My Sensibility - 最新エントリー
ヒラリー・クリントンの演説を見てたら、
極道の妻たちのシリーズで、
好きな俳優だった成田三樹夫のセリフが思い浮かんだ。
『雌鳥うとたら家滅ぶちゅうやっちゃあ わかってんのかあ』
主にヤクザ映画なんかの脇役だったが、
味も深みもある俳優だった。
成田三樹夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%A8%B9%E5%A4%AB
ヒラリーさんの顔を見ていると、
なんていうか、利口なだけの、
なんて深みのない顔をしているのだろうと思った。
極道の妻たちのシリーズで、
好きな俳優だった成田三樹夫のセリフが思い浮かんだ。
『雌鳥うとたら家滅ぶちゅうやっちゃあ わかってんのかあ』
主にヤクザ映画なんかの脇役だったが、
味も深みもある俳優だった。
成田三樹夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%A8%B9%E5%A4%AB
ヒラリーさんの顔を見ていると、
なんていうか、利口なだけの、
なんて深みのない顔をしているのだろうと思った。
不思議な話です。
少し前に、知人の言霊のおっさんから、
肩甲骨のことを、コンコンと聞かされたことがありました。
そしたら王子が肩甲骨について文章を書いてくださっていたので、
トンデモと言われそうですが、
そのときのやり取りを思い出して、
聞いたこと、感じたことを、
ありのまま書いてみました。
http://tirmun.net/prince+index.p+75.htm
肩甲骨って、何のためにあるか知ってるか!
さあ、ある意味、甲羅のような役割でもあるのかな?
そうじゃ、邪気や人の悪い想念から、からだを守っているのじゃ。
わしの肩甲骨は大きいから、おなじ言霊を勉強している人から、
大きいからええなぁと言われたが、そうではない。
大きさより、よく動き、子供のように、柔らかなのがよいのじゃ。
肩甲骨の裏の方に、フジツボのように邪気が溜まるのじゃが、
動かすことで、溜まった邪気を落とすことができるのじゃ。
ほぉ〜、そういえば、ヒクソン・グレイシーなんか、
肩甲骨をガバッと飛び出すような体操しているのを見たことがあるなぁ。
戦国時代の武将なんかも、おなじような体操をやっておったな。
古武道でも、肩甲骨を動かすことを推奨しているのと違うか。
確かに、肉体的にみても、肺や心臓のある急所をガードしているし、
また、後ろ指を指されるという言葉もあるくらいだから、
邪気の類も後ろから入ってくるのかもしれないなぁ。
それと、肩甲骨と骨盤は陰と陽で一対になっていて、
歩くことで骨盤が動き、肩甲骨も柔らかくなるものなのじゃ。
とにかく肩甲骨が固まってしまうこがよくないのじゃ。
ふ〜ん、まあ健康コツというくらいだから、
健康と深い関係があるのは確かみたいだね。
それにしても、そこまで知っているのに、
どうしてウエストが110センチもあんの?
ほっとけ!
というようなやり取りがあったのでした。
少し前に、知人の言霊のおっさんから、
肩甲骨のことを、コンコンと聞かされたことがありました。
そしたら王子が肩甲骨について文章を書いてくださっていたので、
トンデモと言われそうですが、
そのときのやり取りを思い出して、
聞いたこと、感じたことを、
ありのまま書いてみました。
http://tirmun.net/prince+index.p+75.htm
肩甲骨って、何のためにあるか知ってるか!
さあ、ある意味、甲羅のような役割でもあるのかな?
そうじゃ、邪気や人の悪い想念から、からだを守っているのじゃ。
わしの肩甲骨は大きいから、おなじ言霊を勉強している人から、
大きいからええなぁと言われたが、そうではない。
大きさより、よく動き、子供のように、柔らかなのがよいのじゃ。
肩甲骨の裏の方に、フジツボのように邪気が溜まるのじゃが、
動かすことで、溜まった邪気を落とすことができるのじゃ。
ほぉ〜、そういえば、ヒクソン・グレイシーなんか、
肩甲骨をガバッと飛び出すような体操しているのを見たことがあるなぁ。
戦国時代の武将なんかも、おなじような体操をやっておったな。
古武道でも、肩甲骨を動かすことを推奨しているのと違うか。
確かに、肉体的にみても、肺や心臓のある急所をガードしているし、
また、後ろ指を指されるという言葉もあるくらいだから、
邪気の類も後ろから入ってくるのかもしれないなぁ。
それと、肩甲骨と骨盤は陰と陽で一対になっていて、
歩くことで骨盤が動き、肩甲骨も柔らかくなるものなのじゃ。
とにかく肩甲骨が固まってしまうこがよくないのじゃ。
ふ〜ん、まあ健康コツというくらいだから、
健康と深い関係があるのは確かみたいだね。
それにしても、そこまで知っているのに、
どうしてウエストが110センチもあんの?
ほっとけ!
というようなやり取りがあったのでした。
朝起きたら、まずテレビのスイッチを入れ、
布団の中でまどろみながら、しばらく音声を聞くのが日課です。
今朝は、猿だんごという面白そうなニュースの音声が流れていた。
サルで団子でも作るのか、不味そうだな、とかボケながら、
目を開けて画面を見たいという衝動にかられながらも寝て聞いていた。
なんでも寒さが厳しくなると、サルがだんごのような塊になるのだそうで、
より寒いときのほうが、塊も大きなものとなるのだそうだ。
サルの数が増えるほうが、より温かいのだろう。
その話をイメージしたら、自分もサルになったようなきがして、
余計に布団に包まってしまった。
確か小豆島のサルの話だったと思う。
他所のサル山でも、おなじようにサルだんご現象が見られるが、
せいぜい10匹前後の塊であり、
小豆島のは多いときで100匹くらいの塊になるのだそうだ。
研究者の話によると、比較的に仲のよい群れで、
群れのなかの上下関係が緩やかだからだろうとのことであった。
人間社会も、上下関係が緩やかなほうが、
助け合いの和が大きいのかもしれない。
そういえば、むかし読んだ本に、
自殺しようとした男が、真冬に深い山に入っていったが、
猿が集まってきて体を温めてくれたので死に切れず、
しばらく猿と一緒に生活したという男の話を思い出した。
猿と同じものを食べ、猿のように動くことで、
体も心も軽くなり、いつしか死にたいという思いも消えうせ、
猿のように身軽になった。
そのうちに、もしかしたら鳥のように生きたら、
空を飛べるのではないかと考え、
何年も何年も鳥を観察し続けた。
飛ぼうとして、何度も高い木や崖から落ちるが、あきらめなかった。
ある夜、空を飛んでいる夢を見て、
ふと目を覚ますと、飛んできたとしか思えない場所であった。
布団の中でまどろみながら、しばらく音声を聞くのが日課です。
今朝は、猿だんごという面白そうなニュースの音声が流れていた。
サルで団子でも作るのか、不味そうだな、とかボケながら、
目を開けて画面を見たいという衝動にかられながらも寝て聞いていた。
なんでも寒さが厳しくなると、サルがだんごのような塊になるのだそうで、
より寒いときのほうが、塊も大きなものとなるのだそうだ。
サルの数が増えるほうが、より温かいのだろう。
その話をイメージしたら、自分もサルになったようなきがして、
余計に布団に包まってしまった。
確か小豆島のサルの話だったと思う。
他所のサル山でも、おなじようにサルだんご現象が見られるが、
せいぜい10匹前後の塊であり、
小豆島のは多いときで100匹くらいの塊になるのだそうだ。
研究者の話によると、比較的に仲のよい群れで、
群れのなかの上下関係が緩やかだからだろうとのことであった。
人間社会も、上下関係が緩やかなほうが、
助け合いの和が大きいのかもしれない。
そういえば、むかし読んだ本に、
自殺しようとした男が、真冬に深い山に入っていったが、
猿が集まってきて体を温めてくれたので死に切れず、
しばらく猿と一緒に生活したという男の話を思い出した。
猿と同じものを食べ、猿のように動くことで、
体も心も軽くなり、いつしか死にたいという思いも消えうせ、
猿のように身軽になった。
そのうちに、もしかしたら鳥のように生きたら、
空を飛べるのではないかと考え、
何年も何年も鳥を観察し続けた。
飛ぼうとして、何度も高い木や崖から落ちるが、あきらめなかった。
ある夜、空を飛んでいる夢を見て、
ふと目を覚ますと、飛んできたとしか思えない場所であった。
テレビ番組『たかじんのそこまで言って委員会』にて、
スピリチュアルブームを取り上げていたをみました。
殆どの出演者が、視聴率が取れるからという安易な理由で、
占い師や霊能者を持ち上げるかのようなマスコミのあり方や、
そういう番組に出演している人たちを批判していました。
中には呼び捨てで、テレビ出演している占い師や霊能者のことを、
詐欺師呼ばわりしている者もいました。
テレビ出演している占い師や霊能者を批判することは、
まあ仕方がないとして、仏教者だという評論家まで、
霊の存在など、科学的に検証できないからという理由で、
すべてを否定することは危険だと思いました。
頭でっかちになった知識人ほど、目の前で摩訶不思議な現象を起こされると、
コロッと騙されてしまうような気もしますし、
視聴者に対し、悪い影響を与えてしまうような気もします。
オーム事件でも、エリートと呼ばれるような信者が、
教団内で大きな影響力と役割を担っていたことは記憶に新しいのに、
そこから何も学んでいないのかと残念に思います。
世の中には、摩訶不思議な能力を有した者は、確実に居ます。
当人が忘れているようなことまで、言い当てる人や、
不思議な現象を体験させてくれる人も居たりします。
しかし、その能力と次元は別の話だということを肝に銘じておかなければなりません。
次元の低い能力者に振り回されるほど、不幸な人生はありません。
知人から、テレビ出演している霊能者をどう思うかと訊ねられたことがありましたが、
ネット上の情報だけで、どうこう言うことはできないから、
一応、一通りの出演している番組を見てから答えました。
言っていることは、間違っていないと思う。
しかし、けっして次元は高いとは思わない。
ほんとうに前世やオーラが見えていると思うか?
見えている場合もあるかもしれないけど、
演出していることも多いかもしれないね。
じゃ前世やオーラが見えるなんて、
やっぱりすごいんだ!
そりゃ、話術は一流だし、カウンセリング能力も高そうだし、
お金もいっぱい稼いでそうで偉いよね。
問題は、人の前世が見えたり、オーラが見えることが偉いのではなく、
どれだけ、人のためになるか、次元を高める方向へ導けるかだと思うよ。
ほんとうに次元が高かったら、霊感商法なんかに、利用されないはずだから。
しかし、占い師はマトモなことを言い、
霊能者は人間の本質的な部分を教えといたのですから、
役割という意味では立派だという気もします。
後は身の引き際をどうするかなのかもしれません。
ここでちょっと良い話をひとつ。
(人によっては、なにをバカなことをと言われそうですが)
生きている人の念、いわゆる生霊というやつですが、
これが思いのほか強い影響力があるということを、
体感している人も増えてきていると思います。
芸能界なんて、すさまじい生霊の渦だったりするのでしょうが、
スターになれるような人の中には、妬みや嫉みの念を受けても、
はねとばしたりする力があったりするようです。
しかし、その代わりに、子供や家族に生霊の影響がでたりするみたいです。
そして、念を飛ばした人間にも、同じように悪い影響がでたりします。
人を呪わば穴ふたつとは、よく言ったものだと思います。
だけど、理不尽なことや、腹の立つことが多い世の中にあって、
どうしても人に対して悪い念を飛ばしたくなることも多々あると思います。
そんなときには、神に向かって怒りの念を発するのだそうです。
こんなしょうもないことをしおって、なんとかせんかいと。
神ならば、人の発した悪い念を浄化するので、返ってこないものなのだそうです。
知人の言霊のおっさんに聞いた話なのですが、
どうも真実のような気がしています。
最後に、霊能者という響きは、あまり好きではないのですが、
現実の生活を見据えたうえで、霊的なものや、根源的なものに対する感性を育ててゆかないと、
人間として、ほんとうの意味での質的な向上ができないような気がしています。
スピリチュアルブームを取り上げていたをみました。
殆どの出演者が、視聴率が取れるからという安易な理由で、
占い師や霊能者を持ち上げるかのようなマスコミのあり方や、
そういう番組に出演している人たちを批判していました。
中には呼び捨てで、テレビ出演している占い師や霊能者のことを、
詐欺師呼ばわりしている者もいました。
テレビ出演している占い師や霊能者を批判することは、
まあ仕方がないとして、仏教者だという評論家まで、
霊の存在など、科学的に検証できないからという理由で、
すべてを否定することは危険だと思いました。
頭でっかちになった知識人ほど、目の前で摩訶不思議な現象を起こされると、
コロッと騙されてしまうような気もしますし、
視聴者に対し、悪い影響を与えてしまうような気もします。
オーム事件でも、エリートと呼ばれるような信者が、
教団内で大きな影響力と役割を担っていたことは記憶に新しいのに、
そこから何も学んでいないのかと残念に思います。
世の中には、摩訶不思議な能力を有した者は、確実に居ます。
当人が忘れているようなことまで、言い当てる人や、
不思議な現象を体験させてくれる人も居たりします。
しかし、その能力と次元は別の話だということを肝に銘じておかなければなりません。
次元の低い能力者に振り回されるほど、不幸な人生はありません。
知人から、テレビ出演している霊能者をどう思うかと訊ねられたことがありましたが、
ネット上の情報だけで、どうこう言うことはできないから、
一応、一通りの出演している番組を見てから答えました。
言っていることは、間違っていないと思う。
しかし、けっして次元は高いとは思わない。
ほんとうに前世やオーラが見えていると思うか?
見えている場合もあるかもしれないけど、
演出していることも多いかもしれないね。
じゃ前世やオーラが見えるなんて、
やっぱりすごいんだ!
そりゃ、話術は一流だし、カウンセリング能力も高そうだし、
お金もいっぱい稼いでそうで偉いよね。
問題は、人の前世が見えたり、オーラが見えることが偉いのではなく、
どれだけ、人のためになるか、次元を高める方向へ導けるかだと思うよ。
ほんとうに次元が高かったら、霊感商法なんかに、利用されないはずだから。
しかし、占い師はマトモなことを言い、
霊能者は人間の本質的な部分を教えといたのですから、
役割という意味では立派だという気もします。
後は身の引き際をどうするかなのかもしれません。
ここでちょっと良い話をひとつ。
(人によっては、なにをバカなことをと言われそうですが)
生きている人の念、いわゆる生霊というやつですが、
これが思いのほか強い影響力があるということを、
体感している人も増えてきていると思います。
芸能界なんて、すさまじい生霊の渦だったりするのでしょうが、
スターになれるような人の中には、妬みや嫉みの念を受けても、
はねとばしたりする力があったりするようです。
しかし、その代わりに、子供や家族に生霊の影響がでたりするみたいです。
そして、念を飛ばした人間にも、同じように悪い影響がでたりします。
人を呪わば穴ふたつとは、よく言ったものだと思います。
だけど、理不尽なことや、腹の立つことが多い世の中にあって、
どうしても人に対して悪い念を飛ばしたくなることも多々あると思います。
そんなときには、神に向かって怒りの念を発するのだそうです。
こんなしょうもないことをしおって、なんとかせんかいと。
神ならば、人の発した悪い念を浄化するので、返ってこないものなのだそうです。
知人の言霊のおっさんに聞いた話なのですが、
どうも真実のような気がしています。
最後に、霊能者という響きは、あまり好きではないのですが、
現実の生活を見据えたうえで、霊的なものや、根源的なものに対する感性を育ててゆかないと、
人間として、ほんとうの意味での質的な向上ができないような気がしています。
朝の連ドラ『ちりとてちん』がおもしろい。
役者もそれぞれがよい。
芸能界一喧嘩が強いといわれ、
親分衆からも太鼓判を押された渡瀬恒彦が落語の師匠というキャスティングも、
若手の俳優たちに緊張感をもたらしているような気がするし、
それでいて現場の雰囲気のよさも伝わってくるドラマだと思う。
ガラにもなく、十代のころから落語が好きだった。
一時期、テレビによく出演していた桂枝雀をよく聞いていたし、師匠の米朝もよく聞いた。
一通り上方落語を聞いて、江戸落語も少しは聞いた。
そういうことを思い出したら、桂枝雀の『幽霊の辻』『戻り井戸』というのが、
もう一度、見たくて聞きたくて仕方がないようになった。
枝雀の落語は、和芸だけでなく、表情やアクションがとても印象深く残っている。
記憶を辿ると『幽霊の辻』というのは、
急ぎの手紙を届ける飛脚が、
日暮れ近くに峠の茶屋の婆さんに道を訊ねるところから始まったように思う。
目的のの村に行くまでに、水子池を通り、獄門地蔵を通りと、
ポイントとなる、いわくありげな場所と、
それぞれにまつわる怖い話をして飛脚をビビらすという、
親切そうな、そうでもないような婆さんと、
威勢がよいが気の小さな飛脚との話であったと思う。
『戻り井戸』とうのは、
酒癖の悪い男が、田舎の野井戸に落ちてしまい、
そこで目を覚ますところから始まったように思う。
田舎の爺さんとその息子に助けられるのだが、
落ち着かせるのに、その男に酒を飲ませてしまう。
その酒癖の悪い男は上機嫌となり、
はじめのうちは、田舎の人は親切で、都会は人の住むところではない、
田舎こそが、人の暮らすところだといったお世辞を言うのだが、
段々と酒がまわるにしたがい、
そこの息子の奥さんの顔をイノシシみたいだといい、
都会は便利で、田舎は人の住むところではない、
テレビもないから、そんなイノシシみたいな奥さんとでも、
子供がたくさんつくれるのだろうとか、
言いたい放題ボロクソ言ったあげく寝てしまうのである。
怒らずに聞いていた親切な爺さんとその息子は、
寝てしまった酒癖の悪い男を、
再び野井戸に掘り込むという話だったように記憶する。
書けば、それだけの話だけど、
二十年近く経っても覚えているのだから、
よぽどおもしろかったのだろう。
落語に限らず、永く残され、伝えられてきたというものは、
自然淘汰されなかったということであり、
特に庶民の素直な思いによって残されてきたものには、
なにか神の意思さえ感じさせる。
しかし、あまりよいとはいえない思惑で残されてきたもの、
例えば宗教、思想、国家権力的な思惑で人を支配するというようなものは、
そろそろ自然淘汰されてゆきそうな気がする今日この頃なのでした。
役者もそれぞれがよい。
芸能界一喧嘩が強いといわれ、
親分衆からも太鼓判を押された渡瀬恒彦が落語の師匠というキャスティングも、
若手の俳優たちに緊張感をもたらしているような気がするし、
それでいて現場の雰囲気のよさも伝わってくるドラマだと思う。
ガラにもなく、十代のころから落語が好きだった。
一時期、テレビによく出演していた桂枝雀をよく聞いていたし、師匠の米朝もよく聞いた。
一通り上方落語を聞いて、江戸落語も少しは聞いた。
そういうことを思い出したら、桂枝雀の『幽霊の辻』『戻り井戸』というのが、
もう一度、見たくて聞きたくて仕方がないようになった。
枝雀の落語は、和芸だけでなく、表情やアクションがとても印象深く残っている。
記憶を辿ると『幽霊の辻』というのは、
急ぎの手紙を届ける飛脚が、
日暮れ近くに峠の茶屋の婆さんに道を訊ねるところから始まったように思う。
目的のの村に行くまでに、水子池を通り、獄門地蔵を通りと、
ポイントとなる、いわくありげな場所と、
それぞれにまつわる怖い話をして飛脚をビビらすという、
親切そうな、そうでもないような婆さんと、
威勢がよいが気の小さな飛脚との話であったと思う。
『戻り井戸』とうのは、
酒癖の悪い男が、田舎の野井戸に落ちてしまい、
そこで目を覚ますところから始まったように思う。
田舎の爺さんとその息子に助けられるのだが、
落ち着かせるのに、その男に酒を飲ませてしまう。
その酒癖の悪い男は上機嫌となり、
はじめのうちは、田舎の人は親切で、都会は人の住むところではない、
田舎こそが、人の暮らすところだといったお世辞を言うのだが、
段々と酒がまわるにしたがい、
そこの息子の奥さんの顔をイノシシみたいだといい、
都会は便利で、田舎は人の住むところではない、
テレビもないから、そんなイノシシみたいな奥さんとでも、
子供がたくさんつくれるのだろうとか、
言いたい放題ボロクソ言ったあげく寝てしまうのである。
怒らずに聞いていた親切な爺さんとその息子は、
寝てしまった酒癖の悪い男を、
再び野井戸に掘り込むという話だったように記憶する。
書けば、それだけの話だけど、
二十年近く経っても覚えているのだから、
よぽどおもしろかったのだろう。
落語に限らず、永く残され、伝えられてきたというものは、
自然淘汰されなかったということであり、
特に庶民の素直な思いによって残されてきたものには、
なにか神の意思さえ感じさせる。
しかし、あまりよいとはいえない思惑で残されてきたもの、
例えば宗教、思想、国家権力的な思惑で人を支配するというようなものは、
そろそろ自然淘汰されてゆきそうな気がする今日この頃なのでした。
王子(8年近くメールのやり取りをしてきた中で、陰謀王子さんのこをとずっとそう呼んできた)が、
お年玉ということで日本について書いてくれていたのを読んで、
ほんとうは順序からすれば、ティルムンを立ち上げた経緯を先に書かなければならないのですが、
どういうふうに書いたらよいものやら、まだ自分の中で纏まっていないので、
先に思いついたことを書かせていただきます。
ここのところ、感性も直観も鋭くなってきているようには思うのですが、
その反面、阿呆になってきているというか、
ながい文章が書けません。
書いているうちに、思ってもいない方向へ行ってしまうみたいです。
天下一の観相師と称された水野南北が、
幕末の新興宗教黒住教の教祖、黒住宗忠を観相したところ、
恐る恐るまれにみる阿呆面でございますと言ったとか、
それに対し黒住宗忠が、流石は天下一の観相師です、
それでよいのですじゃと言ったとか言わなかったとか?
まあ、阿呆になるくらいでないと、高いとこへ到達できないみたいな、
そんな意味が込められた話なのかもしれません。
そういう話を、親しくしている天才的な超感性の持ち主にすると、
えらく喜んだのですが、どうやら自分も、
悪い意味でも阿呆になってきているような気がする今日この頃です。
もの凄くまわりくどい言い訳でした。
熊野の山の中に十年以上暮らし、辺鄙マニアとして山里を巡り、渓流釣りと称しては山深く分け入り、
神社巡りに凝って各地を巡ってみて、強く体感したというか、実感したことは、
この日本という国体は有難いというか、神の国と呼ぶに相応しい国土ではないかと、
それは日本民族が優れているというよりも、日本の国体が素晴らしいと思うに至りました。
親しくしている天才的な超感性の持ち主の話になりますが、
そのご婦人は帰化はされていますが、民族的にいえば在日三世で純粋な朝鮮民族になります。
心底日本という国を愛し、日本の風土を愛し、それに育まれた文化、日本人を愛しています。
親族で日本や日本人の悪口を言う人があれば、
これだけ日本という国の恩恵を受けながら、
あなたたちは人でなしですと怒る人でもあります。
恵まれた財力を持っているようですが、それらを動植物や困った人たち、
また日本のために使いたいとも思っているようです。
それらの財力は、在日人脈というより、日本の上流社会の人脈により築いたという辺りが、
この日本という国の持つ、奥深さというか、咀嚼力というか、
三代も経てば、白人であろうが、黒人であろうが、み〜んな同じ日本人だという、
この日本という国体が育んだ、和を以って貴しと為すという精神なのかもしれません。
なんかまた本題から外れたことを書いてしまったような気もしますが・・・
お年玉ということで日本について書いてくれていたのを読んで、
ほんとうは順序からすれば、ティルムンを立ち上げた経緯を先に書かなければならないのですが、
どういうふうに書いたらよいものやら、まだ自分の中で纏まっていないので、
先に思いついたことを書かせていただきます。
ここのところ、感性も直観も鋭くなってきているようには思うのですが、
その反面、阿呆になってきているというか、
ながい文章が書けません。
書いているうちに、思ってもいない方向へ行ってしまうみたいです。
天下一の観相師と称された水野南北が、
幕末の新興宗教黒住教の教祖、黒住宗忠を観相したところ、
恐る恐るまれにみる阿呆面でございますと言ったとか、
それに対し黒住宗忠が、流石は天下一の観相師です、
それでよいのですじゃと言ったとか言わなかったとか?
まあ、阿呆になるくらいでないと、高いとこへ到達できないみたいな、
そんな意味が込められた話なのかもしれません。
そういう話を、親しくしている天才的な超感性の持ち主にすると、
えらく喜んだのですが、どうやら自分も、
悪い意味でも阿呆になってきているような気がする今日この頃です。
もの凄くまわりくどい言い訳でした。
熊野の山の中に十年以上暮らし、辺鄙マニアとして山里を巡り、渓流釣りと称しては山深く分け入り、
神社巡りに凝って各地を巡ってみて、強く体感したというか、実感したことは、
この日本という国体は有難いというか、神の国と呼ぶに相応しい国土ではないかと、
それは日本民族が優れているというよりも、日本の国体が素晴らしいと思うに至りました。
親しくしている天才的な超感性の持ち主の話になりますが、
そのご婦人は帰化はされていますが、民族的にいえば在日三世で純粋な朝鮮民族になります。
心底日本という国を愛し、日本の風土を愛し、それに育まれた文化、日本人を愛しています。
親族で日本や日本人の悪口を言う人があれば、
これだけ日本という国の恩恵を受けながら、
あなたたちは人でなしですと怒る人でもあります。
恵まれた財力を持っているようですが、それらを動植物や困った人たち、
また日本のために使いたいとも思っているようです。
それらの財力は、在日人脈というより、日本の上流社会の人脈により築いたという辺りが、
この日本という国の持つ、奥深さというか、咀嚼力というか、
三代も経てば、白人であろうが、黒人であろうが、み〜んな同じ日本人だという、
この日本という国体が育んだ、和を以って貴しと為すという精神なのかもしれません。
なんかまた本題から外れたことを書いてしまったような気もしますが・・・
ここのところ、身の回りの人たちが
シンクロしているかのように『ふるい』という言葉を口にする。
人為的なものにしろ、時代の流れにしろ、
世界を意図的に汚すことで、
人類をふるいにかけ試しているのかもしれない。
この間、信号でクルマを止めて何気なく外に目をやると、
パチンコ屋から40代位の車椅子の女性が、
母親と思しき75歳位のお婆さんに押されて出てくるところを見た。
なにやら言い争っているような、お互い険しい顔をしていた。
勝手に頭の中で、僅かな障害者手当てや年金をパチンコにつぎ込んで負けたのかなと思った。
どうして花を育てるとか、お金もかからず、心が豊かになるようなことに、
興味がいかないのだろうかと、悲しく切なくなった。
順序からいうと変ですが、
近いうちに、ティルムン・ネットワークを立ち上げた経緯を、
ごあいさつというかたちで書きます。
シンクロしているかのように『ふるい』という言葉を口にする。
人為的なものにしろ、時代の流れにしろ、
世界を意図的に汚すことで、
人類をふるいにかけ試しているのかもしれない。
この間、信号でクルマを止めて何気なく外に目をやると、
パチンコ屋から40代位の車椅子の女性が、
母親と思しき75歳位のお婆さんに押されて出てくるところを見た。
なにやら言い争っているような、お互い険しい顔をしていた。
勝手に頭の中で、僅かな障害者手当てや年金をパチンコにつぎ込んで負けたのかなと思った。
どうして花を育てるとか、お金もかからず、心が豊かになるようなことに、
興味がいかないのだろうかと、悲しく切なくなった。
順序からいうと変ですが、
近いうちに、ティルムン・ネットワークを立ち上げた経緯を、
ごあいさつというかたちで書きます。
寒くなると鍋物を食べることが多くなる。
以前はビーフシチューなどを作ることが多かったが、
このごろでは好みが変わったのか、それとも精神的なものなのか、
そういう味の濃いものはあまり好まなくなった。
それで今日も鍋物だったのだが、出汁の昆布が切れていた。
水炊きに昆布がないなんて、白菜がないに等しいではないかと落ち込んでしまった。
それくらい自分の中では鍋物に昆布は重要なのである。
鳥にしろ、豚にしろ、魚にしろ、湯豆腐にしろ、昆布があってこそなのである。
ちなみに五味とは食物の性質を甘味、辛味、酸味、苦味、鹹味に分類したものを言う。
しかし、日本では旨味というものが重要な要素であるから、
旨味、甘味、苦味、辛味、酸味とした方があっているような気がする。
昆布はまさにその旨味なのだ。
日本では古くから五味の性質を知り、
それらをバランスよく摂ることの意味を知っていたように思う。
そういう点はフランス料理や中華料理よりも間違いなく優れたところだと思う。
食べ物が肉体だけでなく、精神にも大きな影響をもたらすとうことを実感できたなら、
日本食というものが、いかに完成され、よく考えられたものか唸ってしまう。
単純な鍋物ばかり食っているのに、ちと偉そうにして大層である。
とにかく五味とは五元素であり、大自然そのものなのだ。
それらをバランスよく、素材をいかして美味しく食べることで、
どれだけ感性や真の意味での知性が磨かれてきたことかと思う。
しかし、若い世代や子供たちの中には、
旨味というものを知っているのだろうかと疑問に思うことがある。
また苦味のある食べ物についても同じように思う。
どちらも子供たちだけでなく、大人たちにも不足しているものなのかもしれない。
以前、甥っ子姪っ子たちとサザエのつぼ焼きを食べたことがあったが、
ハラワタの部分を残していた。
アホかぁ〜そこが一番美味しいんやんかとコンコンと説教してやったら、
苦いと言いながらも食べたことがあった。
新鮮な秋刀魚のワタや鮎のワタなんかも苦くて美味しいし、
山菜の中には苦味のあるものが多い。
そういうものは子供たちはあまり好きそうでない。
それは幼いころから食べなれてないからだろうか。
それとも体が求めていないからだろうか。
例えて言うならば、旨味とは自然の優しさであり癒しのような味であり、
苦味とは自然から教わる知恵のような味ではないかと思ったりする。
苦味のある食物を食べることによって、
感性や知性が磨かれるような気がしてならない。
そういえば昔は祖父や祖母が、
幼い孫の口に苦味のある食べ物を放り込んだりする場面が結構あったような気がする。
それは無意識のうちに、かわいい孫に苦味という味覚を覚えてもらい、
健全な感性や真の意味での知性の発達を促していたのかもしれない。
うん絶対にそうだ。
コーヒーも苦味だからコーヒータイムにしよう。
とにかく、五味をバランスよく食べることが、
心身によいことは間違いがないと思います。
昆布がなくて、こういう話になったあたりは、
自分も苦味が足らないのかもしれないから、
明日にでも昆布と苦いものを買ってこよう。
以前はビーフシチューなどを作ることが多かったが、
このごろでは好みが変わったのか、それとも精神的なものなのか、
そういう味の濃いものはあまり好まなくなった。
それで今日も鍋物だったのだが、出汁の昆布が切れていた。
水炊きに昆布がないなんて、白菜がないに等しいではないかと落ち込んでしまった。
それくらい自分の中では鍋物に昆布は重要なのである。
鳥にしろ、豚にしろ、魚にしろ、湯豆腐にしろ、昆布があってこそなのである。
ちなみに五味とは食物の性質を甘味、辛味、酸味、苦味、鹹味に分類したものを言う。
しかし、日本では旨味というものが重要な要素であるから、
旨味、甘味、苦味、辛味、酸味とした方があっているような気がする。
昆布はまさにその旨味なのだ。
日本では古くから五味の性質を知り、
それらをバランスよく摂ることの意味を知っていたように思う。
そういう点はフランス料理や中華料理よりも間違いなく優れたところだと思う。
食べ物が肉体だけでなく、精神にも大きな影響をもたらすとうことを実感できたなら、
日本食というものが、いかに完成され、よく考えられたものか唸ってしまう。
単純な鍋物ばかり食っているのに、ちと偉そうにして大層である。
とにかく五味とは五元素であり、大自然そのものなのだ。
それらをバランスよく、素材をいかして美味しく食べることで、
どれだけ感性や真の意味での知性が磨かれてきたことかと思う。
しかし、若い世代や子供たちの中には、
旨味というものを知っているのだろうかと疑問に思うことがある。
また苦味のある食べ物についても同じように思う。
どちらも子供たちだけでなく、大人たちにも不足しているものなのかもしれない。
以前、甥っ子姪っ子たちとサザエのつぼ焼きを食べたことがあったが、
ハラワタの部分を残していた。
アホかぁ〜そこが一番美味しいんやんかとコンコンと説教してやったら、
苦いと言いながらも食べたことがあった。
新鮮な秋刀魚のワタや鮎のワタなんかも苦くて美味しいし、
山菜の中には苦味のあるものが多い。
そういうものは子供たちはあまり好きそうでない。
それは幼いころから食べなれてないからだろうか。
それとも体が求めていないからだろうか。
例えて言うならば、旨味とは自然の優しさであり癒しのような味であり、
苦味とは自然から教わる知恵のような味ではないかと思ったりする。
苦味のある食物を食べることによって、
感性や知性が磨かれるような気がしてならない。
そういえば昔は祖父や祖母が、
幼い孫の口に苦味のある食べ物を放り込んだりする場面が結構あったような気がする。
それは無意識のうちに、かわいい孫に苦味という味覚を覚えてもらい、
健全な感性や真の意味での知性の発達を促していたのかもしれない。
うん絶対にそうだ。
コーヒーも苦味だからコーヒータイムにしよう。
とにかく、五味をバランスよく食べることが、
心身によいことは間違いがないと思います。
昆布がなくて、こういう話になったあたりは、
自分も苦味が足らないのかもしれないから、
明日にでも昆布と苦いものを買ってこよう。
