ティルムンとは
はるかなる昔、東の果てに、
日出る国『ティルムン』があったという。
上記の文章は、およそ五千年前の粘土板に、
シュメール語の楔形文字で刻まれていたものである。
人と動物が争うことなく共生する様子や、
『病むもの』も『年とったもの』もいないというくだりは、
まさしく楽園を思わせる。
高度な文明をそなえていたシュメール人にとってさえも、
ティルムン(ディルムン)が聖地であったことがうかがえるだろう。
それもそのはず。
ティルムンは当時、現代文明をも超えるテクノロジーを有しており、
ティルムンの王は、その英知をもって、世界をおさめていたともいわれている。
シュメールの歴史や神話を調べていると、ティルムンという地名に頻繁に出くわす。
欧米の研究家のあいだでは、
現在のバーレーンと地理的に同一と見なされていることが多いが、
『日出る国』『神々の島』『東の果て』という記述も残っていることから、
この地は日本をさしているという推測も成り立ちそうだ。
その頃、日本は縄文時代にあった。
日本各地で、さまざまな遺跡が発掘され、文明の痕跡も多数見つかっている。
しかし、その多くは縄文後期以降のもので、
見ようによっては“文明の抜け殻”のような印象も否めない。
縄文時代は、約12000年前にはじまり、2400年前まで続いたといわれている。
一万年にもおよぶ、おそろしく長い歴史だ。
それなのに、発掘された遺跡は、
紀元前十世紀あたりのものが大半でなのである。
ここに、隠蔽された歴史が見えかくれしてこないだろうか?
(日本には、巨石文明の跡地も、意外なほど多く残されている。
それらのいくつかは、縄文前期から中期にかけてのものである)
縄文の歴史は、シュメールやエジプトやインダス文明よりも、はるかに古く長い。
だとすれば、これらの諸文明のはじまりに、
日本が影響を与えたということも考えられはしないか?
世界をおさめていた王が、なんらかの理由で日本を発ち、
そのあとに巨石信仰をはじめとする文明の痕跡だけが残った……
というような大胆な仮説も浮かんでくる。
ティルムンが日本だったとすれば、
この仮説も多少なりとも現実味をおびてきそうだ。
ティルムンの伝承を書き残したシュメール人たちは、
突如としてメソポタミア地方に現れ、
最古の都市文明を築いたことでも知られている。
彼らが、どこからやって来たかは、いまだに不明のままとされている。
わかっているのは、
彼らが『黒い髪をもち、東の方から海を渡って移住してきた』ということくらいである。
このあたりも、日本と日本人を連想させはしないだろうか?
視点を変えれば、まだまだ意外なことが見えてきそうだ。
参考文献
『シュメール文明』(ヘルムート・ウーリッヒ著 戸叶勝也訳 佑学社)
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