を助けるのでしたら立派かもしれませんが、
楽器やボクシングのグローブを買うためでした。
怠け者のようで、勤勉なところもある、
わけのわからないところがありました。
朝早く、小さな駅に新聞を取りにゆくのですが、
朝鮮学校へ通う女の子が、
民族衣装を着て始発の電車を待っているのをよく見かけました。
子供には偏見なんてありません。
フィーリングが合うか合わないかです。
密かに胸をトキめかせるような娘もいました。
そんな環境でしたので、
まわりの思想的な影響からいえば、
どちらかというと左側に寄ったもので、
反天皇的なものだったのかもしれません。
また爺さんも親父も、昭和天皇に対しては、
決してよくは言ってませんでした。
またぼくが上京してからも、友人知人になる人の多くは、
左寄りの人が多く、天皇に対してよく言う人はあまりいませんでした。
なんかいろんな集会に連れていかれたような気がします。
爺さんは、所謂被差別部落出身ということになりますが、
この被差別部落という定義は、
その経緯により複雑にして難しい場合もあります。
爺さんの生まれたところは、幕末明治ころに四国の方から流れてきたらしいといわれていますが、
同じ町にやはり四国の方から流れてきた人たちの部落があり、
戦前戦後には同じように貧しく差別をされていたみたいです。
しかし、その部落は非常に結束力が強く、
また教育熱心なところでもあり、
いち早く脱賎民化したといいますか、
昭和四十年代ころには、地元の政治経済を牛耳るようにまでなり、
それからは差別というものがなくなっています。
爺さんが生まれた部落ですが、やはり同じように戦後になり、
他所の一般の村と比較しても経済的に見劣りすることもなくなり、
差別をバネに努力したといえばそうなのでしょうが、
会社を興したり医者になった人がけっこうでたりしました。
表立った差別というものは殆どないように感じていますが、
目に見えないところでは今でもあるような気がします。
二つの似たような地区の決定的な違いは、
爺さんの生まれた地区の有力者が、
部落解放同盟と関係を持ち支部長に納まったことにあります。
というより、
解放同盟をひっぱってきた人物が有力者になったというほうが正しいのかもしれません。
同和対策事業特別措置法により、
裏山は削られ、地区の様子が一変してしまいます。
元から暮らしていた人たちは、
経済力のある人が多かったことから、
地区内に立派な家を建て、改良住宅には、
親類縁者を住まわすということが起こりました。
※以前運営していたサイトを通じて知り合った大学教授などと、
勉強会のようなことに何度となく参加しましたが、
被差別部落の指定を断り、
いまだに劣悪な環境での生活を余儀なくされている地区も残っているみたいですから、
一概に同和対策事業特別措置法の指定すべてが悪ともいえないということもあります。
それにより著しく生活が改善された地区もあることはあると思います。
しかし、裏の部分まで見聞きしてしまったものとして、
あまりにも一部の人たちを超え太らせ過ぎました。
家庭教師がよかったのか、
なんとか地元の県立高校へ進むことができたのですが、
本心では高校へは行きたくありませんでした。
高校を中退するときに聞いた話では、
県内どこの高校へでも合格できる点数を取ってたみたいですが、
例え進学校へ入学していたとしても、
もっと早く中退していたに違いありません。
中学から高校にかけて、
なんか場違いなところにいるなという思いが強くありました。
そんな学生でしたので、
学校へは通わない、
タバコとパチンコで何度も停学になるという状態でした。
その停学になるということで、
決定的に頭にくることがありました。
あからさまな差別を受けたのです。
それは部落差別とかではなく、
通っていた高校はスポーツが強く、
甲子園常連校で、春夏連続優勝もしていて、
他のスポーツも全国レベルのものがいくつかありました。
遊び仲間には、そういう部員が何人かいました。
特に親友として仲が良かったのは、
無理やりやらされながらも、
相撲で全国三位という実力のあるやつでした。
一緒にタバコやパチンコを見つかっても、
野球部や相撲部はお咎めなし、
すべてぼくだけが悪いということになっていました。
それに、そういう部員の不祥事をもみ消すということも、
何度も見てきました。
いずれにせよ、学校は辞める気でいましたが、
このままおめおめと辞めるのも納得がいきませんでしたから、
校長の首を飛ばしてから辞めてやろうと、
いろいろと算段し、刺し違えて、校長の首を飛ばしてから、
ぼくは退学になりました。
というか、学校側があまりの自分たちの非が怖くて、
自主退学ということでと頭を下げられました。
それともうひとつ、そんなことを表に出したら、
この町で家族は生きていけないとも脅されました。
ですから、特に甲子園に出場するような強豪高というのは、
例外はあるかとは思いますが、
次元の低い学校ですよと、言っているようなものだと思っています。
山形の甲子園出場校の部員の半数以上が、
大阪出身だとかで、
なにか履き違えた状態だということに気づかないのかと、
あきれてものも言えません。
選手が悪いのではなく、大人たち、
指導者がまったくなっていないのでしょう。
その高校からは、プロ野球選手や大リーグ選手などもでましたが、
それはそれでよいことだと思いますし、
誇らしいものもあると思います。
そういう選手には、大いに拍手を送りたい思いがします。
しかし、ぼくは地元でこの話をするたびに、
いつ刺されるかとも思ったりするのですが、
結局、甲子園春夏連覇し、
驕った時期の一番の有名人は誰かというと、
あの毒入りカレー事件により全国で有名になった犯人ではないかと思うのです。
よく彼女のことをネット上では在日コリアンや部落といういわれかたをしていますが、
ぼくが知りうる限りでは違います。
あの地域のごく普通の家庭だったように思います。
彼女の人間性をみていると、見栄っ張りで驕ったような、
当時の校風の申し子ではないかと思ったりしています。
うちの親父も同じ高校の出身者でしたから、
甲子園で何度も優勝したことを、
他府県の人に自慢していましたが、
そんなもの他府県の人はなにも思いません。
ふ〜んで終わりです。
中国がいくら金メダルを取ったからといって、
他国の人が立派な国だと思わないのと同じことです。
後年、ぼくが高校を退学するに至った経緯で、
一番の悪者は校長ではなく、
教頭をしていた人間だとわかり、
校長には悪いことをしたと悔やんだことがあります。
その教頭は、今はわかりませんが、
すこし前まで市の教育委員長についていたようです。
そういう人間が教育委員長なのですから、
大分での教育委員会による教員採用試験の不正問題など、
おそらく全国あちらこちで行われてきたものだと思います。
解放同盟の支部長で、いまは地元市会議員である人と、
うちの親父は従兄弟の関係にあり、
一時うちの親父も自民党系の同和団体の支部長をしていたことがあり、
地元の政治や役所に対し、影響力を持っていたことがありました。
そのときに、その教育委員長に、
うちの息子が高校のときに世話になったなと言葉を発したら、
青い顔してブルブルと震えていたと聞かされました。
うちの親父もろくなものではありません。
うちの親父はいまは大人しくしていますが、
解放同盟の支部長にして議員は、
いまでも実力者のようです。
そして同和地区の人たちだけでなく、
一般の地区の人たちからも頼りにされているみたいです。
そのあたりに解放同盟の底力を感じたりします。
そのおっさんとはあまり仲がよくないのですが、
世話好きなところと、親分肌のところは少し尊敬しています。
いろんな相談にものっているようですが、
それぞれの両親が百姓で、結婚を反対されているカップルが相談にきて、
親たちを呼んで説得をしたことがあったそうです。
最初はうちは娘だけだから養子をどうのこうのという話だったそうですが、
そのうちに家の格が違うだのどうのと親たちが言い出したときに、
そのおっさんが、おまえらどっちこちいうても鈍百姓やないかと一喝したそうです。
そして子の幸せ考えんかいといわれ、黙ってしまったそうです。
その親たちは、そのおっさんのことを被差別部落の人間で、
解放同盟の支部長ということまで知らなかったみたいです。
まあ百姓というのは、家の格が違うだのなんだのと、
だいぶうといなと、うちの親父に言ったそうです。
あのおっさんらしい言葉かもしれません。
UFOと天皇ということで書いてきたのですが、
どうも履歴書のようなことになってしまい、
いまさらどう書き直したらよいものやらとも思いますので、
このまま履歴書のような文章を続けさせていただきます。
祖母の話になりますが、
祖母は宮崎の山奥から女工で出てきたところを、
爺さんに見初められ結婚するに至ったようです。
当時、親からエタと結婚は許さないと反対されたようですが、
祖母は殆ど学校へは行ってなく、
戸籍上の年齢と実年齢にはかなり開きがあるようです。
今も健在で本人は90歳だと言っていますが、
実の妹がいうのに、93歳はいっているらしいです。
祖母の父親、ぼくからしたら曽祖父ですが、
ぼくが幼少のころに一緒に写した写真も残っているのですが、
樽の竹の部分を造っていたとのことですから、
どうもサンカ系ではないかと思っています。
とても人として綺麗な爺さんだったようです。
祖母ですが、いまでも頭のボケはいっさいなく、
というより天然ボケのままだからかもしれませんが、
記憶力は恐ろしく良いです。
母親は鳥取生まれで、ルーツは島根のようです。
幼少のころ、家に蔵がたくさんあり、
蔵の鍵を玩具にして遊んだ記憶があるとはいうものの、
戦前には没落してしまったようですから、
誰も信じていませんでした。
親父とは神戸で知り合ったようです。
本人の話では、
600年以上続いた旧家だと言い張っていましたが、
誰も信じるものはいませんでした。
これといって証拠となるものがあるわけでもなく、
先祖がどうしたところで母親は母親なのです。
またアメリカにたくさんの親戚がいて、
移民としてではなく、戦前に駆け落ちとして、
親族が渡ったのが始まりという話も聞いていました。
戦後は、GHQとしてやってきた親戚が、
とても面倒を見てくれて、
生活に困ることはなかったという話もしていました。
しかし、誰も信じることもなく、
リアリティのない話だと思っていました。
しかし、ぼくが上京したころに、
母親を訪ねてアメリカの親戚が来て、
ルーツのわかる資料や、
アメリカでの一族の話や写真を置いていったそうです。
日系人でペンタゴンに始めて勤めた人や、
丁度そのころ、フラッシュダンスという映画がありましたが、
そのなかで歌っている歌手のひとりが母親の従兄弟だということを知りました。
その従兄弟の結婚相手は、フィル・ラモーンという有名な音楽プロジューサーで、
ビリー・ジョエルを育てたり、ジュリアン・レノンや、
カレン・カーペンターとも関係した人のようです。
ニューヨークにある自宅の住所と電話番号を貰っているのですが、
いまだにぼくの中ではリアリティがありません。
親戚に有名人がいるから、
ぼくが偉いということもないし、
先祖が大名だから偉いということもないし、
ましては先祖が賎民だからといって恥じることも、
差別されるゆわれもないのです。
それぞれの先祖を、密かに誇り、
感謝すればよいだけのことなのです。
問題は、その人自身であり、
生き方であり、人間性なのです。
そういうあたりまえのものの道理がわからない愚か者が、
いまだに多いのは悲しい限りであります。
さて、高校を中退してから上京するまで、
数年間は実家の家業を手伝ったりしながら、
元々バイクやクルマが好きで仕方がないたちでしたから、
気の合う仲間たちと走り回ったりしました。
一番燃えたのは、自動車での信号グランプリでした。
それでも、所謂暴走族とは違い、
走り屋という感じだったと思います。
そのうちに地元の札付きの不良で、
高域暴力団のイケイケの組の準構成員になっていた男に誘われ、
一緒に旗を持って走るようになったりしました。
自分では普通だと思っていましたが、
今から思うと、荒んだ生活だったかもしれません。
不良の溜まり場での光景は今でもはっきりと覚えています。
安物のシャブ打って、朝までチンチロリンをしているやつらや、
花札やカブに乗じている連中、
被害妄想になって喧嘩しているやつら、
ものすごい程度の低い妄想や幻覚を見ているものたち、
そして、兄貴ぶんがアジトにしているところに連れていかれると、
今度は指のない組員たちがシャブのパケをプラスチックの物差しを使い、
ライターで炙って作っていました。
にいちゃんシャブやろうかと何度も言われたりしたものです。
いろんな悪いことはしてきたかもしれませんが、
シャブと女遊びだけは、
絶対に受け付けないものがありました。
しかし、そういった連中と接点があったのですから、
かなりマトモでない状態だったのかもしれません。
ヤクザの兄貴分がぼくの姓を聞いて、
解放同盟の支部長と親戚になるのかと聞くので、
そうだと答えたら、
もう二度とここへくるなと言われました。
そのおっさんから怒られるとでも思ったのかもしれません。
さて、自分でも何を書いているのかわからなくなってきましたが、
そういう愚かな自分が大きく変わるきっかけになったことがありました。
夜中まで遊びまわり、昼過ぎまで寝て、
ふてくされて足の指でテレビのスイッチを入れたときです。
画面には皇太子の成人式のような儀式が映し出されていました。
なにか烏帽子のようなものを被っていて、
あごひもをはさみで切った瞬間、
皇太子の顔がキリリと引き締まり、
それと同時にぼくのからだに電気が走ったようになり、
臣下の礼のごとく身をただし、
このお方に身命をかけてでもお使えしなければという思いが沸きあがってきました。
我に返り、いまのはなんだったのだろうかと、
どこかイカれてしまったのだろうかとも思ったりしました。
しかし、それをきっかけにしたかのように変化が訪れます。
まず、パチンコやギャンブルにはいっさい興味がなくなり、
からだが受け付けなくなってきました。
悪い連中とも疎遠になり、
本をいろいろと読み出すようになってきます。
もともと自然が大好きで、
ブラザーサン・シスタームーンに大きな影響を受け、
聖書を読むようなところがありましたし、
未来少年コナンを見て、
胸を熱く振るわせるようなところがありましたから、
本来の自分に戻ろうとしていたのかもしれません。
そして、上京することを考え始めました。
もし、そのときにニューヨークに親戚がいることを知っていれば、
当時、アメリカに憧れていましたから、
ニューヨークへ旅立っていたかもしれません。
UFOと天皇ということで書き始めたのですが、
そこへいくまでに疲れてしまいましたので、
続きはまた今度書くことにいたします。
つづきでは、UFOとの遭遇、夢のなかで受けたメッセージ、
昭和天皇皇后両陛下との祝い事の夢の話などを書きたいと思います。
YouTubeで矢追純一のUFOスペシャルが見れますとリンクが貼ってありました。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/
エージェントさんから言わせると、この回だけは秀逸だということなので、
数十年ぶりくらいにUFO番組を真剣に見てしまいました。
http://jp.youtube.com/watch?v=PD2S3J401lI
思い起こせば小中学生のころ、
矢追純一のUFOスペシャル番組を夢中になって見たものです。
久しぶりにUFOのことを思い出したら、
過去の出来事が走馬灯のように思い浮かんできましたので、
文章化できたものから書いてゆきたいと思います。
こう暑い日が続きますと、
頭がいつもにも増してボケてしまい、
あまりたいした文章も書けませんので、
この際、己を晒してナンボの世界を展開してみようと思います。
立派でもないのに、背伸びしたりしたことを書くと、
どうしてもうそ臭くなりますので、
ありのまま書いてゆこうと思います。
かなりタブーに触れたことも書くと思いますし、
トンデモ的なことも書くと思いますが、
嘘偽りのない、自分が見聞きし、体験してきたことを書いてゆきます。
若干の誇張やボヤカシはご了承ください。
思いつきであちこち飛んだり、
長文になるかもしれませんので、
何度かに分けて書くかもしれません。
まず、ぼくが育った環境からお話させていただきます。
生まれたのは母親が縁のある神戸市灘区なのですが、
育ったのは紀伊半島の海岸線沿いにある企業城下町のような小さな町です。
思い起こせば、育ったところというのは、
ずっと嫌ってきましたが、
ある意味とても面白いところだったのかもしれません。
平安時代に建立され、当時は七堂伽藍の立派なお寺だったのが、
江戸時代以前に本堂だけになり、その本堂も朽ち果て、
地元のお年寄りたちが管理し観音講に使っていたのを、
崩壊しそうで危険だからと調査したら、本尊が重要文化財に指定されるような、
古いお寺ばかりが多い、とても貧しい村だと古文書に書いてあるようなところです。
昭和10年ころまでは、海岸には遠浅の綺麗な砂浜が隣町の境界まで続き、
松林も綺麗で、宮本武蔵の映画のロケ地にもなったことがありました。
その砂浜の一部を埋め立て、昭和10年代には石油精製工場が造られます。
戦時中には何度もの空襲にあい、
一族すべてのものが防空壕で亡くなるということもあったようです。
戦後、その工場は外資系の石油精製工場となり、
ぼくが子供のころには、日本でも有数の利益率を誇る会社だと聞かされたことがあります。
町にはかなりの税収あったからでしょうか、
遠方から泳ぎにくるような立派な市民プールが古くからありました。
ぼくが小学生の低学年のころ、まだ綺麗な砂浜が一部残っていたのを記憶していますが、
その砂浜までも埋め立て、石油備蓄コンビナートができたころに、
その立派な市民プールができたような気がします。
12.3歳ころ、建設関係の仕事をしていた親父の手伝いで、
その工場内にあるアメリカ人役員用の住宅に行ったことがありました。
ホワイトハウスと呼ばれていたように思います。
そこだけが、まるで別世界のような住宅でした。
育った町の山手には古くから暮らす百姓の村と、
中心部から海岸にかけて被差別部落が数箇所と朝鮮部落もあり、
学校では、百姓の子も部落の子も朝鮮の子も、
また石油精製会社に勤めるエリートの子もいました。
その会社の社員は、優秀な高卒か、
東大京大出身者しか採用しないようなところで、
小学生のときに仲良しだった女の子もエリートの子供で、
お爺さんもお父さんも東大出のようでした。
エリート社員の殆どは、近代的な立派な社宅に暮らしていましたが、
工場の近くの劣悪な環境のところには、
トタン屋根のバラックに豚と一緒に暮らす朝鮮の人たちや、
砂浜の近くの松林には、掘っ立て小屋が並んだ被差別部落もありました。
ですから学校には百姓の子もエリートの子も部落や朝鮮の子もいました。
中学くらいのときに、朝鮮部落から成り上がり、
バラックの近くに豪邸を建てた人がいて、
その家に親父の仕事の手伝いで一緒に行ったことがありました。
その豪邸のベランダからは朝鮮部落のバラック屋根が見渡せ、
なんという格差かと思った記憶がりあます。
その豪邸を建てた人ですが、
なかなかの人格者にして情に厚い方で、
クリスマスに貧しい子供たちに自転車をプレゼントしたり、
また会社を幾つか持っていたのですが、
在日コリアン日本人分け隔てなく、
とても面倒見のよい方だと耳にしていました。
後年、ぼくが熊野に暮らすようになり、
その社長が不治の病に侵され、
熊野の湯治場に通ってくることがあり、
何度か宿泊先に招待され話をしたことがありましたが、
数年前にお亡くなりになったようです。
とても惜しい人を亡くしたと心から悔やみました。
部落在日コリアンの中には洒落にならないくらい悪い人間がいることは、
身を持って知ってはいますが、
それと同時にずば抜けた人格者もいるということを、
やはり身を持って知ることができたたということは、
ぼくにとって大きな財産のような気がします。
しかし世の中、そんな奇麗事ばかりで成り立つべくもなく、
旧勢力に対し、同和勢力や在日コリアン勢力が成り上がる過程を見ていると、
表に出ることのない壮絶な抗争というものがあったことも事実です。
人格や能力だけでなく、身内にヤクザや政治に長けた人がいて、
脅しや紳士的交渉を使いこなし、成り上がるのを見聞きしてきました。
旧勢力者のドラ息子を誘拐してきて拳銃を突きつけ、
ロシアンルーレットをして脅したなどという噂もありました。
もの凄く金回りのよい企業城下町というのは、
裸一貫から、ヤーを言って成り上がりやすいところだったのかもしれません。
狭い道路をタンクローリーが頻繁に行き来するメインストリートがあり
ぼくも小さなころタンクローリーに轢かれそうになったことがありますが、
その道に寝転がってタンクローリーを通さないと暴れた人が、
元手がいらず近所のおばちゃんを数人雇ってできる道の清掃作業の請負から始まり、
二十年程でプラント工事用の大型クレーン車を何台も所有する会社まで成り上がるというのも見てきました。
外資系の一流会社というのは、
もしかしたら同和や在日コリアンに対し、
寛大なものがあったのかもしれません。
部落の親族や同級生の親で、
その会社に勤め、
よいポジションまでいった人も結構いたような気がします。
小さなころ、みんなでよく草野球をした記憶がありますが、
部落や在日コリアンの多いチームは運動神経では勝っているのですが、
エリートの子供の多いチームにルールを知らないので負けるという面白いこともありました。
それでも子供たちには、エリートも部落も在日コリアンもありませんでした。
親たちには差別はあったかもしれませんが、
子供同士では、気の合うものたち、
それぞれ仲良くやっていたと思います。
只、今思い起こしてみると、
朝鮮部落から朝鮮学校へ行った子供たちとは、
殆ど交流がなかったように思います。
そのころ、小学生高学年くらいから、
矢追純一のUFOスペシャルを見るようになり、
小学校の校庭での小石拾いの時間に、
葉巻型のUFOを集団で目撃するということがありました。
伸びたり縮んだりして、しばらく浮かんでました。
小学生くらいまでは、みんな仲良しだったのが、
中学くらいになると、エリートの子供たちは、
親がこちらに残っても、本人は東京へ行くというか、
戻るようなかたちが多かったかもしれません。
地元出身の同級生の中にも、親が教育熱心だったり、
経済的に余裕のある家庭では、
子供を寮のある他府県の学校へいかせたりすることもありました。
環境が悪かったからでしょうか。
県内でも悪い中学校ということで有名だったので、
同級生のなかに不良グループや番長グループというのが構成されてゆきました。
強烈に悪いやつというのは、、
部落在日コリアンの子が多かったかもしれません。
ぼくはというと、音楽とボクシングに夢中で、
番長グループとかにまったく興味もなく、
どちらかというと、浮いていたというか、
遠巻きにしてちょっかいをだされて、
苛められていた感があります。
中学くらいから、大の学校嫌いでしたので、
学年では一番欠席日数が多かったと思います。
なにかにつけ休んだり、学校へ行くふりをして、
海や山で過ごすこともありました。
苛めっ子というのは、小山の大将クラスの、
スケールの小さいものたちですから、
こちらが羽目を外して新聞だたになるような事件を起こしてからは、
もうちょっかいをだしてくることもなくなりました。
そんな状態でしたので、
まったく勉強もせず、地元の高校へ進むのに、
恥ずかしながら、石油精製工場に勤める親戚の顔で、
東大出と京大出の家庭教師を付けてもらい勉強をされられたことがありました。
そんなお金があるのなら、
良いギターでも買ってくれればとも思いましたが、
どちらの先生も面白い人だったので、
退屈はしませんでした。
そういえば、中学のときに、
二年間くらい自分の欲しいものを買うために、
新聞配達のアルバイトをしていました。
家計を助けるのでしたら立派かもしれませんが、
楽器やボクシングのグローブを買うためでした。
怠け者のようで、勤勉なところもある、
わけのわからないところがありました。
朝早く、小さな駅に新聞を取りにゆくのですが、
朝鮮学校へ通う女の子が、
民族衣装を着て始発の電車を待っているのをよく見かけました。
子供には偏見なんてありません。
フィーリングが合うか合わないかです。
密かに胸をトキめかせるような娘もいました。
そんな環境でしたので、
まわりの思想的な影響からいえば、
どちらかというと左側に寄ったもので、
反天皇的なものだったのかもしれません。
また爺さんも親父も、昭和天皇に対しては、
決してよくは言ってませんでした。
またぼくが上京してからも、友人知人になる人の多くは、
左寄りの人が多く、天皇に対してよく言う人はあまりいませんでした。
なんかいろんな集会に連れていかれたような気がします。
爺さんは、所謂被差別部落出身ということになりますが、
この被差別部落という定義は、
その経緯により複雑にして難しい場合もあります。
爺さんの生まれたところは、幕末明治ころに四国の方から流れてきたらしいといわれていますが、
同じ町にやはり四国の方から流れてきた人たちの部落があり、
戦前戦後には同じように貧しく差別をされていたみたいです。
しかし、その部落は非常に結束力が強く、
また教育熱心なところでもあり、
いち早く脱賎民化したといいますか、
昭和四十年代ころには、地元の政治経済を牛耳るようにまでなり、
それからは差別というものがなくなっています。
爺さんが生まれた部落ですが、やはり同じように戦後になり、
他所の一般の村と比較しても経済的に見劣りすることもなくなり、
差別をバネに努力したといえばそうなのでしょうが、
会社を興したり医者になった人がけっこうでたりしました。
表立った差別というものは殆どないように感じていますが、
目に見えないところでは今でもあるような気がします。
二つの似たような地区の決定的な違いは、
爺さんの生まれた地区の有力者が、
部落解放同盟と関係を持ち支部長に納まったことにあります。
というより、
解放同盟をひっぱってきた人物が有力者になったというほうが正しいのかもしれません。
同和対策事業特別措置法により、
裏山は削られ、地区の様子が一変してしまいます。
元から暮らしていた人たちは、
経済力のある人が多かったことから、
地区内に立派な家を建て、改良住宅には、
親類縁者を住まわすということが起こりました。
※以前運営していたサイトを通じて知り合った大学教授などと、
勉強会のようなことに何度となく参加しましたが、
被差別部落の指定を断り、
いまだに劣悪な環境での生活を余儀なくされている地区も残っているみたいですから、
一概に同和対策事業特別措置法の指定すべてが悪ともいえないということもあります。
それにより著しく生活が改善された地区もあることはあると思います。
しかし、裏の部分まで見聞きしてしまったものとして、
あまりにも一部の人たちを超え太らせ過ぎました。
家庭教師がよかったのか、
なんとか地元の県立高校へ進むことができたのですが、
本心では高校へは行きたくありませんでした。
高校を中退するときに聞いた話では、
県内どこの高校へでも合格できる点数を取ってたみたいですが、
例え進学校へ入学していたとしても、
もっと早く中退していたに違いありません。
中学から高校にかけて、
なんか場違いなところにいるなという思いが強くありました。
そんな学生でしたので、
学校へは通わない、
タバコとパチンコで何度も停学になるという状態でした。
その停学になるということで、
決定的に頭にくることがありました。
あからさまな差別を受けたのです。
それは部落差別とかではなく、
通っていた高校はスポーツが強く、
甲子園常連校で、春夏連続優勝もしていて、
他のスポーツも全国レベルのものがいくつかありました。
遊び仲間には、そういう部員が何人かいました。
特に親友として仲が良かったのは、
無理やりやらされながらも、
相撲で全国三位という実力のあるやつでした。
一緒にタバコやパチンコを見つかっても、
野球部や相撲部はお咎めなし、
すべてぼくだけが悪いということになっていました。
それに、そういう部員の不祥事をもみ消すということも、
何度も見てきました。
いずれにせよ、学校は辞める気でいましたが、
このままおめおめと辞めるのも納得がいきませんでしたから、
校長の首を飛ばしてから辞めてやろうと、
いろいろと算段し、刺し違えて、校長の首を飛ばしてから、
ぼくは退学になりました。
というか、学校側があまりの自分たちの非が怖くて、
自主退学ということでと頭を下げられました。
それともうひとつ、そんなことを表に出したら、
この町で家族は生きていけないとも脅されました。
ですから、特に甲子園に出場するような強豪高というのは、
例外はあるかとは思いますが、
次元の低い学校ですよと、言っているようなものだと思っています。
山形の甲子園出場校の部員の半数以上が、
大阪出身だとかで、
なにか履き違えた状態だということに気づかないのかと、
あきれてものも言えません。
選手が悪いのではなく、大人たち、
指導者がまったくなっていないのでしょう。
その高校からは、プロ野球選手や大リーグ選手などもでましたが、
それはそれでよいことだと思いますし、
誇らしいものもあると思います。
そういう選手には、大いに拍手を送りたい思いがします。
しかし、ぼくは地元でこの話をするたびに、
いつ刺されるかとも思ったりするのですが、
結局、甲子園春夏連覇し、
驕った時期の一番の有名人は誰かというと、
あの毒入りカレー事件により全国で有名になった犯人ではないかと思うのです。
よく彼女のことをネット上では在日コリアンや部落といういわれかたをしていますが、
ぼくが知りうる限りでは違います。
あの地域のごく普通の家庭だったように思います。
彼女の人間性をみていると、見栄っ張りで驕ったような、
当時の校風の申し子ではないかと思ったりしています。
うちの親父も同じ高校の出身者でしたから、
甲子園で何度も優勝したことを、
他府県の人に自慢していましたが、
そんなもの他府県の人はなにも思いません。
ふ〜んで終わりです。
中国がいくら金メダルを取ったからといって、
他国の人が立派な国だと思わないのと同じことです。
後年、ぼくが高校を退学するに至った経緯で、
一番の悪者は校長ではなく、
教頭をしていた人間だとわかり、
校長には悪いことをしたと悔やんだことがあります。
その教頭は、今はわかりませんが、
すこし前まで市の教育委員長についていたようです。
そういう人間が教育委員長なのですから、
大分での教育委員会による教員採用試験の不正問題など、
おそらく全国あちらこちで行われてきたものだと思います。
解放同盟の支部長で、いまは地元市会議員である人と、
うちの親父は従兄弟の関係にあり、
一時うちの親父も自民党系の同和団体の支部長をしていたことがあり、
地元の政治や役所に対し、影響力を持っていたことがありました。
そのときに、その教育委員長に、
うちの息子が高校のときに世話になったなと言葉を発したら、
青い顔してブルブルと震えていたと聞かされました。
うちの親父もろくなものではありません。
うちの親父はいまは大人しくしていますが、
解放同盟の支部長にして議員は、
いまでも実力者のようです。
そして同和地区の人たちだけでなく、
一般の地区の人たちからも頼りにされているみたいです。
そのあたりに解放同盟の底力を感じたりします。
そのおっさんとはあまり仲がよくないのですが、
世話好きなところと、親分肌のところは少し尊敬しています。
いろんな相談にものっているようですが、
それぞれの両親が百姓で、結婚を反対されているカップルが相談にきて、
親たちを呼んで説得をしたことがあったそうです。
最初はうちは娘だけだから養子をどうのこうのという話だったそうですが、
そのうちに家の格が違うだのどうのと親たちが言い出したときに、
そのおっさんが、おまえらどっちこちいうても鈍百姓やないかと一喝したそうです。
そして子の幸せ考えんかいといわれ、黙ってしまったそうです。
その親たちは、そのおっさんのことを被差別部落の人間で、
解放同盟の支部長ということまで知らなかったみたいです。
まあ百姓というのは、家の格が違うだのなんだのと、
だいぶうといなと、うちの親父に言ったそうです。
あのおっさんらしい言葉かもしれません。
UFOと天皇ということで書いてきたのですが、
どうも履歴書のようなことになってしまい、
いまさらどう書き直したらよいものやらとも思いますので、
このまま履歴書のような文章を続けさせていただきます。
祖母の話になりますが、
祖母は宮崎の山奥から女工で出てきたところを、
爺さんに見初められ結婚するに至ったようです。
当時、親からエタと結婚は許さないと反対されたようですが、
祖母は殆ど学校へは行ってなく、
戸籍上の年齢と実年齢にはかなり開きがあるようです。
今も健在で本人は90歳だと言っていますが、
実の妹がいうのに、93歳はいっているらしいです。
祖母の父親、ぼくからしたら曽祖父ですが、
ぼくが幼少のころに一緒に写した写真も残っているのですが、
樽の竹の部分を造っていたとのことですから、
どうもサンカ系ではないかと思っています。
とても人として綺麗な爺さんだったようです。
祖母ですが、いまでも頭のボケはいっさいなく、
というより天然ボケのままだからかもしれませんが、
記憶力は恐ろしく良いです。
母親は鳥取生まれで、ルーツは島根のようです。
幼少のころ、家に蔵がたくさんあり、
蔵の鍵を玩具にして遊んだ記憶があるとはいうものの、
戦前には没落してしまったようですから、
誰も信じていませんでした。
親父とは神戸で知り合ったようです。
本人の話では、
600年以上続いた旧家だと言い張っていましたが、
誰も信じるものはいませんでした。
これといって証拠となるものがあるわけでもなく、
先祖がどうしたところで母親は母親なのです。
またアメリカにたくさんの親戚がいて、
移民としてではなく、戦前に駆け落ちとして、
親族が渡ったのが始まりという話も聞いていました。
戦後は、GHQとしてやってきた親戚が、
とても面倒を見てくれて、
生活に困ることはなかったという話もしていました。
しかし、誰も信じることもなく、
リアリティのない話だと思っていました。
しかし、ぼくが上京したころに、
母親を訪ねてアメリカの親戚が来て、
ルーツのわかる資料や、
アメリカでの一族の話や写真を置いていったそうです。
日系人でペンタゴンに始めて勤めた人や、
丁度そのころ、フラッシュダンスという映画がありましたが、
そのなかで歌っている歌手のひとりが母親の従兄弟だということを知りました。
その従兄弟の結婚相手は、フィル・ラモーンという有名な音楽プロジューサーで、
ビリー・ジョエルを育てたり、ジュリアン・レノンや、
カレン・カーペンターとも関係した人のようです。
ニューヨークにある自宅の住所と電話番号を貰っているのですが、
いまだにぼくの中ではリアリティがありません。
親戚に有名人がいるから、
ぼくが偉いということもないし、
先祖が大名だから偉いということもないし、
ましては先祖が賎民だからといって恥じることも、
差別されるゆわれもないのです。
それぞれの先祖を、密かに誇り、
感謝すればよいだけのことなのです。
問題は、その人自身であり、
生き方であり、人間性なのです。
そういうあたりまえのものの道理がわからない愚か者が、
いまだに多いのは悲しい限りであります。
さて、高校を中退してから上京するまで、
数年間は実家の家業を手伝ったりしながら、
元々バイクやクルマが好きで仕方がないたちでしたから、
気の合う仲間たちと走り回ったりしました。
一番燃えたのは、自動車での信号グランプリでした。
それでも、所謂暴走族とは違い、
走り屋という感じだったと思います。
そのうちに地元の札付きの不良で、
高域暴力団のイケイケの組の準構成員になっていた男に誘われ、
一緒に旗を持って走るようになったりしました。
自分では普通だと思っていましたが、
今から思うと、荒んだ生活だったかもしれません。
不良の溜まり場での光景は今でもはっきりと覚えています。
安物のシャブ打って、朝までチンチロリンをしているやつらや、
花札やカブに乗じている連中、
被害妄想になって喧嘩しているやつら、
ものすごい程度の低い妄想や幻覚を見ているものたち、
そして、兄貴ぶんがアジトにしているところに連れていかれると、
今度は指のない組員たちがシャブのパケをプラスチックの物差しを使い、
ライターで炙って作っていました。
にいちゃんシャブやろうかと何度も言われたりしたものです。
いろんな悪いことはしてきたかもしれませんが、
シャブと女遊びだけは、
絶対に受け付けないものがありました。
しかし、そういった連中と接点があったのですから、
かなりマトモでない状態だったのかもしれません。
ヤクザの兄貴分がぼくの姓を聞いて、
解放同盟の支部長と親戚になるのかと聞くので、
そうだと答えたら、
もう二度とここへくるなと言われました。
そのおっさんから怒られるとでも思ったのかもしれません。
さて、自分でも何を書いているのかわからなくなってきましたが、
そういう愚かな自分が大きく変わるきっかけになったことがありました。
夜中まで遊びまわり、昼過ぎまで寝て、
ふてくされて足の指でテレビのスイッチを入れたときです。
画面には皇太子の成人式のような儀式が映し出されていました。
なにか烏帽子のようなものを被っていて、
あごひもをはさみで切った瞬間、
皇太子の顔がキリリと引き締まり、
それと同時にぼくのからだに電気が走ったようになり、
臣下の礼のごとく身をただし、
このお方に身命をかけてでもお使えしなければという思いが沸きあがってきました。
我に返り、いまのはなんだったのだろうかと、
どこかイカれてしまったのだろうかとも思ったりしました。
しかし、それをきっかけにしたかのように変化が訪れます。
まず、パチンコやギャンブルにはいっさい興味がなくなり、
からだが受け付けなくなってきました。
悪い連中とも疎遠になり、
本をいろいろと読み出すようになってきます。
もともと自然が大好きで、
ブラザーサン・シスタームーンに大きな影響を受け、
聖書を読むようなところがありましたし、
未来少年コナンを見て、
胸を熱く振るわせるようなところがありましたから、
本来の自分に戻ろうとしていたのかもしれません。
そして、上京することを考え始めました。
もし、そのときにニューヨークに親戚がいることを知っていれば、
当時、アメリカに憧れていましたから、
ニューヨークへ旅立っていたかもしれません。
UFOと天皇ということで書き始めたのですが、
そこへいくまでに疲れてしまいましたので、
続きはまた今度書くことにいたします。
つづきでは、UFOとの遭遇、夢のなかで受けたメッセージ、
昭和天皇皇后両陛下との祝い事の夢の話などを書きたいと思います。
ネガティブなことを書いて王子に叱られてしまいました。
ここのところの燃料の高騰は、漁業関係者だけでなく、
田舎生活者にとっても、なかなかきびしい状況になってきています。
まわりの人たちからも、やれ景気が悪いだの、
将来への展望が見えないだのというような声をよく耳にします。
まあそれでも、殆どの家にはクルマがあって、
家では多くの家電製品に囲まれているのですから、
贅沢といえば贅沢なのかもしれません。
でも、なんか豊かな気分になれないあたりが、
なにかに毒されてしまっているのか、
それとも真の豊かさというものを勘違いしてきたのやもしれません。
そこで真の豊かさや幸せというものを、
自分の経験を通したことなどから考えたときに、
それは物質的なことよりも、人との関係性であったり、
動物や植物をも含めた自然との関係性だったりするのではないかと思うのです。
心が通じるという言葉があります。
それはお互いにどれだけシンクロしているかということであり、
しいては信頼性につながってくるのかもしれません。
信頼のある関係というのは、
癒され豊かな気分にしてくれます。
それは人と人との関係だけでなく、
動物や植物との関係にもいえることだと思います。
そのシンクロを起こさせているものは、
自我の心ではなく、もっと大きな心の源のようなものがあり、
その源から流れてくるものを内に流すというか、
身をゆだねるというか、外に流すというか、
うまく表現できませんが、
そんな感じのことではないかと漠然と思ったりしています。
田舎で暮らしはじめたころ、
ものすごいヒマジンな時期がありました。
家には家電製品はラジオしかなく、
日がな一日、小鳥やタヌキと遊んだり、
知人から貰ってきたハーブを植えたりして過ごしていました。
そのハーブを植えたときに、強く感じたことがありました。
山を削ったばかりの地面の土では、
なかなかハーブは根付きませんでした。
しかし、一度目は枯らしてしまっても、
二度目に植えると根付くということが何度かありました。
かといって、毎度二度目に根付くこともなく、
枯れることもありました。
そのときに、閃くというか、
うん、これはそうに違いないと思うことがありました。
それは、一度目に植えたハーブが、
たぶん土だと思うのですが、
なにかの情報のようなものを残すのではないかと感じたのでした。
二度目に植えたハーブが、その情報のようなものを受け取り、
その土に順応しようと、早めに変化しているから、
なんとか根付くのではないかと感じたのでした。
その後押しというか、
手助けとなるものは、
植えて世話をする人の思い、
つまり精神性が重要なのではないかと、
そのときに強く感じたのでした。
偉い植物学者が、そんなこたぁないと断言されたとしても、
自分が素直に思い、感じとったことというものは、
なかなか揺らがなかったりするのです。
無茶苦茶バカなことを書いているのかもしれませんが、
いまでもきっとそうに違いないと思ってます。
自然と密接な関係で生きている人ほど、
迷信など非科学的といわれるものを信じている気持ちがわかるような気がします。
くだらない迷信は捨て去ってもかまいませんが、
なかには真実もあったかもしれません。
捨て去ったよいものを取り戻し、
それらとハイテクを融合させたら、
豊かな時代になるのかもしれません。
いまは間違いなく文明の転換期です。
三界は唯心の所現なりです。
ここのところの燃料の高騰は、漁業関係者だけでなく、
田舎生活者にとっても、なかなかきびしい状況になってきています。
まわりの人たちからも、やれ景気が悪いだの、
将来への展望が見えないだのというような声をよく耳にします。
まあそれでも、殆どの家にはクルマがあって、
家では多くの家電製品に囲まれているのですから、
贅沢といえば贅沢なのかもしれません。
でも、なんか豊かな気分になれないあたりが、
なにかに毒されてしまっているのか、
それとも真の豊かさというものを勘違いしてきたのやもしれません。
そこで真の豊かさや幸せというものを、
自分の経験を通したことなどから考えたときに、
それは物質的なことよりも、人との関係性であったり、
動物や植物をも含めた自然との関係性だったりするのではないかと思うのです。
心が通じるという言葉があります。
それはお互いにどれだけシンクロしているかということであり、
しいては信頼性につながってくるのかもしれません。
信頼のある関係というのは、
癒され豊かな気分にしてくれます。
それは人と人との関係だけでなく、
動物や植物との関係にもいえることだと思います。
そのシンクロを起こさせているものは、
自我の心ではなく、もっと大きな心の源のようなものがあり、
その源から流れてくるものを内に流すというか、
身をゆだねるというか、外に流すというか、
うまく表現できませんが、
そんな感じのことではないかと漠然と思ったりしています。
田舎で暮らしはじめたころ、
ものすごいヒマジンな時期がありました。
家には家電製品はラジオしかなく、
日がな一日、小鳥やタヌキと遊んだり、
知人から貰ってきたハーブを植えたりして過ごしていました。
そのハーブを植えたときに、強く感じたことがありました。
山を削ったばかりの地面の土では、
なかなかハーブは根付きませんでした。
しかし、一度目は枯らしてしまっても、
二度目に植えると根付くということが何度かありました。
かといって、毎度二度目に根付くこともなく、
枯れることもありました。
そのときに、閃くというか、
うん、これはそうに違いないと思うことがありました。
それは、一度目に植えたハーブが、
たぶん土だと思うのですが、
なにかの情報のようなものを残すのではないかと感じたのでした。
二度目に植えたハーブが、その情報のようなものを受け取り、
その土に順応しようと、早めに変化しているから、
なんとか根付くのではないかと感じたのでした。
その後押しというか、
手助けとなるものは、
植えて世話をする人の思い、
つまり精神性が重要なのではないかと、
そのときに強く感じたのでした。
偉い植物学者が、そんなこたぁないと断言されたとしても、
自分が素直に思い、感じとったことというものは、
なかなか揺らがなかったりするのです。
無茶苦茶バカなことを書いているのかもしれませんが、
いまでもきっとそうに違いないと思ってます。
自然と密接な関係で生きている人ほど、
迷信など非科学的といわれるものを信じている気持ちがわかるような気がします。
くだらない迷信は捨て去ってもかまいませんが、
なかには真実もあったかもしれません。
捨て去ったよいものを取り戻し、
それらとハイテクを融合させたら、
豊かな時代になるのかもしれません。
いまは間違いなく文明の転換期です。
三界は唯心の所現なりです。
つい最近、A子さんから電話があり、家の庭に生まれて一月くらいの子猫を連れた野良猫がきたので、
子猫を抱いて見てみたら、とても弱っていて、しかも両目が潰れているのよ、といわれた。
ものの道理からして、大の動物好きのA子さんのことを親猫がさっして、
両目が潰れた子猫をA子さんに託したに違いないと思い、
その子猫を大切に育ててあげたら、
きっと良いことがありますよと、漠然とした素敵な物語を空想して、
わりと無責任に答えておいた。
あくる日にまた電話があり、動物病院に連れていったら、
両目は回復することはないだろといわれたとのことで、
それでも、A子さんは覚悟を決めて世話をすることにしたそうだ。
病院で貰ったミルクをあまり飲まないので、親猫が来そうなところに置いて、
カラスにつつかれないように、日がな一日見守ったりもして、
時折、親猫が様子を見にくるようにもなったそうです。
親猫を感じて安心したのか、A子さんの手からミルクも飲むようになり、
ペースト状の餌を掌でもっとペースト状にして、
直接掌からペロペロと餌を食べるようになり、日に日に元気になってきて、
片目が少し開いてきて、黒目も見えるようになったと、
日に何度も報告の電話があったりしました。
そして昨日、子猫を表に出したら、親猫だけでなく、
野良猫が三匹あらわれて、その子猫をずっと見守っていたそうです。
その様子を、通りがかりの老紳士が見てて、
その子猫はもしかしたらオスの三毛猫ではないですかといわれ、
確かめたらオスだったそうで、オスの三毛猫は大変珍しいものだといわれたと、
また電話がありました。
そういえば、漁師の網元なんかが、
オスの三毛猫は縁起がよいからと、
大切にしたと聞いたことがありますといいながら、
ネットで調べてみたら、
『福を招く三毛猫を船に乗せると船が遭難しないという言い伝えがあり、
特にオスの三毛猫はその希少性のためからか福を呼び船が沈まないと言われ、
江戸時代には実際に高値で取引されていたとされる』と書いてあったことを伝えました。
それを聞いて、A子さんは、
ヤゾーさんが最初いってた通りねぇ〜、
ほんとうに福をもたらす猫ちゃんだったのねぇ〜と喜んでいました。
そこでぼくは、そろそろ地震も起こるかもしれませんからというと、
A子さんは地震にも敏感なので、できうる限りの備えをし、
地震が起こった際のシュミレーションまで頭の中で何度もしているのですが、
この猫ちゃんのことで、無事に乗り切れるという思いがするとおっしゃっていた。
地震の怖いところは、なんといっても人的損害であり、
これからの日本、しいては世界のためになる人を失うことがあってはなりません。
それは精神性や神を信じているとかいう話ではなく、
例えば、最近、阪大名誉教授が常温核融合の公開実験に成功という、
あまりマスコミに取り上げられなかったニュースがありました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~sugi_m/page284.htm
難しいことはさっぱりコンコンわかりませんが、
もし実用化されたとしたら、
エネルギー問題はなくなるといわれているみたいですし、
また、電気自動車へ移行するためのネックとなっているひとつに、
燃料電池はレアメタルであるプラチナを大量に必要とするという問題も、
プラチナを作り出すにはタングステンがあればよいと書いてあったページもありましたから、
そういう問題すらも解決できるのかもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/9f8b5893ee63e252dcaa0de25f1e8266
どちらも、トンデモ話なのかもしれませんが、
必要とされているものは、
いずれ作りだされる。
これは間違いありません。
しかし、そういう方向へ向かわせる、
人を失うことがあれば大きな痛手となります。
特別な存在ではなくても、
ひとり一人、大切な役割を持っているに違いありません。
以前、王子とのメールのやりとりのなかで、
王子がA子さんのことを、これからの在日コリアンの人たちのあり方、
またモデルとして、重要な存在になるかもしれませんと、
おっしゃっていたことがあったと記憶していますが、
そうなのかもしれません。
また、王子とのメールのやりとりのなかで、
ぼく自身は、どちらかというとマイノリティ側の人間だとは思うのですが、
心情的には純粋右翼的なところが強くあって、
反日的なマイノリティに対し、強硬的な意見を述べたときに、
そういう考えは、この国に内乱を起こしかねませんし、
敵と味方でしか考えられないのなら、
われわれ日本人は共倒れにさせられてしまうことでしょうと、
お叱りを受けたことがあったと記憶しています。
それくらい、この国の舵取りというのは、
これからの災害にしろ、人災にしろ、
難しいものがあるのかもしれません。
少しまえに、なにかのテレビ番組で、
国会議員や官僚の顔を見る機会があったときに、
何割かの人たちのあまりの人相の悪さを見た瞬間、
ああ、この国の中心である東京に、
どうしても地震を起こすのだろうなと直感したことがありました。
それは、大自然=神が起こすのか、
神の代理人と思い込んでいる人たちが人為的に起こすのかは知りませんが、
そう遠くない将来ではないかと感じています。
災害にしろ人災にしろ、事前にできうる限りの備えをして、
何度も頭の中でシュミレーションしておくことで、
被害を最小におさえることができると思います。
ピラミッド型社会とネットワーク型社会
http://tirmun.net/prince+index.p+127.htm
>水面に投じた一石が、波紋を広げるように、
>さまざまな情報が、円を描いてネット上に広がっていく。
>それらが、やがて実社会にまで波及していく。
>ここに、今後の人類の可能性を見いだすこともできるだろう。
あれれ、A子さんから、
まったく同じようなビジョンを見たという、
話を聞いたような気がします。
それも知り合った当初ですから、
5年以上前で、ネットがなんなのか、
ご本人がまったく知らないころだったと思います。
>サンカと呼ばれた人々は、
>『どこにも属さない存在』である。
どこにも毒されない、いや属さないというのは、
なによりもの強みだったりするのかもしれませんね。
王子とA子さんは天才かもしれないと思うことがあります。
ほんとうは王子へのメールに書こうと思っていたのですが、
A子さんの近況を書いちゃったりします。
A子さんは、某宗教団体から、特別な存在として、
幹部直々に説得にきたりして、
一時は傾倒しかかっていたのは王子もご存知だと思います。
王子からは、組織団体に対して、決して敵視することなく、
どんな組織団体にも、役割やら必然性があるのだからとのアドバイスを受け、
とくに批判することもなく話を聞いてきました。
そのA子さんが少しまえに、某宗教団体の人たちに対して、
私に会いにきたかったら、脱会してからにしなさい、
また、まわりに集っていた在日コリアンの人たちに対して、
ちゃんと日本に帰化してから家に遊びにきなさいと言い放ったそうです。
あなたたちの行っていることは、不自然ですと。
ものの道理からすると、
不自然はいずれ淘汰されるのかもしれません。
子猫を抱いて見てみたら、とても弱っていて、しかも両目が潰れているのよ、といわれた。
ものの道理からして、大の動物好きのA子さんのことを親猫がさっして、
両目が潰れた子猫をA子さんに託したに違いないと思い、
その子猫を大切に育ててあげたら、
きっと良いことがありますよと、漠然とした素敵な物語を空想して、
わりと無責任に答えておいた。
あくる日にまた電話があり、動物病院に連れていったら、
両目は回復することはないだろといわれたとのことで、
それでも、A子さんは覚悟を決めて世話をすることにしたそうだ。
病院で貰ったミルクをあまり飲まないので、親猫が来そうなところに置いて、
カラスにつつかれないように、日がな一日見守ったりもして、
時折、親猫が様子を見にくるようにもなったそうです。
親猫を感じて安心したのか、A子さんの手からミルクも飲むようになり、
ペースト状の餌を掌でもっとペースト状にして、
直接掌からペロペロと餌を食べるようになり、日に日に元気になってきて、
片目が少し開いてきて、黒目も見えるようになったと、
日に何度も報告の電話があったりしました。
そして昨日、子猫を表に出したら、親猫だけでなく、
野良猫が三匹あらわれて、その子猫をずっと見守っていたそうです。
その様子を、通りがかりの老紳士が見てて、
その子猫はもしかしたらオスの三毛猫ではないですかといわれ、
確かめたらオスだったそうで、オスの三毛猫は大変珍しいものだといわれたと、
また電話がありました。
そういえば、漁師の網元なんかが、
オスの三毛猫は縁起がよいからと、
大切にしたと聞いたことがありますといいながら、
ネットで調べてみたら、
『福を招く三毛猫を船に乗せると船が遭難しないという言い伝えがあり、
特にオスの三毛猫はその希少性のためからか福を呼び船が沈まないと言われ、
江戸時代には実際に高値で取引されていたとされる』と書いてあったことを伝えました。
それを聞いて、A子さんは、
ヤゾーさんが最初いってた通りねぇ〜、
ほんとうに福をもたらす猫ちゃんだったのねぇ〜と喜んでいました。
そこでぼくは、そろそろ地震も起こるかもしれませんからというと、
A子さんは地震にも敏感なので、できうる限りの備えをし、
地震が起こった際のシュミレーションまで頭の中で何度もしているのですが、
この猫ちゃんのことで、無事に乗り切れるという思いがするとおっしゃっていた。
地震の怖いところは、なんといっても人的損害であり、
これからの日本、しいては世界のためになる人を失うことがあってはなりません。
それは精神性や神を信じているとかいう話ではなく、
例えば、最近、阪大名誉教授が常温核融合の公開実験に成功という、
あまりマスコミに取り上げられなかったニュースがありました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~sugi_m/page284.htm
難しいことはさっぱりコンコンわかりませんが、
もし実用化されたとしたら、
エネルギー問題はなくなるといわれているみたいですし、
また、電気自動車へ移行するためのネックとなっているひとつに、
燃料電池はレアメタルであるプラチナを大量に必要とするという問題も、
プラチナを作り出すにはタングステンがあればよいと書いてあったページもありましたから、
そういう問題すらも解決できるのかもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/9f8b5893ee63e252dcaa0de25f1e8266
どちらも、トンデモ話なのかもしれませんが、
必要とされているものは、
いずれ作りだされる。
これは間違いありません。
しかし、そういう方向へ向かわせる、
人を失うことがあれば大きな痛手となります。
特別な存在ではなくても、
ひとり一人、大切な役割を持っているに違いありません。
以前、王子とのメールのやりとりのなかで、
王子がA子さんのことを、これからの在日コリアンの人たちのあり方、
またモデルとして、重要な存在になるかもしれませんと、
おっしゃっていたことがあったと記憶していますが、
そうなのかもしれません。
また、王子とのメールのやりとりのなかで、
ぼく自身は、どちらかというとマイノリティ側の人間だとは思うのですが、
心情的には純粋右翼的なところが強くあって、
反日的なマイノリティに対し、強硬的な意見を述べたときに、
そういう考えは、この国に内乱を起こしかねませんし、
敵と味方でしか考えられないのなら、
われわれ日本人は共倒れにさせられてしまうことでしょうと、
お叱りを受けたことがあったと記憶しています。
それくらい、この国の舵取りというのは、
これからの災害にしろ、人災にしろ、
難しいものがあるのかもしれません。
少しまえに、なにかのテレビ番組で、
国会議員や官僚の顔を見る機会があったときに、
何割かの人たちのあまりの人相の悪さを見た瞬間、
ああ、この国の中心である東京に、
どうしても地震を起こすのだろうなと直感したことがありました。
それは、大自然=神が起こすのか、
神の代理人と思い込んでいる人たちが人為的に起こすのかは知りませんが、
そう遠くない将来ではないかと感じています。
災害にしろ人災にしろ、事前にできうる限りの備えをして、
何度も頭の中でシュミレーションしておくことで、
被害を最小におさえることができると思います。
ピラミッド型社会とネットワーク型社会
http://tirmun.net/prince+index.p+127.htm
>水面に投じた一石が、波紋を広げるように、
>さまざまな情報が、円を描いてネット上に広がっていく。
>それらが、やがて実社会にまで波及していく。
>ここに、今後の人類の可能性を見いだすこともできるだろう。
あれれ、A子さんから、
まったく同じようなビジョンを見たという、
話を聞いたような気がします。
それも知り合った当初ですから、
5年以上前で、ネットがなんなのか、
ご本人がまったく知らないころだったと思います。
>サンカと呼ばれた人々は、
>『どこにも属さない存在』である。
どこにも毒されない、いや属さないというのは、
なによりもの強みだったりするのかもしれませんね。
王子とA子さんは天才かもしれないと思うことがあります。
ほんとうは王子へのメールに書こうと思っていたのですが、
A子さんの近況を書いちゃったりします。
A子さんは、某宗教団体から、特別な存在として、
幹部直々に説得にきたりして、
一時は傾倒しかかっていたのは王子もご存知だと思います。
王子からは、組織団体に対して、決して敵視することなく、
どんな組織団体にも、役割やら必然性があるのだからとのアドバイスを受け、
とくに批判することもなく話を聞いてきました。
そのA子さんが少しまえに、某宗教団体の人たちに対して、
私に会いにきたかったら、脱会してからにしなさい、
また、まわりに集っていた在日コリアンの人たちに対して、
ちゃんと日本に帰化してから家に遊びにきなさいと言い放ったそうです。
あなたたちの行っていることは、不自然ですと。
ものの道理からすると、
不自然はいずれ淘汰されるのかもしれません。
ここのところ、お互いに忙しくて連絡を取ってなかったA子さんから電話があった。
いろいろと近況を話しあったところで、
いまは『遠くを見ることが一番の近道』という言葉が浮かぶのよ、とおっしゃっていた。
目のまえの孫や動物の世話を一生懸命にして、
同時にずっと遠くを見ているような感覚かしら、
それが自分が求めているものへの、
一番の近道だと感じるのだともおっしゃっていた。
未来の、あるべく人の世を見て、
目の前の現実を一歩一歩確実に歩むということなのかもしれません。
そんなA子さんが、言霊のおっさんから直接話を聞きたいというので、
昨夜、言霊勉強会ということで、言霊のおっさんにぼくの家に来てもらい、
スカイプを使って二時間ほどお互いの顔を見ながら話をしてもらった。
ぼくは少し離れたテレビで女子バレーを観戦していたが、
どんな話をしているのか気にはしていた。
言霊のおっさんは、相変わらず上目線の話し方だけど、
少し緊張気味で、敬語を使って話をしていたので、
いつものぼくに対するような、偉そうだけど、
言い切る迫力のようなものが少しなかったかもしれない。
そんな言霊のおっさんの話を、
A子さんは、はいはいと聞いているようだった。
言霊のおっさんが、私たちは、
これからの指導者を育てる役割を持っていると言っていたけど、
はてさて、私たちって誰なんだろう?
言霊の師匠とか、その教えを受けた人たちのことなのだろうか?
指導者を育てるって?
こりゃまたご大層なものの言い方だなぁとか思いながら耳を欹てていた。
A子さんの、指導者というのは、どういう人たちのことですかとの問いに、
これまでの指導者は、ピラミッドでいうところの上の階層になりますが、
これからの指導者というのは、円の中心ということになります。
また、無色透明がなんたらかんたらと言ってましたが、
女子バレーを見るのに集中してしまい、
聞き逃してしまった。
なんとなく、大したようで、実は大したことのない人は多いけど、
なんでもないようで、実はなんでもないことがない人みたいな、
そんなようなことだったような気もしますが、
ぼくの勘違いかもしれません。
まあ、言っていることは、少しは納得できるけれど、
本人を見ていると、あまりにも突っ込みどころが多すぎて、
あまりリアリティがなかったりします。
遠くを見るための指標を教える役割を持った人もいるだろうし、
躓かずに一歩一歩あゆむための手助けとなる役割もあるのだと考えたら、
言霊のおっさんみたいな存在もありかなとも思えるし、
どちらが偉いとかいうものではないのかもしれません。
勉強会が終わり、スカイプを切り、
言霊のおっさんに対してのぼくの一声、
まあ、問題はお金を儲けることやねぇ、と言うと、
本人、いたく神妙になって、そうやなぁと珍しく相槌を返してきました。
そんな言霊のおっさんは、ぼくに対して借金があるのでした。
A子さんに対して一方的に言霊を講義しているようで、
はいはいと聞いているA子さんから、
地に足のついた何かを感じ取ったのかもしれません。
遠くの目標は常に忘れることなく、
目のまえの現実を一歩一歩乗り越えてゆくしかないのかもしれません。
お金儲けの時代ではないとは思いつつ、
問題はお金を儲けること、
これは多くの人たちが抱えた問題なのかもしれません。
いろいろと近況を話しあったところで、
いまは『遠くを見ることが一番の近道』という言葉が浮かぶのよ、とおっしゃっていた。
目のまえの孫や動物の世話を一生懸命にして、
同時にずっと遠くを見ているような感覚かしら、
それが自分が求めているものへの、
一番の近道だと感じるのだともおっしゃっていた。
未来の、あるべく人の世を見て、
目の前の現実を一歩一歩確実に歩むということなのかもしれません。
そんなA子さんが、言霊のおっさんから直接話を聞きたいというので、
昨夜、言霊勉強会ということで、言霊のおっさんにぼくの家に来てもらい、
スカイプを使って二時間ほどお互いの顔を見ながら話をしてもらった。
ぼくは少し離れたテレビで女子バレーを観戦していたが、
どんな話をしているのか気にはしていた。
言霊のおっさんは、相変わらず上目線の話し方だけど、
少し緊張気味で、敬語を使って話をしていたので、
いつものぼくに対するような、偉そうだけど、
言い切る迫力のようなものが少しなかったかもしれない。
そんな言霊のおっさんの話を、
A子さんは、はいはいと聞いているようだった。
言霊のおっさんが、私たちは、
これからの指導者を育てる役割を持っていると言っていたけど、
はてさて、私たちって誰なんだろう?
言霊の師匠とか、その教えを受けた人たちのことなのだろうか?
指導者を育てるって?
こりゃまたご大層なものの言い方だなぁとか思いながら耳を欹てていた。
A子さんの、指導者というのは、どういう人たちのことですかとの問いに、
これまでの指導者は、ピラミッドでいうところの上の階層になりますが、
これからの指導者というのは、円の中心ということになります。
また、無色透明がなんたらかんたらと言ってましたが、
女子バレーを見るのに集中してしまい、
聞き逃してしまった。
なんとなく、大したようで、実は大したことのない人は多いけど、
なんでもないようで、実はなんでもないことがない人みたいな、
そんなようなことだったような気もしますが、
ぼくの勘違いかもしれません。
まあ、言っていることは、少しは納得できるけれど、
本人を見ていると、あまりにも突っ込みどころが多すぎて、
あまりリアリティがなかったりします。
遠くを見るための指標を教える役割を持った人もいるだろうし、
躓かずに一歩一歩あゆむための手助けとなる役割もあるのだと考えたら、
言霊のおっさんみたいな存在もありかなとも思えるし、
どちらが偉いとかいうものではないのかもしれません。
勉強会が終わり、スカイプを切り、
言霊のおっさんに対してのぼくの一声、
まあ、問題はお金を儲けることやねぇ、と言うと、
本人、いたく神妙になって、そうやなぁと珍しく相槌を返してきました。
そんな言霊のおっさんは、ぼくに対して借金があるのでした。
A子さんに対して一方的に言霊を講義しているようで、
はいはいと聞いているA子さんから、
地に足のついた何かを感じ取ったのかもしれません。
遠くの目標は常に忘れることなく、
目のまえの現実を一歩一歩乗り越えてゆくしかないのかもしれません。
お金儲けの時代ではないとは思いつつ、
問題はお金を儲けること、
これは多くの人たちが抱えた問題なのかもしれません。
>『気づき』とは、
>『現実に何ができるか?』を知ることです。
>山に籠もっていては、多くの人を助けられないでしょ?
おっしゃるとおりです。
名無しさんとしての投稿だったとしても、
黄金のおっちゃんに対して、
首相はちょっと軽薄な投稿だったと思い反省しております。
>街があるから、自然の大切さもわかるし、
>お金があるから、お金で買えないものの価値がわかるのです。
そうなんですよね。
ほんとうのお金持ちの中には、
お金で買えないものの価値をよく知っていたり、
また、極貧に対しても平然と耐えられたりする人っているんですよね。
>地震も四季と同じく、わが国の風土なのだから。
>自然の厳しさを知る、またとない機会なのだから。
天災によって育まれてきた国民性というものも大きいのでしょうね。
自然は美しく有難いだけでなく、
情け容赦のない手厳しさをも、持ち合わせていますからね。
人間も他の動物と同じく、自然に支配(自然の一部)された存在なのだと、
謙虚さを知る機会でもあるのかもしれませんね。
>日本での地震は、被害は最小限にくい止められます。
そのあたりが、日本たるゆえんなのかもしれませんね。
>悲観せず、けれど油断せず、やっていきましょう。
すこしマンガチックなお話ですが、
宮崎アニメで、コナンとかナウシカが、
胸騒ぎみたいにして、危機を予感するシーンがありましたね。
それに近いような、そうでもないような、
どちらかというと南海地震の際、山間部に暮らしているので、
地震への恐怖から過敏になっているだけかもしれませんが、
東北での地震を知ったときに、本州を南下するようにして、
大きな地震が続いておこるような予感がして仕方がありませんでした。
どうしても気になったので、人というものは、
一人が思うことは、他にも誰かが同じことを思うものですから、
ネットで検索して調べてみました。
そしたら、2ちゃんねるの、
【いきもの】「五十年間漁師をしてきたが初めてだ」
リュウグウノツカイがイカ釣り漁船に釣り上げられる(画像有り)
というスレッドの中に、
21 名前: 本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2008/06/04(水) 20:10:50 ID:99g/gUCk0
東北はみちのくから
兵庫近辺
最後の最後に関東・・・
という過去の投稿の紹介があって、、
別にそんなの予言しても、偉いこともなんにもありませんが、
一応、すこしはマトを得たことを言うことのある言霊のおっさんにそのことを話したら、
ワシもそんなイメージを持っていると言います。
まあ、どちらもあまりあてになりませんから、
悲観することもありませんが、
決して油断はしてはならないのかもしれません。
それより、釣ってびっくり浜坂沖でリュウグウノツカイ
ってニュースを読んで、
http://www.nnn.co.jp/news/080610/20080610009.html
リュウグウノツカイについて調べたら、
こんなに大きなのがいるんだとビックリしました。
こんなの泳いでいるところを目の当たりに見たら、
なんか自然観が変わりそうです。
リュウグウノツカイの写真
http://green.web6.jp/wp-content/uploads/2008/03/fish-regalecus-russelii.jpg
リュウグウノツカイの映像
http://jp.youtube.com/watch?v=gUaL6hHluZ8&feature=related
>『現実に何ができるか?』を知ることです。
>山に籠もっていては、多くの人を助けられないでしょ?
おっしゃるとおりです。
名無しさんとしての投稿だったとしても、
黄金のおっちゃんに対して、
首相はちょっと軽薄な投稿だったと思い反省しております。
>街があるから、自然の大切さもわかるし、
>お金があるから、お金で買えないものの価値がわかるのです。
そうなんですよね。
ほんとうのお金持ちの中には、
お金で買えないものの価値をよく知っていたり、
また、極貧に対しても平然と耐えられたりする人っているんですよね。
>地震も四季と同じく、わが国の風土なのだから。
>自然の厳しさを知る、またとない機会なのだから。
天災によって育まれてきた国民性というものも大きいのでしょうね。
自然は美しく有難いだけでなく、
情け容赦のない手厳しさをも、持ち合わせていますからね。
人間も他の動物と同じく、自然に支配(自然の一部)された存在なのだと、
謙虚さを知る機会でもあるのかもしれませんね。
>日本での地震は、被害は最小限にくい止められます。
そのあたりが、日本たるゆえんなのかもしれませんね。
>悲観せず、けれど油断せず、やっていきましょう。
すこしマンガチックなお話ですが、
宮崎アニメで、コナンとかナウシカが、
胸騒ぎみたいにして、危機を予感するシーンがありましたね。
それに近いような、そうでもないような、
どちらかというと南海地震の際、山間部に暮らしているので、
地震への恐怖から過敏になっているだけかもしれませんが、
東北での地震を知ったときに、本州を南下するようにして、
大きな地震が続いておこるような予感がして仕方がありませんでした。
どうしても気になったので、人というものは、
一人が思うことは、他にも誰かが同じことを思うものですから、
ネットで検索して調べてみました。
そしたら、2ちゃんねるの、
【いきもの】「五十年間漁師をしてきたが初めてだ」
リュウグウノツカイがイカ釣り漁船に釣り上げられる(画像有り)
というスレッドの中に、
21 名前: 本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2008/06/04(水) 20:10:50 ID:99g/gUCk0
東北はみちのくから
兵庫近辺
最後の最後に関東・・・
という過去の投稿の紹介があって、、
別にそんなの予言しても、偉いこともなんにもありませんが、
一応、すこしはマトを得たことを言うことのある言霊のおっさんにそのことを話したら、
ワシもそんなイメージを持っていると言います。
まあ、どちらもあまりあてになりませんから、
悲観することもありませんが、
決して油断はしてはならないのかもしれません。
それより、釣ってびっくり浜坂沖でリュウグウノツカイ
ってニュースを読んで、
http://www.nnn.co.jp/news/080610/20080610009.html
リュウグウノツカイについて調べたら、
こんなに大きなのがいるんだとビックリしました。
こんなの泳いでいるところを目の当たりに見たら、
なんか自然観が変わりそうです。
リュウグウノツカイの写真
http://green.web6.jp/wp-content/uploads/2008/03/fish-regalecus-russelii.jpg
リュウグウノツカイの映像
http://jp.youtube.com/watch?v=gUaL6hHluZ8&feature=related
少しまえに、サンカではなかったかと思われる爺さんの話を、
地元の自然保護グループの人から聞いた。
サンカではなかったとしても、
一生を深い山で過ごし、炭を焼いたり鮎やウナギを獲ることを生業にしていたのだから、
極めてサンカに近い存在だったのではないかと思います。
その爺さんは、十年程まえに九十歳くらいで亡くなったそうですが、
恐ろしいくらい、山の自然に詳しかったそうです。
炭焼きで、紀伊半島南部の山々を転々としていたそうで、
どこどこには、どんな植物が生息し、
どんな虫がいて、どういう生態なのか、
また山に暮らすすべての動物の生態まで、
学者が愕然とするほどのことを知っていたみたいです。
あの爺さんは山のことならなんでも知っているという噂を耳にした学者が、
何度か訪ねてきては、山を案内したこともあったそうだ。
日本カモシカの調査に同行したことがあったそうで、
学者や学生が何日もかけて綿密に調べた結果をみて、
その爺さんが違うというので、
もう一度調べ直したら、
爺さんの言ったとおりの結果だったこともあったそうだ。
また、木の生息域を調べたときも、
学者よりも爺さんのほうが遥かに正確だったらしい。
自然は、学説とおりではなく、
多様性を持っているということを、
あらためて学者が学んだという話まで残っているそうだ。
そのときに爺さんが、
ワシらは山主から木を買うときに、お金になる木を知らなあかん。
そして、見積もったものより、ちょっと少なめに買うんや。
ちょっとだけ儲かったらええんや。
ようさん儲けたらあかんのや。
と言ったという話を聞いて唸ってしまった。
なにをしても、今だけ儲かったらよいというような、
愚かな考えは、微塵もなかったのかもしれません。
以前、テレビで見たのですが、
創業200年以上の企業は、
ダントツに日本が多く、3000社以上あって、
4000年の歴史を誇る中国でさえ、
10社にも満たなかったように記憶しています。
利を第一に求める企業でさえ、
その爺さんと通じる感性というか、
知恵を持っていたのかもしれません。
その爺さんが学者に語ったといわれる言葉があります。
山のことを知ろうと思ったら、
地べたに寝な、ほんまのことはわからんよ。
うん、サンカかも知れないと思いました。
記憶力や観察力、それにものの道理を知るという意味においては、
学者たちが舌を巻くほどのものがあったといわれる爺さんですが、
そういう無名の殆ど誰も知らない爺さんみたいな人が、
この国のあちらこちらに存在していたのかもしれないと思ったら、
嬉しいような寂しいような、複雑な思いがいました。
地元の自然保護グループの人から聞いた。
サンカではなかったとしても、
一生を深い山で過ごし、炭を焼いたり鮎やウナギを獲ることを生業にしていたのだから、
極めてサンカに近い存在だったのではないかと思います。
その爺さんは、十年程まえに九十歳くらいで亡くなったそうですが、
恐ろしいくらい、山の自然に詳しかったそうです。
炭焼きで、紀伊半島南部の山々を転々としていたそうで、
どこどこには、どんな植物が生息し、
どんな虫がいて、どういう生態なのか、
また山に暮らすすべての動物の生態まで、
学者が愕然とするほどのことを知っていたみたいです。
あの爺さんは山のことならなんでも知っているという噂を耳にした学者が、
何度か訪ねてきては、山を案内したこともあったそうだ。
日本カモシカの調査に同行したことがあったそうで、
学者や学生が何日もかけて綿密に調べた結果をみて、
その爺さんが違うというので、
もう一度調べ直したら、
爺さんの言ったとおりの結果だったこともあったそうだ。
また、木の生息域を調べたときも、
学者よりも爺さんのほうが遥かに正確だったらしい。
自然は、学説とおりではなく、
多様性を持っているということを、
あらためて学者が学んだという話まで残っているそうだ。
そのときに爺さんが、
ワシらは山主から木を買うときに、お金になる木を知らなあかん。
そして、見積もったものより、ちょっと少なめに買うんや。
ちょっとだけ儲かったらええんや。
ようさん儲けたらあかんのや。
と言ったという話を聞いて唸ってしまった。
なにをしても、今だけ儲かったらよいというような、
愚かな考えは、微塵もなかったのかもしれません。
以前、テレビで見たのですが、
創業200年以上の企業は、
ダントツに日本が多く、3000社以上あって、
4000年の歴史を誇る中国でさえ、
10社にも満たなかったように記憶しています。
利を第一に求める企業でさえ、
その爺さんと通じる感性というか、
知恵を持っていたのかもしれません。
その爺さんが学者に語ったといわれる言葉があります。
山のことを知ろうと思ったら、
地べたに寝な、ほんまのことはわからんよ。
うん、サンカかも知れないと思いました。
記憶力や観察力、それにものの道理を知るという意味においては、
学者たちが舌を巻くほどのものがあったといわれる爺さんですが、
そういう無名の殆ど誰も知らない爺さんみたいな人が、
この国のあちらこちらに存在していたのかもしれないと思ったら、
嬉しいような寂しいような、複雑な思いがいました。
人というものは、哀しく心を痛めるような犠牲がなければ、
気づきというものが得られないものなのでしょうか・・・?
一週間まえ、久しぶりに実家へ戻ったときに、
玄関の軒下にあるツバメの巣が落ちるということがあった。
実家へ戻って一時間ほどした日も暮れようとしているころ、
母親の呼ぶ声で玄関先にでたら、
コンクリートの地面に壊れた巣と生まれたばかりのヒナが五羽ころがっていた。
そのうえをオロオロとした様子の親ツバメが飛び回り、
母親もどうしたらよいのかと動揺していた。
とりあえず、ティッシュを持ってきて、
ヒナを拾い上げ、ティッシュペーパーで包んで、
どうしたものかと思案した。
まだ産毛も殆ど生えていない、弱弱しいヒナではあったけれど、
五羽のヒナは懸命に生きようとしているように思えた。
五羽のヒナを母親の掌にゆだねて、
小さなダンボールの空き箱を利用し、
手っ取り早く巣のようなものを作った。
そして脚立を持ってきて、元の巣があった近くに置いて、
そのうえにダンボールの巣を固定してみた。
親ツバメたちはその近くを、ずっと飛び回ってはいたが、
なぜかヒナには気づかない様子で、
ヒナのいる巣に戻ることなく夜を迎えた。
その夜、ヒナと親ツバメのことが気になってなかなか寝付かれなかった。
人に対してはあまり優しいとは思わないけど、
動物、特に鳥に対しては妙に優しいところがあるので激しく心が痛んだ。
なんの罪もないツバメのヒナと、
けなげに子育てをする親ツバメが、
不憫でかわいそうでならなかった。
そんなときに、ふと四川大地震のことが脳裏に浮かんだ。
物心がついたころから、
中国とフランスという国が妙に嫌いだったし、
心のどこかで中国での地震被害を歓迎するようなところがあったのかもしれないと思った。
しかし、被害にあって亡くなったり苦しんだりしているのは、
罪のない子供たちであったり、
弱者であったりするのだと、
そんな自分の愚かさに気づかされた。
王子が言うところの、『災い転じて福となす』ということを、
中国の上層部や民衆が真摯にうけとめ、
あらためてゆくことができたらよいのにと思った。
しかし、当初はよい感じではあったけれども、
また悪いものが先にでてきたような気もしないではない。
この期に及んでの物資の横流しや、
原子力関係の重要情報の隠蔽などもあるようだ。
言霊のおっさんからは、知り合った当初から、
神は、中国と北朝鮮という国は残さないと言っていると、
何度となく耳にしていた。
これ以上の罪のない善良な人たちや、
いたいけのない子供たちの犠牲を、
なんとか最小限に食い止めることはできないのだろうか。
そんなことを瞑目して思いを凝らすことで、
気づいたこともあった。
ミャンマーでのサイクロンに中国での四川大地震、
どちらの国も上層部は腐りきっていて、
僧侶や仏教徒を弾圧したという共通点がある。
そういうことから、仏罰や天罰だという意見も多いかもしれない。
それらの天災が、気象兵器や地震兵器によるものだとする説もあり、
例え人為的なものであったとしても、
宗教のかたちを変えたいという大自然=神の意志があったように思えてならない。
宗教も、かたちを変えなければ、
淘汰されるときにきているのだと思う。
尊い犠牲をはらうことによって、
不自然さや間違いに気づき、
そのことをあらため、進化するということを繰り返すのなら、
やがて日本にも大地震などの天災が起こり、
しばらくは混乱するようなことがあるように思う。
人々の想念というのは、とても強い力を持っている。
多くの人が、変化を求めているのも確かだ。
言霊のおっさんに訊ねてみたら、
日本の混乱に乗じて、悪さをしかねない国、
北朝鮮と場合によってはロシアが、
天災なり人災等により悪い意志や力がそがれたら、
そのときが近いかもしれんなあとのことでした。
しかし、尊い犠牲を最小限におさえることも可能なように思います。
それは、より早い気づきと、けなげさではないかと思えるのでした。
そんなことを思いながら、早くから起きて、
ツバメの巣がどうなっているか母親に訊ねてみると、
親ツバメたちはダンボールで造った巣の周りを飛び回るだけで、
ヒナのもとにはきていないようであった。
後悔しないためにも、できるだけのことはしたいとの思いで、
捨ててしまった壊れた巣を探し、
泥と藁を再利用し、今度は小さな竹篭をベースにしてあらたに巣を造り、
もとあった巣の近くにワイヤーで固定してみた。
そのときに、一羽のヒナをコンクリートの地面に落としてしまい、
あわてて拾い上げてみたが、かすかに生きている状態で、
虫の息という感じであった。
もっと細心の注意をもってしていればと後悔しつつ、
落としたヒナを巣に戻して、
なんとか新しく作った巣を軒下に固定することができた。
あたらしく造った巣には、親ツバメがくるようになり、
ヒナのうえに覆いかぶさって温めているようで、
少し安堵して、その日実家を離れた。
昨日、実家に電話して、ツバメがどうなったか訊ねたら、
二羽のヒナは下に落ちて死んでいたそうだ。
しかし、三羽のヒナは産毛も少し生えてきて、
なんとか成長しているようだと言っていた。
実家のツバメの災難でさえ、
これだけ心を痛め、心配するのだから、
家族を失った被災者の気持ちをおもんばかると、
また、いずれ起こるであろう日本での大地震のことを思うと、
辛いものがあります。
四日間の水と食料の備蓄は、
必要と思われます。
気づきというものが得られないものなのでしょうか・・・?
一週間まえ、久しぶりに実家へ戻ったときに、
玄関の軒下にあるツバメの巣が落ちるということがあった。
実家へ戻って一時間ほどした日も暮れようとしているころ、
母親の呼ぶ声で玄関先にでたら、
コンクリートの地面に壊れた巣と生まれたばかりのヒナが五羽ころがっていた。
そのうえをオロオロとした様子の親ツバメが飛び回り、
母親もどうしたらよいのかと動揺していた。
とりあえず、ティッシュを持ってきて、
ヒナを拾い上げ、ティッシュペーパーで包んで、
どうしたものかと思案した。
まだ産毛も殆ど生えていない、弱弱しいヒナではあったけれど、
五羽のヒナは懸命に生きようとしているように思えた。
五羽のヒナを母親の掌にゆだねて、
小さなダンボールの空き箱を利用し、
手っ取り早く巣のようなものを作った。
そして脚立を持ってきて、元の巣があった近くに置いて、
そのうえにダンボールの巣を固定してみた。
親ツバメたちはその近くを、ずっと飛び回ってはいたが、
なぜかヒナには気づかない様子で、
ヒナのいる巣に戻ることなく夜を迎えた。
その夜、ヒナと親ツバメのことが気になってなかなか寝付かれなかった。
人に対してはあまり優しいとは思わないけど、
動物、特に鳥に対しては妙に優しいところがあるので激しく心が痛んだ。
なんの罪もないツバメのヒナと、
けなげに子育てをする親ツバメが、
不憫でかわいそうでならなかった。
そんなときに、ふと四川大地震のことが脳裏に浮かんだ。
物心がついたころから、
中国とフランスという国が妙に嫌いだったし、
心のどこかで中国での地震被害を歓迎するようなところがあったのかもしれないと思った。
しかし、被害にあって亡くなったり苦しんだりしているのは、
罪のない子供たちであったり、
弱者であったりするのだと、
そんな自分の愚かさに気づかされた。
王子が言うところの、『災い転じて福となす』ということを、
中国の上層部や民衆が真摯にうけとめ、
あらためてゆくことができたらよいのにと思った。
しかし、当初はよい感じではあったけれども、
また悪いものが先にでてきたような気もしないではない。
この期に及んでの物資の横流しや、
原子力関係の重要情報の隠蔽などもあるようだ。
言霊のおっさんからは、知り合った当初から、
神は、中国と北朝鮮という国は残さないと言っていると、
何度となく耳にしていた。
これ以上の罪のない善良な人たちや、
いたいけのない子供たちの犠牲を、
なんとか最小限に食い止めることはできないのだろうか。
そんなことを瞑目して思いを凝らすことで、
気づいたこともあった。
ミャンマーでのサイクロンに中国での四川大地震、
どちらの国も上層部は腐りきっていて、
僧侶や仏教徒を弾圧したという共通点がある。
そういうことから、仏罰や天罰だという意見も多いかもしれない。
それらの天災が、気象兵器や地震兵器によるものだとする説もあり、
例え人為的なものであったとしても、
宗教のかたちを変えたいという大自然=神の意志があったように思えてならない。
宗教も、かたちを変えなければ、
淘汰されるときにきているのだと思う。
尊い犠牲をはらうことによって、
不自然さや間違いに気づき、
そのことをあらため、進化するということを繰り返すのなら、
やがて日本にも大地震などの天災が起こり、
しばらくは混乱するようなことがあるように思う。
人々の想念というのは、とても強い力を持っている。
多くの人が、変化を求めているのも確かだ。
言霊のおっさんに訊ねてみたら、
日本の混乱に乗じて、悪さをしかねない国、
北朝鮮と場合によってはロシアが、
天災なり人災等により悪い意志や力がそがれたら、
そのときが近いかもしれんなあとのことでした。
しかし、尊い犠牲を最小限におさえることも可能なように思います。
それは、より早い気づきと、けなげさではないかと思えるのでした。
そんなことを思いながら、早くから起きて、
ツバメの巣がどうなっているか母親に訊ねてみると、
親ツバメたちはダンボールで造った巣の周りを飛び回るだけで、
ヒナのもとにはきていないようであった。
後悔しないためにも、できるだけのことはしたいとの思いで、
捨ててしまった壊れた巣を探し、
泥と藁を再利用し、今度は小さな竹篭をベースにしてあらたに巣を造り、
もとあった巣の近くにワイヤーで固定してみた。
そのときに、一羽のヒナをコンクリートの地面に落としてしまい、
あわてて拾い上げてみたが、かすかに生きている状態で、
虫の息という感じであった。
もっと細心の注意をもってしていればと後悔しつつ、
落としたヒナを巣に戻して、
なんとか新しく作った巣を軒下に固定することができた。
あたらしく造った巣には、親ツバメがくるようになり、
ヒナのうえに覆いかぶさって温めているようで、
少し安堵して、その日実家を離れた。
昨日、実家に電話して、ツバメがどうなったか訊ねたら、
二羽のヒナは下に落ちて死んでいたそうだ。
しかし、三羽のヒナは産毛も少し生えてきて、
なんとか成長しているようだと言っていた。
実家のツバメの災難でさえ、
これだけ心を痛め、心配するのだから、
家族を失った被災者の気持ちをおもんばかると、
また、いずれ起こるであろう日本での大地震のことを思うと、
辛いものがあります。
四日間の水と食料の備蓄は、
必要と思われます。
区別はしてもよいけど、差別はしてはいけません。
差別するものには、区別する資格はないのです。
差別するものは、自ら器の小ささを表明しているようなものだし、
あらゆる面で、ふるいにかけられ淘汰される側にあると思われます。
また、被差別者側のもので、
差別を利用し、非道なおこないをするものに対しては、
一般社会のみならず、被差別者側からも、
強く糾弾され淘汰してゆかなければならないときにきていると思われます。
http://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10019962392.html
↑解放同盟の光と闇を知ったうえで、(闇の部分が大きいことは知りながらも)
いろんな場面で解同を擁護するような発言をしてきたけれど、
流石にこういうニュースが流れてからは擁護できません。
ちなみに、ヤクザついては、
健全なヤクザがあってこその、安全で楽しい日本という気がしています。
少々悪さをしても、むかしのヤクザは、随分と治安に貢献していたように思います。
同和団体もヤクザも、戦前戦後まもないころまでは、まだ理念や美学があったように思います。
水平社は崇高な理念を持っていたし、ヤクザにも任侠という美学がありました。
兄弟で、兄が解放運動の闘士、弟はヤクザの親分ということも多かったと聞いています。
理念と美学はどこへいってしまったんでしょうね。
2ちゃんねるなどによる、
差別心を煽るエタだのチョンだのという投稿に、
少なからず影響を受けている人たちも多いようです。
かくいうぼくも、2ちゃんねるの影響を受けて、
一時、嫌韓になってしまったことがありました。
日本人として、反日の中国や韓国のあり方は嫌悪を感じますが、
物事を掘り下げ、冷静に考えたら、
嫌いというより、“お粗末な”という思いがしてきましたし、
十把一絡にして差別したり嫌うことは、
もっとお粗末だといえるのかもしれません。
それにしても、80年代に韓国映画を中心に、
アジアの映画を集中して観ていた時期があり、
いまでも好きな映画のベストテンのひとつに、
アン・ソンギ主演の『神様こんにちわ』というのがあって、
半島系の人たちの情の深さという部分を知っているのにも関わらず、
嫌韓にしてしまう2ちゃんねるの影響力はすごいものがあります。
また、差別心を煽る投稿により、
傷つき、心を痛めている人も多いと聞いています。
どんなに成功者であっても、
差別発言を見聞きしたりすると、
気分が悪いを通り越して、
悲しくなるみたいです。
社会的弱者なら、なおさら辛いことだと思います。
たとえ言動には出さなくても、
心の奥に差別心が潜んでいたら、
そのことは、相手に伝わります。
マイノリティ出身者はそういうことに敏感です。
引きこもってネットばかりの生活では、
問題はないかもしれませんが、
社会に出て、いろんな人と関わりを持ってくると、
差別心は必ず自分自身に悪影響が出てくるように思います。
以前、運営していたサイトで交流を持った人たちと、
野史研究という勉強会のような会合に、
何度となく参加したことがありました。
その参加者のなかには、都内の高級住宅地に暮らし、
医師で収入も見た目もセレブという人や、
大阪の二代目オーナー社長の紳士がいましたが、
自分のルーツを、意地でも賤民にしたがるという、
面白い現象をまのあたりにしたことがありました。
普通は、マイノリティから成り上がって、
その出自を隠したがるというのはよくある話でしたが、
成り上がった何代目かに、その出自にロマンなり愛着を持つという現象が、
起こっているのだということを知り、
よい勉強になったと感じたことがありました。
根がおバカなので、どうも文章を書いていると、
違う方向へいってしまいがちになるのですが、
どうせなら、もっと違うことを書きます。
こんな山奥にも、ケーブルテレビというものが四月から開通し、
我が家で民放放送が見られるようになってしまいました。
もともと、大のテレビ好きだったので、
これはヤバイかもと思いながらも、
民放各社の番組を見回したところ、
ロンドンハーツの格付けする女たちという番組をみて、
こんな面白い番組があったのか〜と魅了されてしまいました。
それで、彼女たちは、なにゆえにああまで面白くて魅力的なのかと、
まじめに考え、分析してみたくなりました。
凝り性にして、探究心もあるほうなので、
過去の番組を可能なかぎり集めて、
二日間、ぶっ通しで過去三年間の番組を観てみました。
お笑い芸人が只者ではないことは、
なんとなくは知っていました。
芸能界やスポーツ界は、
実力の世界だといわれてきましたが、
実際には、環境に恵まれないと、
這い上がるのが難しくなってきたように思います。
そういう意味で芸人は、実力で這い上がれる、
数少なくなった分野なのかもしれません。
並みのヤクザじゃ歯が立たないだろうなと思うくらい、
根性も度胸もありそうなのがいますし、
普通だったら犯罪者になるか自殺しているだろうな、
というような境遇の人も多いような気がします。
人生、喜怒哀楽の振幅だとすると、
深い哀しみを内に秘めてるがゆえに、
ああまで笑いに転化することができるのかもしれません。
しかし、格付けで面白いと思ったのは、
男の芸人のでもなく、女芸人のでもなく、女子アナのでもなく、
タレント、女優、女芸人が集まる格付けなのでした。
男芸人のは、なんだか鼻につくものを感じさせるし、
女芸人のは、見ていて痛々しさを感じるし、
女子アナのは、中途半端という感じがして、
あまり笑えませんでした。
それほどまでに、タレント、女優、女芸人が集まった格付けは、
ぼくにとって、大笑いするほど面白く、とても魅力的で、
それぞれの女性に愛おしささえ感じさせるのです。
金子みすずではありませんが、
「みんなちがってみんないい」という思いがします。
どうしてなのだろう?
ヤンキー、天然、秀才、美女、ブサイクと、
それぞれがキャラも育ちも、てんでバラバラだけど、
各々がそれぞれのキャラを際立たせ、
うまく調和しているから面白いのかとも思いましたが、
それだけでなく、彼女たちには共通しているものがあるように思えてきました。
それがわかれば、
人生を、いや世の中を変えられるのではと、
おバカなぼくは思うのですが、
なんとなく、おバカ→白痴→真空 ではないかと直感しています。
白痴の【痴】って、なかなか意味深な漢字です。
差別するものには、区別する資格はないのです。
差別するものは、自ら器の小ささを表明しているようなものだし、
あらゆる面で、ふるいにかけられ淘汰される側にあると思われます。
また、被差別者側のもので、
差別を利用し、非道なおこないをするものに対しては、
一般社会のみならず、被差別者側からも、
強く糾弾され淘汰してゆかなければならないときにきていると思われます。
http://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10019962392.html
↑解放同盟の光と闇を知ったうえで、(闇の部分が大きいことは知りながらも)
いろんな場面で解同を擁護するような発言をしてきたけれど、
流石にこういうニュースが流れてからは擁護できません。
ちなみに、ヤクザついては、
健全なヤクザがあってこその、安全で楽しい日本という気がしています。
少々悪さをしても、むかしのヤクザは、随分と治安に貢献していたように思います。
同和団体もヤクザも、戦前戦後まもないころまでは、まだ理念や美学があったように思います。
水平社は崇高な理念を持っていたし、ヤクザにも任侠という美学がありました。
兄弟で、兄が解放運動の闘士、弟はヤクザの親分ということも多かったと聞いています。
理念と美学はどこへいってしまったんでしょうね。
2ちゃんねるなどによる、
差別心を煽るエタだのチョンだのという投稿に、
少なからず影響を受けている人たちも多いようです。
かくいうぼくも、2ちゃんねるの影響を受けて、
一時、嫌韓になってしまったことがありました。
日本人として、反日の中国や韓国のあり方は嫌悪を感じますが、
物事を掘り下げ、冷静に考えたら、
嫌いというより、“お粗末な”という思いがしてきましたし、
十把一絡にして差別したり嫌うことは、
もっとお粗末だといえるのかもしれません。
それにしても、80年代に韓国映画を中心に、
アジアの映画を集中して観ていた時期があり、
いまでも好きな映画のベストテンのひとつに、
アン・ソンギ主演の『神様こんにちわ』というのがあって、
半島系の人たちの情の深さという部分を知っているのにも関わらず、
嫌韓にしてしまう2ちゃんねるの影響力はすごいものがあります。
また、差別心を煽る投稿により、
傷つき、心を痛めている人も多いと聞いています。
どんなに成功者であっても、
差別発言を見聞きしたりすると、
気分が悪いを通り越して、
悲しくなるみたいです。
社会的弱者なら、なおさら辛いことだと思います。
たとえ言動には出さなくても、
心の奥に差別心が潜んでいたら、
そのことは、相手に伝わります。
マイノリティ出身者はそういうことに敏感です。
引きこもってネットばかりの生活では、
問題はないかもしれませんが、
社会に出て、いろんな人と関わりを持ってくると、
差別心は必ず自分自身に悪影響が出てくるように思います。
以前、運営していたサイトで交流を持った人たちと、
野史研究という勉強会のような会合に、
何度となく参加したことがありました。
その参加者のなかには、都内の高級住宅地に暮らし、
医師で収入も見た目もセレブという人や、
大阪の二代目オーナー社長の紳士がいましたが、
自分のルーツを、意地でも賤民にしたがるという、
面白い現象をまのあたりにしたことがありました。
普通は、マイノリティから成り上がって、
その出自を隠したがるというのはよくある話でしたが、
成り上がった何代目かに、その出自にロマンなり愛着を持つという現象が、
起こっているのだということを知り、
よい勉強になったと感じたことがありました。
根がおバカなので、どうも文章を書いていると、
違う方向へいってしまいがちになるのですが、
どうせなら、もっと違うことを書きます。
こんな山奥にも、ケーブルテレビというものが四月から開通し、
我が家で民放放送が見られるようになってしまいました。
もともと、大のテレビ好きだったので、
これはヤバイかもと思いながらも、
民放各社の番組を見回したところ、
ロンドンハーツの格付けする女たちという番組をみて、
こんな面白い番組があったのか〜と魅了されてしまいました。
それで、彼女たちは、なにゆえにああまで面白くて魅力的なのかと、
まじめに考え、分析してみたくなりました。
凝り性にして、探究心もあるほうなので、
過去の番組を可能なかぎり集めて、
二日間、ぶっ通しで過去三年間の番組を観てみました。
お笑い芸人が只者ではないことは、
なんとなくは知っていました。
芸能界やスポーツ界は、
実力の世界だといわれてきましたが、
実際には、環境に恵まれないと、
這い上がるのが難しくなってきたように思います。
そういう意味で芸人は、実力で這い上がれる、
数少なくなった分野なのかもしれません。
並みのヤクザじゃ歯が立たないだろうなと思うくらい、
根性も度胸もありそうなのがいますし、
普通だったら犯罪者になるか自殺しているだろうな、
というような境遇の人も多いような気がします。
人生、喜怒哀楽の振幅だとすると、
深い哀しみを内に秘めてるがゆえに、
ああまで笑いに転化することができるのかもしれません。
しかし、格付けで面白いと思ったのは、
男の芸人のでもなく、女芸人のでもなく、女子アナのでもなく、
タレント、女優、女芸人が集まる格付けなのでした。
男芸人のは、なんだか鼻につくものを感じさせるし、
女芸人のは、見ていて痛々しさを感じるし、
女子アナのは、中途半端という感じがして、
あまり笑えませんでした。
それほどまでに、タレント、女優、女芸人が集まった格付けは、
ぼくにとって、大笑いするほど面白く、とても魅力的で、
それぞれの女性に愛おしささえ感じさせるのです。
金子みすずではありませんが、
「みんなちがってみんないい」という思いがします。
どうしてなのだろう?
ヤンキー、天然、秀才、美女、ブサイクと、
それぞれがキャラも育ちも、てんでバラバラだけど、
各々がそれぞれのキャラを際立たせ、
うまく調和しているから面白いのかとも思いましたが、
それだけでなく、彼女たちには共通しているものがあるように思えてきました。
それがわかれば、
人生を、いや世の中を変えられるのではと、
おバカなぼくは思うのですが、
なんとなく、おバカ→白痴→真空 ではないかと直感しています。
白痴の【痴】って、なかなか意味深な漢字です。
在日コリアンであり、
今は帰化しておられる超感性の持ち主であるA子さんの言葉です。
海外での生活も体験され、白人男性とも結婚された経験もある方です。
中国人や韓国人が日本のことを悪く言うのは、
一言でいうとコンプレックスです。
嫉妬と憧れが入り乱れた複雑なコンプレックスとしか思えません。
ヨーロッパでもアメリカでも、
世界中どこへ行っても中国人と韓国人のうるささを見聞きしていると、
日本が立たなければ、どうしようもありません。
でもまあ、日本も戦争で中国や朝鮮には酷いことをしたからとぼくが言うと、
戦争とはそういうものです、いつまでも過去のことで、
ネチネチ言うのはみっともありませんという気性の人です。
まずは日本が立ち、それは世界のため、
和をもって貴しとなす、
かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂、
これが口癖でもあります。
こちらのページに大和魂についていいことが書いてありました
http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/yosida/syoin20.htm
ご本人もおっしゃっていますが、
精神はもののみごと大和魂の人です。
それと、日本の底力のようなものをおそれているということもあるのかもしれません。
よくよく考えると日本というのは不思議な国です。
東の果ての小さな島国で、国土の殆どは山に覆われ、
水や自然には恵まれているものの、
資源といえるものがあるわけでもなく、
それでいて鎖国されていた江戸時代にでさえ、
世界に類をみないほどの庶民文化を花咲かせ、
大雑把にいえば倭国大乱から戦国時代、幕末明治の動乱期から先の敗戦まで、
まるで切磋琢磨し、民度を高めるためのカリキュラムのような凝縮された歴史を有し、
戦後焼け野原状態から、僅か半世紀で世界第二位の経済大国へ、
そしていま、大きな潮流がおしよせている。
日本の底力とは、そういう歴史文化に育まれてきたものなのかもしれません。
戦後60年、日本人が骨抜きにされ、いくら劣化したといわれても、
ながきに渡って培われてきた底力というのは、
まだまだ根底に息づいていると思えます。
嫉妬するのも、ふたたび軍国主義にでもなればと、
おそれているのもわからないではありません。
また、古代より各地から様々な優秀な人たちが日本に辿りつき、
和をもって同化してきたことによる力というのも大きいように思います。
日本には一万年以上も続いた縄文時代というベースがあり、
そういう意味では、チベットとも共通しているのだと思いますが、
日本は海に囲まれ、チベットは高い山々に囲まれ、
どちらもアジアの古い血脈を残すことができたということがあると思います。
その古い血脈とは、もしかしたらムー大陸からのものなのかもしれないけれど、
そういうものが、日本の底力として、大きく関係しているのかもしれないと、
またまたオカルトトンデモに走りそうになるのですが、
ルーツや出自とかではなく、
大和魂を有したものこそを、
真の日本人と思いたいし、
また、日本という国体こそが、
政治的地政学的には、非常に難しい立場ではあるけれど、
真っ先に新しい意識に目覚めることのできる、
恵まれた環境にあるのではないかと感じています。
今は帰化しておられる超感性の持ち主であるA子さんの言葉です。
海外での生活も体験され、白人男性とも結婚された経験もある方です。
中国人や韓国人が日本のことを悪く言うのは、
一言でいうとコンプレックスです。
嫉妬と憧れが入り乱れた複雑なコンプレックスとしか思えません。
ヨーロッパでもアメリカでも、
世界中どこへ行っても中国人と韓国人のうるささを見聞きしていると、
日本が立たなければ、どうしようもありません。
でもまあ、日本も戦争で中国や朝鮮には酷いことをしたからとぼくが言うと、
戦争とはそういうものです、いつまでも過去のことで、
ネチネチ言うのはみっともありませんという気性の人です。
まずは日本が立ち、それは世界のため、
和をもって貴しとなす、
かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂、
これが口癖でもあります。
こちらのページに大和魂についていいことが書いてありました
http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/yosida/syoin20.htm
ご本人もおっしゃっていますが、
精神はもののみごと大和魂の人です。
それと、日本の底力のようなものをおそれているということもあるのかもしれません。
よくよく考えると日本というのは不思議な国です。
東の果ての小さな島国で、国土の殆どは山に覆われ、
水や自然には恵まれているものの、
資源といえるものがあるわけでもなく、
それでいて鎖国されていた江戸時代にでさえ、
世界に類をみないほどの庶民文化を花咲かせ、
大雑把にいえば倭国大乱から戦国時代、幕末明治の動乱期から先の敗戦まで、
まるで切磋琢磨し、民度を高めるためのカリキュラムのような凝縮された歴史を有し、
戦後焼け野原状態から、僅か半世紀で世界第二位の経済大国へ、
そしていま、大きな潮流がおしよせている。
日本の底力とは、そういう歴史文化に育まれてきたものなのかもしれません。
戦後60年、日本人が骨抜きにされ、いくら劣化したといわれても、
ながきに渡って培われてきた底力というのは、
まだまだ根底に息づいていると思えます。
嫉妬するのも、ふたたび軍国主義にでもなればと、
おそれているのもわからないではありません。
また、古代より各地から様々な優秀な人たちが日本に辿りつき、
和をもって同化してきたことによる力というのも大きいように思います。
日本には一万年以上も続いた縄文時代というベースがあり、
そういう意味では、チベットとも共通しているのだと思いますが、
日本は海に囲まれ、チベットは高い山々に囲まれ、
どちらもアジアの古い血脈を残すことができたということがあると思います。
その古い血脈とは、もしかしたらムー大陸からのものなのかもしれないけれど、
そういうものが、日本の底力として、大きく関係しているのかもしれないと、
またまたオカルトトンデモに走りそうになるのですが、
ルーツや出自とかではなく、
大和魂を有したものこそを、
真の日本人と思いたいし、
また、日本という国体こそが、
政治的地政学的には、非常に難しい立場ではあるけれど、
真っ先に新しい意識に目覚めることのできる、
恵まれた環境にあるのではないかと感じています。
いまさらあたりまえの話だと思うのですが、
人間なんのために生きているかと問われたら、
やはり納得するという一言になるのだろうと思います。
お金や権力を求めるのも、
自分の欲に対しての納得なのだろうし、
究極的には、生きるということの意味を、
知ることになるのかもしれません。
自分の人生を振り返ってみても、
なにに一番時間と労力を費やしてきたかと考えたときに、
やはり自分のなかの問いに対する納得だったように思います。
例えば8年程前に、田舎生活に窮し、
これからはネットビジネスを利用しない手はないと考え、
ホームページを作るということを覚えた。
しかし、ビジネスよりも、
ずっと興味のあったことを真剣にやってしまった。
その半分でも、お金儲けに費やしていればと、
少しは後悔したこともあったけど、
今は、ほんとうにそれでよかったと思っている。
それは、自分に対しての納得を得られたからだ。
しかし、まだまだ自分に対して納得させなければならないことはある。
これからも、それになによりも時間と労力をそそぐことになるのだろうと思う。
まだ書いちゃ駄目と王子に言われているのだけど、
自分の生き方であったり、思考を大きく変えたキッカケになったもの、
その存在に対する納得というものがある。
ありのまま書いたら、ドン引きされるかもしれないけれど、
いずれ書くと思います。
話は変わりますが、
少しまえに、超感性の持ち主であるA子さんからよい話を聞いた。
A子さんというのはとても世話好きで、
人に対してだけでなく、
動植物に対する愛情というのには関心させられるものがある。
知り合ったころ、従兄弟の方と熊野に遊びにいらしたとき、
玉置神社までクルマでお連れしたことがあった。
そのときに、林道脇から捨てられた老犬がヨロヨロとでてきて、
A子さんがクルマを止めてというので、
どうするのかと思ったら、老犬のもとに走りより、
地べたに座り老犬を抱きしめて、かわいそうだから連れて帰ると泣かれました。
確かに、連れて帰りたくなるほど、惨めでヨレヨレの老犬ではありました。
従兄弟の方が、そんな無理なことを言っても、
ヤゾーさんも困るだろうし、飛行機には乗せられないからと説得して、
持っていた食べ物を与え、老犬をそのままにしたことがありました。
後で話を聞いたら、随分と迷いネコやイヌを世話したり、
病院に連れていったりしているみたいでした。
動物病院の先生から、そんなことをしていたら、
きりがないよとまで、言われたそうです。
また、隣の家の木が切られることを知り、
いままで目の保養やらお陰をいただいていたのだからと、
お金を出して、木を移転させたこともあったようです。
そういうA子さんに、話を聞いてもらいたいということで、
紹介された老婦人から電話があったそうです。
その老婦人は、50年まえに子供をみごもったそうなのですが、
持病をかかえていたこともあり、
生めば命の保障はないと医者にいわれ、
家族の説得もあり、泣く泣く堕胎してしまい、
それ以来、子宝に恵まれることはなかったそうです。
そのことを、50年間、
真剣に悩み後悔し続けた人生であったようです。
そして、50年経ったいま、
はっきりと確信でき、自分に対して納得のようなものができたそうです。
あのときに、命がけで真剣に必死になって生んでおけば、
ご本人も赤ちゃんも無事であったであろうと。
人生、その場その場を、どれだけ必死に真剣に生きるか、
その積み重ねこそが、よりよい未来を築くのだと、
そのことを悟るための50年間であったということでした。
その話を聞いて、自分は恥じ入るばかりです。
人間なんのために生きているかと問われたら、
やはり納得するという一言になるのだろうと思います。
お金や権力を求めるのも、
自分の欲に対しての納得なのだろうし、
究極的には、生きるということの意味を、
知ることになるのかもしれません。
自分の人生を振り返ってみても、
なにに一番時間と労力を費やしてきたかと考えたときに、
やはり自分のなかの問いに対する納得だったように思います。
例えば8年程前に、田舎生活に窮し、
これからはネットビジネスを利用しない手はないと考え、
ホームページを作るということを覚えた。
しかし、ビジネスよりも、
ずっと興味のあったことを真剣にやってしまった。
その半分でも、お金儲けに費やしていればと、
少しは後悔したこともあったけど、
今は、ほんとうにそれでよかったと思っている。
それは、自分に対しての納得を得られたからだ。
しかし、まだまだ自分に対して納得させなければならないことはある。
これからも、それになによりも時間と労力をそそぐことになるのだろうと思う。
まだ書いちゃ駄目と王子に言われているのだけど、
自分の生き方であったり、思考を大きく変えたキッカケになったもの、
その存在に対する納得というものがある。
ありのまま書いたら、ドン引きされるかもしれないけれど、
いずれ書くと思います。
話は変わりますが、
少しまえに、超感性の持ち主であるA子さんからよい話を聞いた。
A子さんというのはとても世話好きで、
人に対してだけでなく、
動植物に対する愛情というのには関心させられるものがある。
知り合ったころ、従兄弟の方と熊野に遊びにいらしたとき、
玉置神社までクルマでお連れしたことがあった。
そのときに、林道脇から捨てられた老犬がヨロヨロとでてきて、
A子さんがクルマを止めてというので、
どうするのかと思ったら、老犬のもとに走りより、
地べたに座り老犬を抱きしめて、かわいそうだから連れて帰ると泣かれました。
確かに、連れて帰りたくなるほど、惨めでヨレヨレの老犬ではありました。
従兄弟の方が、そんな無理なことを言っても、
ヤゾーさんも困るだろうし、飛行機には乗せられないからと説得して、
持っていた食べ物を与え、老犬をそのままにしたことがありました。
後で話を聞いたら、随分と迷いネコやイヌを世話したり、
病院に連れていったりしているみたいでした。
動物病院の先生から、そんなことをしていたら、
きりがないよとまで、言われたそうです。
また、隣の家の木が切られることを知り、
いままで目の保養やらお陰をいただいていたのだからと、
お金を出して、木を移転させたこともあったようです。
そういうA子さんに、話を聞いてもらいたいということで、
紹介された老婦人から電話があったそうです。
その老婦人は、50年まえに子供をみごもったそうなのですが、
持病をかかえていたこともあり、
生めば命の保障はないと医者にいわれ、
家族の説得もあり、泣く泣く堕胎してしまい、
それ以来、子宝に恵まれることはなかったそうです。
そのことを、50年間、
真剣に悩み後悔し続けた人生であったようです。
そして、50年経ったいま、
はっきりと確信でき、自分に対して納得のようなものができたそうです。
あのときに、命がけで真剣に必死になって生んでおけば、
ご本人も赤ちゃんも無事であったであろうと。
人生、その場その場を、どれだけ必死に真剣に生きるか、
その積み重ねこそが、よりよい未来を築くのだと、
そのことを悟るための50年間であったということでした。
その話を聞いて、自分は恥じ入るばかりです。
