母になるということ
日本女子柔道界を長らく牽引してきた谷亮子選手が、
北京オリンピックの準決勝で敗退した。
谷選手の身体的なコンディションは、
長年の選手生活における疲労の蓄積や、たび重なる怪我などにより、
そして、まだ幼く手のかかる愛息の世話などによって、
おそらく万全ではなかったことだろう。
そうした要素を差し引いても、
実力的には現在も世界最高クラスを維持しており、
今大会でも充分に優勝を狙えるポジションにあった。
準決勝戦も、『教育的指導』による僅差での判定負けで、
その後の三位決定戦でも、格の違いと自力の差を見せつけているのが、その証左だ。
これまでにも、谷選手は、
今回以上の悪条件の中、国際線での数々の勝利を修めてきている。
それが今回のオリンピックで、
実力を発揮しきれなかったのは、なぜだろうか?
振り返れば、バルセロナでも、
谷選手(当時は田村選手)は、オリンピック初参加のプレッシャーに圧されて、
金メダルを確実視されながら、決勝戦で惜敗している。
今回の大会でも、バルセロナの時と同じく、
谷選手には精神面での不安定さというのがうかがえた。
わかりやすく言うなら、
谷選手には『勝利への渇望』とうのが足りなかった。
さまざまな『重圧』や『迷い』を振り切るには、
《無心》になるより他ない。
この《無心》になる前段階に、
《一心不乱》になるという心境が求められる。
全身で勝利を欲し、がむしゃらに進むのも、
《一心不乱》になるための最善の手段なのだ。
今大会の谷選手からは、
金メダルを取りたいという強い動機は感じられたが、
もっと単純な『勝ち』への情熱というのが、希薄になっていたようにも見えた。
これは年齢的なものや、
これまでに蓄積してきた競技経験による『慣れ』の部分もあるのだろう。
だが、ここ数年の谷選手は、
長く生き、経験を積みかさね『慣れ』ることによって、
抜群の安定感を示す機会も、多々見受けられたのだ。
今大会では、ほんのわずかではあろうが、その安定感に欠けていた。
そして、わずかな隙を突かれるかたちで破れ去ったのだ。
第一回戦が始まるまで、
わたしは谷選手の優勝は堅いとみていた。
大舞台での初戦は、緊張するのが当然なので、
少々動きがぎこちない部分もあったが、
それでも谷選手はやってくれるだろうと思っていた。
ところが、二回戦になっても、
谷選手の動きは『解放』されない。
なぜだろう?
その疑問は、三位決定戦終了後のインタビューによって、
あきらかとなった。
谷選手の愛息が、高熱にみまわれ、
それが気がかりでしょうがなかったのだという。
「ああ、谷さんも、おかあさんになったんだなあ……」と、
すべてに納得がいった陰謀王子だった。
母になるというのは、そういうことなのだ。
自らの勝ち負けよりも、
こどものことが気になる。
親ならば、誰だってそうかもしれない。
ましてや母親なら、なおさらだろう。
女性は《母》になることで、宇宙と一体になる。
宇宙と一体になってしまえば、
そこには『勝ち』も『負け』もない。
むしろ、積極的に『負けて勝ちをとる』ようになるだろう。
谷選手も、準決勝で負けて、三位決定戦で勝ちをとった。
ここに、谷亮子の非凡さを見るような気がした。
勝負の世界では、勝ち逃げは許されない。
勝者のまま去ってしまうと、
跡を継ぐ者たちがしらけてしまい、
マイナスばかりが残ってしまうからだ。
無理をしてまで勝ち逃げようとすると、
そのつけが身近な人間――特に子息――に及ぶことだってある。
そうしてみると、谷選手は、
本能的に『勝ち逃げ』を避けていたようにも思えてくる。
「田村で金、谷でも金、ママでも金」とはいかなかったが、
彼女の人生を長い目で見ると、
ちょうどよい落としどころを見つけたのではないだろうか?
独身時代に銀メダルと金メダルをとり、
結婚してからも金メダルをとった。
そして、あらたなる命をさずかった今、
『負けて勝ちをとる』銅メダルを手に入れた。
谷亮子は、女性としてあらゆる経験を積みながら、
すべてのメダルをも手に入れたことになる。
金メダルをとって、有終の美を飾るのもよいが、
それは《宇宙と一体になったマザー》にとっては、
さしたる意味をもたない。
すべてを手に入れるというのは
神になろうとする行為に等しい。
だが、神になろうとするばかりでは、
やがて人は悪魔になりさがってしまうことだろう。
悪魔にならないためには、
ときに『負けの味』を噛みしめたり、
『手放す』ことの大切さを知るより他にない。
ともあれ、
谷亮子選手、
いままで長いあいだ、お疲れさまでした。
そして、多くの勇気とエネルギーを与えてくれて、ありがとう。
あなたの人生の第二章が、これからはじまります。
柔道を続けるもよし、
あらたなる未知(道)を歩むもよし。
日本の女性を代表するひとりとして、
希望に充ちた門出を祝いたいと思います。
これからも、がんばって!
コメント
TrackBack URL : http://tirmun.net/modules/prince/wp-trackback.php/139
この投稿には、まだコメントが付いていません
コメントの投稿
ごめんなさい、現在コメントを付けることは出来ません
