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My Sensibility - 最新エントリー

サンカかもしれない爺さんの話

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My Sensibility
執筆 : 
Ya(^z^)oo 2008-6-12 0:21
少しまえに、サンカではなかったかと思われる爺さんの話を、
地元の自然保護グループの人から聞いた。

サンカではなかったとしても、
一生を深い山で過ごし、炭を焼いたり鮎やウナギを獲ることを生業にしていたのだから、
極めてサンカに近い存在だったのではないかと思います。

その爺さんは、十年程まえに九十歳くらいで亡くなったそうですが、
恐ろしいくらい、山の自然に詳しかったそうです。

炭焼きで、紀伊半島南部の山々を転々としていたそうで、
どこどこには、どんな植物が生息し、
どんな虫がいて、どういう生態なのか、
また山に暮らすすべての動物の生態まで、
学者が愕然とするほどのことを知っていたみたいです。

あの爺さんは山のことならなんでも知っているという噂を耳にした学者が、
何度か訪ねてきては、山を案内したこともあったそうだ。

日本カモシカの調査に同行したことがあったそうで、
学者や学生が何日もかけて綿密に調べた結果をみて、
その爺さんが違うというので、
もう一度調べ直したら、
爺さんの言ったとおりの結果だったこともあったそうだ。

また、木の生息域を調べたときも、
学者よりも爺さんのほうが遥かに正確だったらしい。
自然は、学説とおりではなく、
多様性を持っているということを、
あらためて学者が学んだという話まで残っているそうだ。

そのときに爺さんが、
ワシらは山主から木を買うときに、お金になる木を知らなあかん。
そして、見積もったものより、ちょっと少なめに買うんや。
ちょっとだけ儲かったらええんや。
ようさん儲けたらあかんのや。
と言ったという話を聞いて唸ってしまった。

なにをしても、今だけ儲かったらよいというような、
愚かな考えは、微塵もなかったのかもしれません。

以前、テレビで見たのですが、
創業200年以上の企業は、
ダントツに日本が多く、3000社以上あって、
4000年の歴史を誇る中国でさえ、
10社にも満たなかったように記憶しています。

利を第一に求める企業でさえ、
その爺さんと通じる感性というか、
知恵を持っていたのかもしれません。

その爺さんが学者に語ったといわれる言葉があります。

山のことを知ろうと思ったら、
地べたに寝な、ほんまのことはわからんよ。

うん、サンカかも知れないと思いました。

記憶力や観察力、それにものの道理を知るという意味においては、
学者たちが舌を巻くほどのものがあったといわれる爺さんですが、
そういう無名の殆ど誰も知らない爺さんみたいな人が、
この国のあちらこちらに存在していたのかもしれないと思ったら、
嬉しいような寂しいような、複雑な思いがいました。
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気づきと犠牲

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My Sensibility
執筆 : 
Ya(^z^)oo 2008-5-31 18:18
人というものは、哀しく心を痛めるような犠牲がなければ、
気づきというものが得られないものなのでしょうか・・・?


一週間まえ、久しぶりに実家へ戻ったときに、
玄関の軒下にあるツバメの巣が落ちるということがあった。

実家へ戻って一時間ほどした日も暮れようとしているころ、
母親の呼ぶ声で玄関先にでたら、
コンクリートの地面に壊れた巣と生まれたばかりのヒナが五羽ころがっていた。

そのうえをオロオロとした様子の親ツバメが飛び回り、
母親もどうしたらよいのかと動揺していた。

とりあえず、ティッシュを持ってきて、
ヒナを拾い上げ、ティッシュペーパーで包んで、
どうしたものかと思案した。

まだ産毛も殆ど生えていない、弱弱しいヒナではあったけれど、
五羽のヒナは懸命に生きようとしているように思えた。

五羽のヒナを母親の掌にゆだねて、
小さなダンボールの空き箱を利用し、
手っ取り早く巣のようなものを作った。

そして脚立を持ってきて、元の巣があった近くに置いて、
そのうえにダンボールの巣を固定してみた。

親ツバメたちはその近くを、ずっと飛び回ってはいたが、
なぜかヒナには気づかない様子で、
ヒナのいる巣に戻ることなく夜を迎えた。

その夜、ヒナと親ツバメのことが気になってなかなか寝付かれなかった。
人に対してはあまり優しいとは思わないけど、
動物、特に鳥に対しては妙に優しいところがあるので激しく心が痛んだ。

なんの罪もないツバメのヒナと、
けなげに子育てをする親ツバメが、
不憫でかわいそうでならなかった。

そんなときに、ふと四川大地震のことが脳裏に浮かんだ。

物心がついたころから、
中国とフランスという国が妙に嫌いだったし、
心のどこかで中国での地震被害を歓迎するようなところがあったのかもしれないと思った。

しかし、被害にあって亡くなったり苦しんだりしているのは、
罪のない子供たちであったり、
弱者であったりするのだと、
そんな自分の愚かさに気づかされた。

王子が言うところの、『災い転じて福となす』ということを、
中国の上層部や民衆が真摯にうけとめ、
あらためてゆくことができたらよいのにと思った。

しかし、当初はよい感じではあったけれども、
また悪いものが先にでてきたような気もしないではない。

この期に及んでの物資の横流しや、
原子力関係の重要情報の隠蔽などもあるようだ。

言霊のおっさんからは、知り合った当初から、
神は、中国と北朝鮮という国は残さないと言っていると、
何度となく耳にしていた。

これ以上の罪のない善良な人たちや、
いたいけのない子供たちの犠牲を、
なんとか最小限に食い止めることはできないのだろうか。

そんなことを瞑目して思いを凝らすことで、
気づいたこともあった。

ミャンマーでのサイクロンに中国での四川大地震、
どちらの国も上層部は腐りきっていて、
僧侶や仏教徒を弾圧したという共通点がある。

そういうことから、仏罰や天罰だという意見も多いかもしれない。

それらの天災が、気象兵器や地震兵器によるものだとする説もあり、
例え人為的なものであったとしても、
宗教のかたちを変えたいという大自然=神の意志があったように思えてならない。

宗教も、かたちを変えなければ、
淘汰されるときにきているのだと思う。

尊い犠牲をはらうことによって、
不自然さや間違いに気づき、
そのことをあらため、進化するということを繰り返すのなら、
やがて日本にも大地震などの天災が起こり、
しばらくは混乱するようなことがあるように思う。

人々の想念というのは、とても強い力を持っている。
多くの人が、変化を求めているのも確かだ。

言霊のおっさんに訊ねてみたら、
日本の混乱に乗じて、悪さをしかねない国、
北朝鮮と場合によってはロシアが、
天災なり人災等により悪い意志や力がそがれたら、
そのときが近いかもしれんなあとのことでした。

しかし、尊い犠牲を最小限におさえることも可能なように思います。
それは、より早い気づきと、けなげさではないかと思えるのでした。

そんなことを思いながら、早くから起きて、
ツバメの巣がどうなっているか母親に訊ねてみると、
親ツバメたちはダンボールで造った巣の周りを飛び回るだけで、
ヒナのもとにはきていないようであった。

後悔しないためにも、できるだけのことはしたいとの思いで、
捨ててしまった壊れた巣を探し、
泥と藁を再利用し、今度は小さな竹篭をベースにしてあらたに巣を造り、
もとあった巣の近くにワイヤーで固定してみた。

そのときに、一羽のヒナをコンクリートの地面に落としてしまい、
あわてて拾い上げてみたが、かすかに生きている状態で、
虫の息という感じであった。

もっと細心の注意をもってしていればと後悔しつつ、
落としたヒナを巣に戻して、
なんとか新しく作った巣を軒下に固定することができた。

あたらしく造った巣には、親ツバメがくるようになり、
ヒナのうえに覆いかぶさって温めているようで、
少し安堵して、その日実家を離れた。

昨日、実家に電話して、ツバメがどうなったか訊ねたら、
二羽のヒナは下に落ちて死んでいたそうだ。

しかし、三羽のヒナは産毛も少し生えてきて、
なんとか成長しているようだと言っていた。

実家のツバメの災難でさえ、
これだけ心を痛め、心配するのだから、
家族を失った被災者の気持ちをおもんばかると、
また、いずれ起こるであろう日本での大地震のことを思うと、
辛いものがあります。

四日間の水と食料の備蓄は、
必要と思われます。

差別と区別 格付けする女たち

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My Sensibility
執筆 : 
Ya(^z^)oo 2008-5-10 18:19
区別はしてもよいけど、差別はしてはいけません。

差別するものには、区別する資格はないのです。

差別するものは、自ら器の小ささを表明しているようなものだし、
あらゆる面で、ふるいにかけられ淘汰される側にあると思われます。

また、被差別者側のもので、
差別を利用し、非道なおこないをするものに対しては、
一般社会のみならず、被差別者側からも、
強く糾弾され淘汰してゆかなければならないときにきていると思われます。

http://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10019962392.html

↑解放同盟の光と闇を知ったうえで、(闇の部分が大きいことは知りながらも)
いろんな場面で解同を擁護するような発言をしてきたけれど、
流石にこういうニュースが流れてからは擁護できません。

ちなみに、ヤクザついては、
健全なヤクザがあってこその、安全で楽しい日本という気がしています。
少々悪さをしても、むかしのヤクザは、随分と治安に貢献していたように思います。

同和団体もヤクザも、戦前戦後まもないころまでは、まだ理念や美学があったように思います。
水平社は崇高な理念を持っていたし、ヤクザにも任侠という美学がありました。
兄弟で、兄が解放運動の闘士、弟はヤクザの親分ということも多かったと聞いています。

理念と美学はどこへいってしまったんでしょうね。


2ちゃんねるなどによる、
差別心を煽るエタだのチョンだのという投稿に、
少なからず影響を受けている人たちも多いようです。

かくいうぼくも、2ちゃんねるの影響を受けて、
一時、嫌韓になってしまったことがありました。

日本人として、反日の中国や韓国のあり方は嫌悪を感じますが、
物事を掘り下げ、冷静に考えたら、
嫌いというより、“お粗末な”という思いがしてきましたし、
十把一絡にして差別したり嫌うことは、
もっとお粗末だといえるのかもしれません。

それにしても、80年代に韓国映画を中心に、
アジアの映画を集中して観ていた時期があり、
いまでも好きな映画のベストテンのひとつに、
アン・ソンギ主演の『神様こんにちわ』というのがあって、
半島系の人たちの情の深さという部分を知っているのにも関わらず、
嫌韓にしてしまう2ちゃんねるの影響力はすごいものがあります。

また、差別心を煽る投稿により、
傷つき、心を痛めている人も多いと聞いています。

どんなに成功者であっても、
差別発言を見聞きしたりすると、
気分が悪いを通り越して、
悲しくなるみたいです。
社会的弱者なら、なおさら辛いことだと思います。

たとえ言動には出さなくても、
心の奥に差別心が潜んでいたら、
そのことは、相手に伝わります。

マイノリティ出身者はそういうことに敏感です。

引きこもってネットばかりの生活では、
問題はないかもしれませんが、
社会に出て、いろんな人と関わりを持ってくると、
差別心は必ず自分自身に悪影響が出てくるように思います。

以前、運営していたサイトで交流を持った人たちと、
野史研究という勉強会のような会合に、
何度となく参加したことがありました。

その参加者のなかには、都内の高級住宅地に暮らし、
医師で収入も見た目もセレブという人や、
大阪の二代目オーナー社長の紳士がいましたが、
自分のルーツを、意地でも賤民にしたがるという、
面白い現象をまのあたりにしたことがありました。

普通は、マイノリティから成り上がって、
その出自を隠したがるというのはよくある話でしたが、
成り上がった何代目かに、その出自にロマンなり愛着を持つという現象が、
起こっているのだということを知り、
よい勉強になったと感じたことがありました。


根がおバカなので、どうも文章を書いていると、
違う方向へいってしまいがちになるのですが、
どうせなら、もっと違うことを書きます。

こんな山奥にも、ケーブルテレビというものが四月から開通し、
我が家で民放放送が見られるようになってしまいました。

もともと、大のテレビ好きだったので、
これはヤバイかもと思いながらも、
民放各社の番組を見回したところ、
ロンドンハーツの格付けする女たちという番組をみて、
こんな面白い番組があったのか〜と魅了されてしまいました。

それで、彼女たちは、なにゆえにああまで面白くて魅力的なのかと、
まじめに考え、分析してみたくなりました。

凝り性にして、探究心もあるほうなので、
過去の番組を可能なかぎり集めて、
二日間、ぶっ通しで過去三年間の番組を観てみました。

お笑い芸人が只者ではないことは、
なんとなくは知っていました。

芸能界やスポーツ界は、
実力の世界だといわれてきましたが、
実際には、環境に恵まれないと、
這い上がるのが難しくなってきたように思います。

そういう意味で芸人は、実力で這い上がれる、
数少なくなった分野なのかもしれません。

並みのヤクザじゃ歯が立たないだろうなと思うくらい、
根性も度胸もありそうなのがいますし、
普通だったら犯罪者になるか自殺しているだろうな、
というような境遇の人も多いような気がします。

人生、喜怒哀楽の振幅だとすると、
深い哀しみを内に秘めてるがゆえに、
ああまで笑いに転化することができるのかもしれません。

しかし、格付けで面白いと思ったのは、
男の芸人のでもなく、女芸人のでもなく、女子アナのでもなく、
タレント、女優、女芸人が集まる格付けなのでした。

男芸人のは、なんだか鼻につくものを感じさせるし、
女芸人のは、見ていて痛々しさを感じるし、
女子アナのは、中途半端という感じがして、
あまり笑えませんでした。

それほどまでに、タレント、女優、女芸人が集まった格付けは、
ぼくにとって、大笑いするほど面白く、とても魅力的で、
それぞれの女性に愛おしささえ感じさせるのです。

金子みすずではありませんが、
「みんなちがってみんないい」という思いがします。

どうしてなのだろう?

ヤンキー、天然、秀才、美女、ブサイクと、
それぞれがキャラも育ちも、てんでバラバラだけど、
各々がそれぞれのキャラを際立たせ、
うまく調和しているから面白いのかとも思いましたが、
それだけでなく、彼女たちには共通しているものがあるように思えてきました。

それがわかれば、
人生を、いや世の中を変えられるのではと、
おバカなぼくは思うのですが、

なんとなく、おバカ→白痴→真空 ではないかと直感しています。

白痴の【痴】って、なかなか意味深な漢字です。
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反日の理由

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Ya(^z^)oo 2008-4-29 19:17
在日コリアンであり、
今は帰化しておられる超感性の持ち主であるA子さんの言葉です。
海外での生活も体験され、白人男性とも結婚された経験もある方です。

中国人や韓国人が日本のことを悪く言うのは、
一言でいうとコンプレックスです。

嫉妬と憧れが入り乱れた複雑なコンプレックスとしか思えません。

ヨーロッパでもアメリカでも、
世界中どこへ行っても中国人と韓国人のうるささを見聞きしていると、
日本が立たなければ、どうしようもありません。

でもまあ、日本も戦争で中国や朝鮮には酷いことをしたからとぼくが言うと、
戦争とはそういうものです、いつまでも過去のことで、
ネチネチ言うのはみっともありませんという気性の人です。

まずは日本が立ち、それは世界のため、
和をもって貴しとなす、
かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂、
これが口癖でもあります。

こちらのページに大和魂についていいことが書いてありました

http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/yosida/syoin20.htm

ご本人もおっしゃっていますが、
精神はもののみごと大和魂の人です。

それと、日本の底力のようなものをおそれているということもあるのかもしれません。

よくよく考えると日本というのは不思議な国です。

東の果ての小さな島国で、国土の殆どは山に覆われ、
水や自然には恵まれているものの、
資源といえるものがあるわけでもなく、
それでいて鎖国されていた江戸時代にでさえ、
世界に類をみないほどの庶民文化を花咲かせ、
大雑把にいえば倭国大乱から戦国時代、幕末明治の動乱期から先の敗戦まで、
まるで切磋琢磨し、民度を高めるためのカリキュラムのような凝縮された歴史を有し、
戦後焼け野原状態から、僅か半世紀で世界第二位の経済大国へ、
そしていま、大きな潮流がおしよせている。

日本の底力とは、そういう歴史文化に育まれてきたものなのかもしれません。

戦後60年、日本人が骨抜きにされ、いくら劣化したといわれても、
ながきに渡って培われてきた底力というのは、
まだまだ根底に息づいていると思えます。

嫉妬するのも、ふたたび軍国主義にでもなればと、
おそれているのもわからないではありません。

また、古代より各地から様々な優秀な人たちが日本に辿りつき、
和をもって同化してきたことによる力というのも大きいように思います。

日本には一万年以上も続いた縄文時代というベースがあり、
そういう意味では、チベットとも共通しているのだと思いますが、
日本は海に囲まれ、チベットは高い山々に囲まれ、
どちらもアジアの古い血脈を残すことができたということがあると思います。

その古い血脈とは、もしかしたらムー大陸からのものなのかもしれないけれど、
そういうものが、日本の底力として、大きく関係しているのかもしれないと、
またまたオカルトトンデモに走りそうになるのですが、

ルーツや出自とかではなく、
大和魂を有したものこそを、
真の日本人と思いたいし、
また、日本という国体こそが、
政治的地政学的には、非常に難しい立場ではあるけれど、
真っ先に新しい意識に目覚めることのできる、
恵まれた環境にあるのではないかと感じています。
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いまさらあたりまえの話だと思うのですが、
人間なんのために生きているかと問われたら、
やはり納得するという一言になるのだろうと思います。

お金や権力を求めるのも、
自分の欲に対しての納得なのだろうし、
究極的には、生きるということの意味を、
知ることになるのかもしれません。

自分の人生を振り返ってみても、
なにに一番時間と労力を費やしてきたかと考えたときに、
やはり自分のなかの問いに対する納得だったように思います。

例えば8年程前に、田舎生活に窮し、
これからはネットビジネスを利用しない手はないと考え、
ホームページを作るということを覚えた。

しかし、ビジネスよりも、
ずっと興味のあったことを真剣にやってしまった。

その半分でも、お金儲けに費やしていればと、
少しは後悔したこともあったけど、
今は、ほんとうにそれでよかったと思っている。

それは、自分に対しての納得を得られたからだ。

しかし、まだまだ自分に対して納得させなければならないことはある。
これからも、それになによりも時間と労力をそそぐことになるのだろうと思う。

まだ書いちゃ駄目と王子に言われているのだけど、
自分の生き方であったり、思考を大きく変えたキッカケになったもの、
その存在に対する納得というものがある。

ありのまま書いたら、ドン引きされるかもしれないけれど、
いずれ書くと思います。

話は変わりますが、
少しまえに、超感性の持ち主であるA子さんからよい話を聞いた。

A子さんというのはとても世話好きで、
人に対してだけでなく、
動植物に対する愛情というのには関心させられるものがある。

知り合ったころ、従兄弟の方と熊野に遊びにいらしたとき、
玉置神社までクルマでお連れしたことがあった。

そのときに、林道脇から捨てられた老犬がヨロヨロとでてきて、
A子さんがクルマを止めてというので、
どうするのかと思ったら、老犬のもとに走りより、
地べたに座り老犬を抱きしめて、かわいそうだから連れて帰ると泣かれました。
確かに、連れて帰りたくなるほど、惨めでヨレヨレの老犬ではありました。

従兄弟の方が、そんな無理なことを言っても、
ヤゾーさんも困るだろうし、飛行機には乗せられないからと説得して、
持っていた食べ物を与え、老犬をそのままにしたことがありました。

後で話を聞いたら、随分と迷いネコやイヌを世話したり、
病院に連れていったりしているみたいでした。
動物病院の先生から、そんなことをしていたら、
きりがないよとまで、言われたそうです。

また、隣の家の木が切られることを知り、
いままで目の保養やらお陰をいただいていたのだからと、
お金を出して、木を移転させたこともあったようです。

そういうA子さんに、話を聞いてもらいたいということで、
紹介された老婦人から電話があったそうです。

その老婦人は、50年まえに子供をみごもったそうなのですが、
持病をかかえていたこともあり、
生めば命の保障はないと医者にいわれ、
家族の説得もあり、泣く泣く堕胎してしまい、
それ以来、子宝に恵まれることはなかったそうです。

そのことを、50年間、
真剣に悩み後悔し続けた人生であったようです。

そして、50年経ったいま、
はっきりと確信でき、自分に対して納得のようなものができたそうです。

あのときに、命がけで真剣に必死になって生んでおけば、
ご本人も赤ちゃんも無事であったであろうと。

人生、その場その場を、どれだけ必死に真剣に生きるか、
その積み重ねこそが、よりよい未来を築くのだと、
そのことを悟るための50年間であったということでした。

その話を聞いて、自分は恥じ入るばかりです。
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魂のいれかえ

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執筆 : 
Ya(^z^)oo 2008-4-3 15:48
言霊のおっさんと知り合って数年したころ、
顔の感じがなんというか一皮剥けてスッキリしたというのか、
随分と人相が変わったことがあった。

まあ、それでも充分に胡散臭い顔ではあるのだけど。

そんな言霊のおっさんに、顔がましになったねと言ったら、
わかるか、魂のいれかえをしたのじゃと返してきた。

魂をいれかえたって???

それはいったいどういうことなのだろう。
またまた面白いことを、真剣な顔で言っちゃったりしてとも思ったが、
確かに、不思議なくらい人相が変わったのは確かだった。

なんでも、背骨には太古からの記憶が記録されていて、
脳の松果体なんかには、神の記憶みたいなものもあるらしい。

しかし、そのなかには進化(神化)を妨げる記憶(遺伝子)がたくさんあって、
まず、そういうものを浄化し、消去(修正)するのだそうだ。

そこで言霊と、それを補うエネルギーのようなものとして、
特別に用意された塩を使うのだそうだ。

その浄化が済んで、あらたに高い次元の情報といれかえることを、
魂のいれかえという言い方をしているようだった。

背骨をパソコンのハードディスクに例えたなら、
一度クリーンフォーマットして、
新しいシステムにいれかえるようなものなのかもしれない。

そして、脳や松果体をCPUとしたなら、
あたらしいシステムが問題なく動作するように、
クロックアップさせたりメモリーの容量を増やすことなのかもしれない。

また、いままでは精神や肉体が100ボルトの電気エネルギーで活動していたとして、
これからは300ボルトになりますよってことで、
魂をいれかえることによって、
300ボルトでも支障なく健全な活動ができるということなのかもしれない。

そんな時代がきているような気がしないでもない。

ぼくの記憶違いやら、理解力の欠如から、
言霊のおっさんの言ったことを正確に伝えていないような気もしますが、
大体、そういうニュアンスだったと思います。

そのおっさんのいう言霊に限らず、
なにかを境にして、
思考や行動が変わることはあると思う。

ぼくの場合はそれが夢だったりした。

変わるきっかけは、それこそシンプルな気づきであったりと、
人それぞれいろんなパターンがあってよいのだと思う。

ダライ・ラマ

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執筆 : 
Ya(^z^)oo 2008-3-20 16:07
親しい知人が、ダライ・ラマ14世の講和会にいって、
すぐ目の前でしばらく話を聞いたことがあります。

勿論、それなりのお金を払ってのことだと思います。

特に信奉者というわけではないみたいですが、
ちょっと高いディナーショーに行ったようなものだとおっしゃっていた。

宗教的オーラというよりも、したたかさや奥深さ、
それによい意味でヤクザの親分、侠客のようなオーラを感じたそうだ。
声が渋くてユーモアもあり、とても魅力的だったともおっしゃっていた。

ぼく自身も、宗教者というより、
人として、ダライ・ラマ14世には好感を持っている。
チベットを背負った難しい立場にあって、思慮深く対処する姿は、
宗教者、政治家を越えた凄みのようなものさえ感じる。

そのダライ・ラマ14世に対し、中国政府は人の皮を被った悪魔だという。
また、中国こそが正しい、ダライ・ラマは宗教を装って中国分裂を狙っていると、
世界に向けてアピールしているようだ。


少年の頃のダライ・ラマ14世を描いた映画に
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』【Seven Years in Tibet】というのがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88

またチベットの高僧を描いた映画に『リトル・ブッダ』【LITTLE BUDDHA】というのがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80


そういう映画を通して、チベットやダライ・ラマに興味をいだいた人も多いと思う。
また、リチャード・ギアやイザベル・アジャーニなどの有名人のなかにも、
ダライ・ラマ14世を熱心に支援している人が多い。

中国政府は、自ら墓穴を掘るようなことを世界に向けてアピールしてしまったようだ。


二十代の頃、とてもチベットに憧れていた時期があって、
都内で行われたチベット僧による儀式に、
参加見学したことがあった。

そのときに、同じ年頃の青年層と言葉を交わさない交流があり、
お昼に中華ソバを美味しそうに食べていたのを見て、
妙な驚きと親近感を覚えたことがあった。

あの純粋に澄んだ瞳の青年層たちが、
無事に生きていて欲しいと心から願う。

ぼくは胡 錦濤をはじめてみたときから、
未来少年コナンのレプカを連想してしかたがない。
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山窩の唄 秘められた日本の深層

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My Sensibility
執筆 : 
Ya(^z^)oo 2008-3-8 19:08
日本一のサンカマニアのTさんから久しぶりに電話がありました。

すごいものみつけたよ、
戦前の宝塚歌劇団の『山窩の唄』と題された歌を発見したと、
すぐに添付メールで聴けるようにして送ってくれました。

録音が古くて、歌詞がかわかりづらかったけど、
なんども聴いているうちに、素晴らしい詩であることがわかった。

『星の導くまま〜 風の導くまま〜』

うん、まさしく漂泊の民・サンカを歌ったものでした。

そういえば、宝塚歌劇団出身の越路吹雪さんの本に、
父親がサンカ出身者だと書いてあったような気がするのですが、
宝塚歌劇団だって、どこかサンカの匂いがしないでもありません。

教えてくれたTさんだって、
自らサンカの末裔を公言している不思議な人で、
サンカの本も書いている。

某有名報道番組にて敏腕ディレクターとして活躍し、
今は報道番組でデスクを務めている。

ぼくが運営していたサイトで知り合ってから、
一緒に本物のサンカを訪ねたりして、
二度ほど居候までさせていただいた。

一緒に生活して、その人となりを見てきたが、
東大出のエリートとしては、
かなり珍しいタイプの貴重な存在だと思う。

将来、報道のあり方を変えてくれるのではと期待しています。

さて王子がマスコミタブーとして、
同和や在日のことを書いてくれていましたが、
サンカも、またタブーなのかもしれません。

というより、この国にとって、
最高のタブーたったりするのかもしれない。

ベンジャミン・フルフォードさんの講演会の様子を、
グーグルビデオで見ることができますが、

http://video.google.com/videoplay?docid=-3859363222910740882&hl=en

18分45秒くらいの竹中平蔵氏についての話のなかで、
一度だけサンカという言葉が登場してきます。

しかし、その後の講演会の様子を何度も聞くのですが、
同じ話のなかでサンカという言葉が二度とでてこなくなりました。

どうしてなんでしょう?
なんか気になるなあ。

たんにサンカという存在がマイナー過ぎて、
わからない人が多いから言わなくなっただけならいいけどなぁ。

サンカの存在が、よい意味で公なもの、メジャーな存在になったなら、
同和や在日のあり方を、闇から光へと導ける可能性があるのではと予感しているのに、
サンカが闇の力の方が強かったら、なんかがっかりだなあとか思ってしまいます。

サンカには、またその生き方には、
人として美しいもが秘められているような気がしてならないのです。

マイノリティは悪く利用されやすいというとことに、
悲哀を感じたりしますが、
それにどっぷり浸かっている愚か者も多いのは確かで残念なことです。

マイノリティとなった歴史も経緯も違う同和と在日を、
同じように述べるのは問題があるとは思いますが、
細かく書いてゆくとキリがないのでご了承ください。

ぼくにも間違いなく、エタ系かヒニン系かまではっきりしませんが、
同和の血が流れていますし、
サンカの血も確実に流れていると信じています。

かといって、血に拘っているわけでもなく、
その精神に惹かれているのだと思います。

韓国や在日の人のなかには、えらく血に拘った人が多いように感じているのですが、
日本人は基本的には血には拘っていないように感じています。

親しい在日の人の話では、親や親類たちの多くが、
自分たちの先祖は両班(ヤンバン)だというのだそうですが、
ぼくがどちらかというと白丁(ペクチョン)の可能性の方が高いのではないですかと言ったことを、
そのまま親に話たら無茶苦茶怒られたと言ってました。

先祖なんて、七代も遡れば128人も存在することになりますし、
様々な階級、職業の人がいるでしょう。

日本の場合、上層部と下層部、貴賎がシャッフルしやすいという、
また意図的にシャッフルさせているというところに、
この国の強さというか、奥深さが隠されているのかもしれません。

同和だって、在日だって、サンカだって、かのユダヤ人だって、
闇の領域の人もいれば、光に向かっている人もいるのは、
当たり前のことであって、
王子がいうところの、
『差別するものも最低ならば、差別を利用するものも最低』
という言葉に尽きるのかもしれません。

少し意図するところと違ったことを書いてしまいましたが、
大英帝国の首相を務めたベンジャミン・ディズレリの言葉に

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AA

『世界は、舞台裏をのぞいたことのない人間には、
全く想像もできない人物によって支配されている』

とういのがありますが、

日本の場合、支配というより、
密かに日本を守り、導いてきた存在というものがあるのではないかと、
強く思うことがあります。

期待したいです。
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岩笛(いわぶえ)

カテゴリ : 
My Sensibility
執筆 : 
Ya(^z^)oo 2008-2-29 21:21
日本各地の縄文遺跡から発見される岩笛

大自然が穴をあけた自然石に 人間が息吹を吹き込みことで音を奏でる

それは大自然(神)のエネルギーを沸き起こすかのような不思議な音色をしている

神社などで岩笛を吹くと 祭神などが喜ぶという

それは『神の根源』と繋げる力が秘められていて

本来の使命を悟り 清められるからなのかもしれない

いわゆる鎮魂帰神というものだろう

問題は 吹く人の意識レベルなのだろうと思うが

岩笛の音には音霊ともいえる力が秘められていると思う


それにしても アポリジニのように
太古からのアニミズム的な感性を継承しつつ
世界に冠たるハイテク技術を持つ日本というのは
とんでもなく素晴らしいものを秘めた国なのかもしれない
どこか自然の綺麗なところへ岩笛をひろいにいきたくなりました

岩笛・石笛

http://iroha-japan.net/iroha/D05_instrument/01_iwabue.html

岩笛とは何か

http://www.nippon-bunmei.jp/iwabue.htm
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精神世界には興味はありました。
ヨガなんかも少しはかじったことはありましたが、
今の時代は修行だとか、宗教団体に属することが、
かえって神意から遠のくような気がしていました。

私も、ありとあらゆる団体、組織をつくった時点で、
『悟り』のようなものから人は遠ざかっていくと考えています。
“目覚めた個人同士”の“群れない絆”が、 もっとも尊く、強いものだとも、以前より確信しています。

http://www.kumanolife.com/BrotherSunSisterMoon/kototama0.html

(自然の中へ、そして心の中へ!から一部抜粋)

これは、王子(陰謀王子さん)と知り合って、
それほど経っていないころのメールのやり取りで、
知人の言霊のおっさんの話を書いたものの一部です。

ティルムン・ネットを立ち上げた経緯でもあるのですが、
王子の文章をメールというかたちで、
自分だけ読むのはもったいないという思いがありました。

教わることも多く、
自分とも重なる思いを見事に表現してくださり、
また、わが国という言葉の響きに、
王子と呼ぶに相応しいものを感じたりしていました。


親しくさせていただいている方に、
天才的な感性の持ち主であるA子さんという人がいます。
このお方、本人が油断していると、なにかの教祖に祭り上げられそうな、
そんな資質をお持ちの方だったりします。

A子さんとはじめてお会いしたのは、
自分が運営していたサイトを通じて知り合った方と一緒に、
熊野に遊びにいらしたときのことでした。

三人で楽しく一時間ほど話をしたときに、
この辺りに旅館か民宿の売り物がないかしらとおっしゃられるので、
どうしてですかと訊ねたら、弥三さんに買ってあげようかと思ってと、
真顔で言うような不思議な人でもあります。

そういうことがありながらも、
ぼくはまだまだボンビーさんなのでありますが、
そのA子さんとの会話のなかで、
王子とのメールのやり取りの話があり、
本人はまったくネットはしないのにも関わらず、
ネットの可能性を強く感じていて、
費用一切を提供しますから、王子の文章とぼくの感性をいかしたものを、
立ち上げてみてはどうですかということで、
三人の意思がひとつとなり発足したような経緯がありました。

そういうことで、
ぼくのなかで、王子とA子さんというのは、
とても影響力のある人だったりするのですが、
もうひとり、なんとも判断しかねる、
言霊のおっさんというのがあります。

この言霊のおっさんと知り合ってから、
かれこれ七,八年くらい経つのでしょうか、
途中、罵り合いをして、
一、二年程、まったく接触がなかったこともありました。

五年くらいまえに、言霊のおっさんが、
山の中の斎場と霊園がセットになったようなところで、
深夜ひとり守衛をやっていたときのことです。

田舎の斎場というのは、民家から随分と離れたところにありますが、
そこへ深夜に話を聞きに何度か出かけていったことがありました。
自分でも物好きなやつだと思います。

何度目かのときに、言霊を降ろすということを、
体験させられました。

守衛室のなかの一メートル四方くらいの場を清め、
向かい合って、質疑応答のようなかたちで、
ノートに鉛筆で文字を書かされました。
簡単に言うと、自分の長所と短所みたいなものから書いてゆくのですが、
自分のなかからでてきたものでなく、
神に聞いて書いてみろと言われました。

そのときに、とても微妙なものだったと思いますが、
自分のなかからでてきたと思われる言葉を書くと、
違うと言われ、
上から降りてきたような気がする言葉を書くと、
そうだと言われるのを繰り返したように記憶しています。

そういった繰り返しのなかで、
これは確かに上から降りてきた言葉だというような、
感覚というのか、確信めいたものを感じることができました。

そのへんの感じを、学がないので上手く表現できないもどかしさがありますが、
もっとも、中途半端に学があると、余計に表現できないものなのかもしれません。
言葉で表現すると、納得という言葉が近いのかもしれません。

ぼくがたんにアホなだけかもしれませんが、
この言霊のおっさん、もしかしたら、
とても次元の高いことを言っているのかも知れないと、
思わせるものが確かにあります。

なにが凄いと思わせるかというと、
どんなに唸るようなことを言おうが、
けっして尊敬できないパーソナリティの持ち主であり、
そこに神意さえ感じさせるのです。

そのことをA子さんに話すと、
なんて素晴らしいの、これからの宗教のかたちかもしれませんねと、
うれしそうに聞いていらっしゃいました。

そのときのやり取りを、言霊のおっさん本人に言うと、
ふぉふぉふぉと不気味な顔で笑い、
師匠にも同じようなことを言われたとほくそえんでいました。

褒めてないちゅうねん!と突っ込んどきましたが。

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